“クリスマス”いろいろ




 意外に世に知られていないクリスマスについての諸説であります。昔fjに投稿したものです。

(以下は,全て大学図書館の4,5冊の古い「百科事典」のたぐいで調べたものをまとめたものです)


<クリスマスの原意>

・Christmasは「キリストのミサ」の意.Xmasと記すのはキリストのギリシャ語の第1字母が「X」であることによる.英語の省略形ではないのでX'masは誤り.

・ベツレヘムで前夜祭を祝い,行列して夜明けにエルサレム到着,昼間もエルサレム中央聖堂に集まる.

・なぜ「イブ」から祝うのか,といえば,初期キリスト教では一日を前日の日没から数えていたので「イブ」が珍重されたのではないか.



<クリスマスの由来>

・ローマでは,農業神サターン(ギリシア由来のようだが,実はきわめて古いイタリアの神らしい)の祭りサトゥルナリアを12月21日から31日まで行っていた(17日から1週間,という説もあり).ここでは饗宴,性的放縦,贈答品の交換「幸運の贈り物」などの風習があった.特に12月25日は冬至の「後」で太陽がよみがえる日として記念された(この説明では必ずしも「冬至」の当日ではないことに注意.しかし,別の事典の説明では「12月25日はローマの冬至の当日であった」という記述もあり,暦に関しては解釈微妙).ミトラ教(元ペルシアの大神,インドヨーロッパ民族の古い神性)の祝いの日も(が?)この日.この宗教はローマ人の間では軍人,兵士の間で崇拝され,ヨーロッパ各地に伝播.祭りはもともと「不滅の太陽の生誕日」の意味であった.これに加え,ゲルマンの冬至の祭りも同時にあり,チュートン民族では「ユール"Yule"」と呼ばれた(古代ヨーロッパではJul).

・初代キリスト教の指導者達が,こうした農耕上の祭りに主イエスキリストの降誕を結びつけたのが「クリスマス」である.キリスト教でも救い主は「義の太陽」とされていたので文句はなかった.(こうした宗教的妥協は珍しくはなく,そもそもコンスタンティヌス大帝はミトラ教の太陽礼拝の日をキリスト教の「主の日」と結合して321年に公式に週1回の役人の休日にしていた.おそらく現在の「日曜日」の起源では).

・キリスト教初期には日付は一定しないで1月6日,3月21日(春分),12月25日のいずれかが選ばれていた.325年のニケア公会議で12月25日に決定.ローマ教会が12月25日に降誕祭を行うようになるのは354年(教皇ユリウス1世)以降.379年からギリシア教会もこれに従う.

・中世ではバカ騒ぎ,カーニバル,一種の混成的宗教行事として存続.布教初期の7世紀のイギリスでは,アングロサクソンの「母たちの夜」という女神の祝日と融合していたらしい(この段階で,すでに常緑樹を飾っていた,という記述もある)

.結果的に,イギリスのクリスマスの初期はユールと降誕節の習合として成立していた.

・ピューリタン革命時代には,スコットランドの長老派の圧力により,クリスマスは宗教的には禁止された.さらに1647年,長老派の圧力の元で議会派はクリスマス禁止「法案」を可決しようとしたが,反対する暴動が各地に起き,家庭でのクリスマスを認めるに至った(しかしスコットランド長老派は現在でも異教的起源として認めていないらしい).

・王政復古以降,産業革命頃には貧富の差が広がり,また労働条件の問題もあり昔ながらのバカ騒ぎの側面もなくなり,クリスマスを祝う費用を出せない一般家庭においてはクリスマスは消失しかけた.しかし繁栄のビクトリア朝でのアルバート公以降,隣人愛や宗教的心の復活により,家庭でのクリスマスが再び行われるようになった.中でも,子供を中心とした祭りになっていたことが特筆される.サンタクロースの導入もここで行われ,またツリー(アルバート公のドイツでの習慣),プレゼント,カード,ディナー,などもこの頃らしい.これ以降「みんなで祝うクリスマス」が出現し,現在に至る.

<クリスマスキャンドル>

・キャンドルは,光(神の子)が闇(世界)の中で輝き,熱と光を与えて消える(犠牲)のように,過去のキリストの1回限りの生涯を理解する訓練に役立てられる.


<クリスマスツリー>

・常緑樹(エゾマツやモミ,ないしヤドリギ).起源はドイツのライン川の上流の左岸らしい(??).インドまたはゲルマンの神話に由来するともいわれるが確証は困難.むしろ中世の楽園劇に由来し,創世記の「生命の木」に関連しているらしい.最古の記録は1600年代という説明と(「クリスマスツリー」としては,という意味なのか),11世紀の宗教劇でモミの木にリンゴをつけてエデンの園を表し,樹形の三角形が信仰,希望,慈悲を象徴したという説明がある.呪術的動機からくる,としてピューリタニズムの系譜に連なる教派では飾らない.例えばヤドリギは,本来ドルイド教で聖なるものとされ,病を治す,解毒する,幸運を約束する等の力があるものとされた.ポインセチアは,赤い星状の包葉がベツレヘムの星に似ていることから,中央アメリカで聖なる飾りとして用いられていたのをアメリカ大使が1829年にアメリカに取り入れて一般化した.これらを含め,「クリスマスツリー」は19世紀半ばから世界に広がった.



<サンタクロース>

・ギリシャ正教系列の人.3世紀末(4世紀との説もあり)の小アジアの聖ニコラスのことをオランダ語で聖クラウスSint Klauと変化したのが,オランダ人がアメリカに移住してから誤って聖女(サンタ)を意味するようなサンタクロースの愛称となったという説がある.

・ヨーロッパで崇拝が広がったのは1087年以降か.多方面の守護者.ロシア の守護神でもあるらしい(11世紀).祭日は12月6日(机にある「クマのプー さん日めくりカレンダー」にもきちんと書いてありました).オーストリア(オ ランダ,ベルギー,スイス,ドイツの一部も)では,この日の前夜には司教ニコ ラスに扮したものが下僕ルプレヒトを従えて現れ,仮面や藁,毛皮で仮装したも のと行列をくんで歩き回り,子ども達に説教をして後で菓子やみかんをくれる. しかしこうしたカトリックの地域はの行事は,北ドイツのようなプロテクタント の地域では廃止されるか,クリスマスに移された.これによって聖ニコラスとク リスマスが融合した.



<サンタクロース異聞>

・「サンタクロースの起源は,恐ろしい袋を持った人さらいと善行の老人との奇妙な結合である.」(これ以上の説明がないので詳細は不明ですが,個人的に興味深い記述です)

・もともと聖ニコラスの日は子どもの祭日だった.聖ニコラスの登場する中世の奇跡劇(ミラクル)と,クリスマスに際してその余興を取り仕切る道化役とが一緒になってサンタクロース(ファーザー・クリスマス)の姿が生まれた.19世紀の初めに「子どもに贈り物をする聖ニコラス」のイメージが定着した.

・トナカイに引かせたそりに乗ってくる,というのはニコラスがラップランドで崇められていることから起こった,という説や,北欧神話のオーディンがそりに乗って贈り物を配って回る,ないしは冬になると空を飛翔して人間の善悪を裁きにやってくる(全然楽しくない?!),という説が紛れ込んだのではないか.
・ヨーロッパには,髭の老人が白馬,ろば,鹿に乗ってくる,という土地もあるらしい.

#近所のコンビニでバイトのおねーちゃんがサンタクロースの格好でレジに立ってるけど,こうなると目立つ意外には意味はないみたい.


<蛇足・クリスマスの料理>

・イギリスではクリスマスプディング,アメリカではケーキ,フランスではビュッシュ・ド・ノエル(薪型のケーキ),ドイツではシュトーレンという堅いフルーツ入りのパン.いずれもおそらく(本来は)保存性の強い食物.


というところです.

・靴下のプレゼントは,そもそもの聖ニコラスが貧しい娘の「洗濯物」の中に金貨入りの財布(嫁入りの持参金)を投げ込んだ,というところから来ているのではないか,と思いますがこれについての記述資料はありません.

・煙突から,というのもおそらく19世紀以降,イギリスないしアメリカの産物でしょう.「サンタはどこから入ってくるのか」という子どもの疑問に対する自然な解答のようにも思えます.

・あの「赤い服装」が実は20世紀に入ってからの「コカコーラ」に由来すると は...裏切られた感じ...(「そもそも信じてもおらん輩に”裏切り者”呼 ばわりされるとは,心外じゃのう」との声がどこからか)。元々はもっと地味に 紺色の服などを着ていたそうです。世の中を飛び回るのにあんまり目立つ服装だ と困りますしね。

#と書いたかなり後で、この「赤い服」がコカコーラ以前から存在するという記 述をネット上で見るようになりました。だとすると、赤い服の由来はいったい 何なのでしょう?


 まあ,こんな感じで「うんちく」をたれてしまいましたが,宗教的意味はともかく,実際には昔からきびしい冬がくる前の景気付けのバカ騒ぎ,ということだったんでしょう(心理学的にもなにがしかの意味がありそうです).

 その意味で,現在の日本のクリスマスは実は原意からそれほど外れていないのかもし れません.結局「楽しく過ごしたもの勝ち」なのでしょう.


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