もちろん,いろいろな「記録」によって自分が生きている時期よりも前の時期の情報を得ることができる.ずいぶん前に遡ることもできる.詳しく研究する人もいるので,過去という時間領域に関してはそれなりに詳しいことがわかっているようだ.
一方で,これから来るべき時間領域に関しては,資料は存在しない.だから,それほど詳しくはわからない.わかったとしても,ほんの少し先の状況を予測したりすることができるくらいで,あまり確かなことは言えない.かつて行なわれた「先の時間」における社会なり何なりの予測をあらためて見直すと,そうした予測もどうもあまりあてにはならないと思えてくる.
昔のことはわかるのだが,先のことはわからない.
自分自身はたかだか数十年の範疇の時間領域をカバーできる存在に過ぎない.しかし,人間の想像力はその先を望む.
その先を,その先を,本能のようなものに導かれて知ろうとする.
その意味を問うことはしない.
自分たちは,各自の時間の波頭に乗っている.いつかは波は砕ける.そこから先には進むことはできない.
しかし,人間は子孫を作る.
新しい波の先端に,自分と同じ「眼」を織り込んだ自分のコピーを作成して乗せ,送り出す.
新しい波は先に進み,古い波は砕け,波は幾重にも幾重にも連なる.見渡す限りの海原に,無数の波頭が動いてゆく.
入れ替わり,立ち変わりしてゆく幾十億の波頭.
その一つ一つに別々な認識が乗り,砕けては新しく作り出され,作られては砕け,全体として,波の群れが進む方向が「未来」と呼ばれる.
ときおり,そんな波頭の一つに乗っている自分を認識する.
<完>