●先生




 自分の領域の学会が,たまたま自分の母校で行なわれることとなった.

 大学の設定における「自分の領域」ではあるのだが,それは形式だけの話で,自分はこの学会に入っていない.だから自分の発表はない.それでも,いろいろな人々と顔をあわせるのが楽しみで,自分はのこのこと出かけていった.

 就職してしばらくが過ぎ,大学そのものに顔を出すことはさすがに少なくなっている.久しぶりに見た大学の並木は,すでにとりどりに紅や黄に染っていた.そう言えば,去年まではこの景色を毎日見ていたのだった.


 学会の1日目の終了後に指導教官を訪ねた.大学に行くのがしばらくぶりなので,先生とお会いするのもお久しぶりであった.

 訪れた時,先生はコンピュータの前でホームページのアドレスに用いられるチルダマークをキーボード上から探すのに苦労しておられた.それは大変だ,と自分は思った.
 実は,そのアップルのアジャスタブルキーボードでは,ATOK8を使った時にはどういうわけかそのチルダ記号が出ない.自分もかつてそのことで悩んだことがあり,いろいろと試した末に,少なくともテンキーをつけない状態ではどうあがいてもその記号が出ないのだ,という事実を悟った.これはなかなかにひどい仕様のように思えるのだが,おそらく未だに改良されていない.
 仕方なく,自分はtelnetを立ち上げて,UNIXのバックアップファイルの末尾からコピー&ペーストでむりやりその記号をホームページアドレスに張込み,なんとかページを手繰った.

 先生は,「悪いホームページの見本」というページを探しておられて,その表現のどのあたりが悪いのか,というところを心理学者の立場から考察することを目標としておられた.

 実のところ,先生はホームページを作ったことがない.ブラウザの環境設定も学生さんが行なっている.その昔には,パンチカード入力でリモートの大型コンピュータを駆使して因子分析をされていたほどの腕の持ち主だが,現在のコンピュータやネットワークに関してはあまり詳しいわけではない.ただ,画面のデザインという側面において,どのような画面が読みやすい画面か,というあたりに関しての評価をすることを求められているようだった.

 そのページを探しながら,自分は先生といくつかの話をした.主として,現在自分がかかわっていきつつある「脳機能画像研究」についての実際と,それについての自分の感想,自分の立場から見た研究所,心理学者という存在の閉鎖性,研究が楽しいということ.そんなことを自分の感じたなりに話していた.
 先生の勧めでその研究の職場に就職してから,ちょうどその日で1年目だった.


 学生時代,自分はあまり良い生徒ではなかった.修士論文を書いていたあたりでは,ずいぶんと先生と口論になったこともある.もっとも,この年代の研究者のたまごは自分自身を形成するためにこういう抵抗をして当然なのだろうと今では思う.そんな中で,ある時,先生が自分を評してこのような感じのことを言われた.

 お前はどちらかと言えば大器晩成型で,10年も経ったらものになるかもしれない.

 少なくとも,自分はすぐには使い物にならない自覚はあった.科学論文を書くのは苦手だった.今でもそれは変わってはいない.いずれにしても,何においても成長が遅いタイプだろうとも思っていた.だから,その言葉にはなるほどと思った.


 実は,結果的にその目標とする「悪いページの見本」はついに見つからなかった.理由はよくわからないのだけど,見つからなかった.先生は,まあ仕方ない,と帰ってゆかれた.


 翌日,同じ学会の懇親会の席で再び先生と出会った.帰り際に,先生は自分を呼び止めてこんな風なことを言われた.

 前にあなたを「10年経ったら使い物になるかもしれない」と言ったけれど,もしかしたらあと5年くらいで何とかなるような気もする.

 そうおっしゃった.
 なんとなく自分はうれしかった.
 よくわからないけれど,少しは自分も成長したのかもしれない.
 それを先生に認められたのはいい事だと思えた.

 ただ,同時にこういうことにも気がついて,自分は少しおかしくなった.
 先生は忘れておられるようだ.
 先生が「10年経ったら使い物になるかもしれない」と言われたのは,確かもう5年ほど前のことだったのだ.


<完>