カレー





 カレーが好きだ.
 大好きだ.
 いろいろなカレーがあるが,たいがいどれも好きだ.
 まずいなあ,と思うものであっても,カレーであればまあ食べることができる.
 レトルトパウチに入った「後は暖めるだけ」というものも,自分でスパイスをごりごりと細かくしていって作ったものも,どちらもそれなりにおいしいと思える.


 どうしてそんなにカレーが好きになってしまったのか,というと,そこにはあるお店との出会いがある.
 そのお店に出会うまでは,自分がそれほどカレーが好きであるという自覚はなかった.ただ「食欲のないような時には少しくらい食べてもいいか」という程度に思っていた.
 それが,いつの間にか「自分はカレーが好きだ」と自覚している.

 そのお店は,大学に出掛ける途中の,ついこの前までお菓子屋さんだった店だった。気がつかないうちに,いつの間にか,そこはただ一種類の「インドカレー」しかない、という不思議なカレー屋に姿を変えていた.
 店の前を通った時に,いいにおいがした.まさに「カレー」の香りで,腹の減った自分は店の中を覗きこんでみたのだが,どうもよくわからなかった.開いたばかりなのか,客がいない.静かなものだった.一応インド模様?の描かれた暖簾のようなものが出ていたので,おそらくお店は開いているのだろう,と判断して,自分はドアを開けた.

 季節はいつだっただろう.もう覚えていない.ただ,お昼前の時間で,起きたばかりであたふたと大学に出かけてきて,ろくに飯を食べていなかった自分の胃袋に,そのカレーの香りは実に魅力的に訴えてきていた.
 入って行くと,上品そうなおばさんと,その息子さんらしい,やや長髪の眼鏡をかけた男の人がいた.自分は注文をして(といっても,そのお店には「インドカレー」1種類しかなかったのだが)待っていた.
 しばらくしてそこに来たカレーは,自分がそれまで知っていたカレーとは,どこかが違っていた.
 スパイスの鋭い香りでにおいたつ汁気の多いスープが,ごはんの横に注がれていて,量はちょっと少ないかな,という程度だった.具はあまり見当たらなかった.これでまずかったらどうしたものか,とそのときは少し心配になった.
 しかし,食べはじめて一口二口目で,自分ははっとした.
「これは『カレー』だ」
 それまで長い間自分が食べてきた,いわゆるカレーと言うものが,マガイものとまでは言わないまでも,どこか違ったものだったのだ,ということをそのときはっきりと悟ってしまったのだ.
 それほどのインパクトだった.
 そのカレーは,辛くはなかった.
 「スパイシー」と言う言葉を単なる「辛さ」と取り違えているカレーが多かった(今でも多い)中で,そのお店のカレーは,程良く辛く,程良く甘く,そして何よりも「スパイス」の香りがした.
「これが『カレー』だったんだ」
 自分は本当にそう感じた.

 ここで,あなたは,
「うまいと言ったところで,どうせ日本のカレーなんだろう.だいたいにして『インドカレー』などというタイトルを付けた時点で『日本味噌汁』みたいな感じなんだから,結局わかってないんじゃない.インドカレー,なんて概念は本来は単一の料理を指しているわけじゃないんだから」
と言う見解を持たれるかもしれない.
 しかし,名前の問題ではないのである.
 インドでどんなカレーが作られているかとは全く関係なく,そのお店の『インドカレー』は本当においしかった.

 自分は,それからというもの,もうその店に夢中になっていた.1週間に3回は行っていただろう.そして,そのカレーに飽きることはなかった.ときどきごはんの炊きかたがひどくて,べたべたした糊のようなものが出てくることもあったのだ(それに文句を行っていた友人はいたし,確かに自分も「コレはどうも」と思ったこともある)が,しかしそんなことはほとんど気にならず,自分は頻繁にこのお店に通って行った.
 値段は,一皿600円だった.
 あの味が600円で食べられるのだ.すばらしいことだった.
 カレーの横にはごはんがあり,そしてごはんの横には丸々一つ分の茹で卵が輪切りにされていた.食べ終わると,しっかりした味のコーヒーが出た.自分はこのころから豆を挽いて自分なりにコーヒーを飲んでいたのだけど,このお店のコーヒーにはそんな自分から見ても一目置くところがあった.薬味はテーブルの上に置いてあって,らっきょうとピクルスと福神漬けがガラスの器に入っていた.客はそこから好きなように取って食べてよかった.
 これが600円だった.
 そして,それにもかかわらず,客はあまり多いとも思えなかった.そこで,自分は感じたとおりの感想を友人たちに伝え,そして店に出かけた友人たちも自分の意見にほぼ賛同してくれた.しばらくすると,ずいぶんと常連もできたらしく,華道のお師匠さんであるらしいそのおばさんは,少しうれしそうにそのことを話していた.

 しかしながら,絶対的な客の量,という側面においては,必ずしも多くはないのではないか,というのが自分の見たところだった.まず,どういうわけか夜は早く閉ってしまう.だから夕御飯で儲けることができない.場所が人の多くいるところからは少し離れていて,地理的に悪かったのか,それとも量が少ないのが学生に敬遠されたのか(だが,量だけにしか興味のない人種には来てもらう必要はまるでなかった.味なんぞはどうでもいいのだから,そんなやつらにこんなに凝った贅沢なカレーを出してやっても有り難みも何もわからない.このことは,決してデタラメを言っているわけではない.後述する),閑散としていることが多かった.メニューが「カレー」1種類,ということも敬遠される原因だったのかもしれない.

 予感はしていた.
 1年ほど経ったある日のこと,そのお店を通り掛かると,休業の張り紙がしてあった.
 自分は,そのことを大学の連中に伝え,皆揃って大変がっかりした.

 その場所に次にできたのは,なんとも言えない学生向けの洋食屋さんだった.
 それでも,1回試しに新しい店に食べにいってみた.そのとき,横にいた妙に体格のいい学生達が,その新しい店のカレーを食べながら,こう喋っているのを聞いて自分は愕然とした.
「前の店のカレーは,凝り過ぎていてうまくなかったからな」
 彼らは,そのあたらしい店のカレー,つまり,どう見ても業務用の缶詰から暖めただけ,というそれを大盛にして消費しながら,そんなことを言っていた.
 やつらは,あの店の味がまるで理解できなかったのだ.
 本物のスパイスを自分できちんと粉にして,配合して寝かせて,球葱を炒めて,きちんと取ったスープの中に入れた(おまけに,実はいくつかの果物を配合して微妙な甘さを出していた)あのカレーの味と香りを,連中は単に「凝っている」という程度の認識で缶詰のカレーよりもまずい,とみなしていたのだった.
 こんな胃袋ばかりで舌のないようなやつらの為に,あの店の二人は苦労してスパイスを配合して毎日がんばっていたのか.
 自分も,そのあたらしい店のカレーを食べてみた.
 比べてしまうと,とても食べる気にならない.本当にそう感じた.
 なんてばかばかしいんだ.
 そして,それから,もう一度あのカレーが食べたくなった.
 うまいカレーを食べたくなった.


 暇をみては、近所でカレー屋を見つけて入ってみた.車でも出かけてみた.本を頼りに,東京のずいぶん有名なところを探したこともあった.そうやっていろいろと食べてみて,そして,驚いた.
 大してうまくない.
 少なくとも,あのカレー屋さんの味を下回るものしか見つけられない.
 どういうわけだ.
 世の中は,この程度のものを「うまいカレー」とみなしているのか.
 新宿にあるカレーで有名な洋食屋にいったときに,自分は少しあきれた.どうみても私の好きだったカレーの「でき損ない」のような,中途半端な味がしたからだ.

 インド的な「さまざまな料理にスパイスが用いられている」ような「カレー」というものについては,スパイスというよりも材料や調理法の方に関心が向く.だから、うまいまずいということはあまり言わない.材料如何でどうにでも変わる.でも,いわゆる「洋食」的な「カレー」については,どの店の品も表面は似たようなものである.だから,どうしてもあの店との差が見えてしまう.どの店のカレーもたいしたことはない.あの店を100とすると,ましな店でも80,たいていの店は50以下だと感じた.

 しばらくするうちに,自分はどうしてもあのカレーが食べたくなった.
 しかし,カレーなどと言うものを,自分のような素人が作れるとも思えなかった.スパイスを混ぜる,というのは何とも難しいことのように思えたのだ.

 ある時,一人の友人が私を夕食に招待してくれたことがあった.彼は,就職して引っ越したばかりで,その広い部屋を私に見せてくれたわけだ.
 そこで,私は緑色のカレーを食べた.
 野菜だけが入っていて,ショウガの香りがした.そして,確かにそれは「カレー」だった.そして,その「カレー」は,カレーのルーやカレー粉などを一切使わずに作られていたのだった.それは,素直にうまかった.作ったのはその友人だった.
 私は驚いた.
 「カレー」は,素人でも作れるものらしい.
 そこで考えた. 
 あの店のカレーを誰も作ってくれないのであれば,自分で作るしかない.
 少なくとも,あの店でもスパイスを摺っていたということはわかっている.自分も同じことをすればいい.
 そこで,デパートに出かけて行って,それらしいスパイスと,そして摺り鉢を買い入れた.訳がわからないままに,適当に混ぜて細かくし,球葱を入れたスープの中に入れて,しばらく煮てみた.
 薄くて何とも言えなかったが,それでも思ったよりはうまくできたと思った.それと同時に,あの店のカレーの香りは「カルダモン」というスパイスの影響が大きかったのだ,ということもなんとなくわかった.
 次は,もっとスープを濃くして,スパイスの量も多くしようと思った.


 それから現在に至っている.
 台所の棚には,よくわからないのだが多くのスパイスの瓶が並んでいる.何か料理を作ると,その中から適当に混ぜ合わせては摺っては適当に降り掛ける.スパイスと味との間に何か法則性を見いだしているか,といえばそうでもない.およそこれはどんな味,という程度の把握はしているが,だから料理がどうなるのか,というあたりまではよくわからない.
 それでいいのだと思う.
 自分はスパイスの味のするカレーが好きなのであり,適当に混ぜた結果のそれがうまければ問題はないからだ.
 逆に,これまでばかにしていたレトルトのカレーと言う製品を見直しているのも事実だ.あの味は素人には出せないということがよくわかった.簡単に手に入り過ぎているからといって,馬鹿にしてはいけない.大食いの学生たちが業務用のカレーがうまいといっていたのも,見方を変えてみるとある意味での真実なのかもしれない,と思うこともある.
 実のところ,最近はそれらレトルトのカレーに自分で摺ったスパイスをたらふくかけて食べてみる,というのがスタイルになりつつある.


 椎名誠さんがエッセイでカレーを表現していた言葉で,「戦闘的な」という言回しがあって,それは実にいい感じだと思う.レストランなどにでかけて,各人が頼んだいろいろな料理が並ぶのだが,その中で一人でもカレーを注文したりすると,もうあたりはカレーの香りに包まれてしまう.ハンバーグだろうがスパゲッティだろうが,もっと言ってしまうと、刺身もステーキもテンプラもすき焼も何も関係ない.もうその周辺は「カレー」に染ってしまう.たった一人で世界を作り上げてしまう,その自己主張の強さは類を見ない.そして,どんなに高級そうな料理を頼んでいた人間であっても,その香りを覚えた瞬間,自分がカレーを頼まなかったことを一瞬後悔する.
 カレーはあらゆる料理に対して,闘わずして勝つ実力を備えている.

 私はそんなカレーというものが大好きなのである.

<完>


go up staires