一日目、しばらく休んだ後に夕食を食べに参る。当たりをうろうろした後にシーフード的なところに入る。私はソフトクラブ(とてもやわらかい甲羅のカニ)とビールを頼む。カニはふにゃふにゃしていて悪くはないのだけれど、味がないに近い。ビールの方は軽くてかつしっかりしていたように思える。Yさんの頼んだ『ベジタリアンメニュー』は、ナスとトマトの脂っこいラザニアのようなもので、とても健康に良いとは思えない。単に『肉を使っていない』というだけのジャンクフードであった。いずれも値段は高い。ビールも含めてこれらは日本円にして各々1800円位したように思う。ここに限らず、とにかくボストンは食べ物の値段が高かった。
会場に着くと、私の分の名札が用意されていたのでうれしくなった。レジストレーションは間に合ったらしい(日本に帰ってくると入れ違いに領収書が届いていた)。受付で赤いバックをくれる。これは資料その他を入れるためのものらしいのだが、なかなかできがいい。ちょうどノートパソコンを入れるくらいの大きさで使い勝手はよさそうだ。これをくれる(もちろん会費の中に入っているのだろうけれども)というのは何とも贅沢な気がした。国際学会というものはどこでもこういうものなのだろうか。
会場には朝飯の用意がしてあった。種々のパンとバター、チーズ、そしてコーヒー、紅茶、ミルクなどである。これはラッキー、と我々はそれらを皿にとって辺りを見回すが、どうも何とも椅子も机もない。よく見ると、人々は仕方なくホテルのじゅうたんの上にそのまま座り、もそもそと飯を食べている。我々もそれに倣う。世界の最先端の脳科学者達が総じて床に座って食事をしている姿は如何ともし難い。
レクチャー終了後、一度ホテルに戻ってから再びダウンタウンへ出て夕食をとることとする。地下鉄に乗って市の中心に出る。石畳のモール街のようなものがあり、そこに多くの屋台と食べ物屋のテラスが出ていた。その一つでパスタを食べることとした。自分は以前トロントにいったときに食べ物がまずく、トマトジュースで救われたことを思い出し、パスタと一緒に頼んでみた。すると、何ともいえない有機溶剤のような香りのする赤いトマトジュースが出てきた。とても濃くてどろどろしている。苦労して飲んでみるが、とても耐えられない。下には下があるものだと変なところで感心した。
今回の学会は、はじめの二日間がfMRIの簡易レクチャーで、後半の4日間が国際学会である。その二日目の簡易レクチャーが終わったところで、翌日からの国際学会のためのレセプションというものがあった。一応食べ物が出るらしいぞ、ということで我々二名は期待を込めてその場に望んだ。
が、何か様子がおかしい。
料理はあるのだけれど、それはチーズと果物と野菜ばかりではないか。しかも、トマトやレタスはともかくとして、ブロッコリーやアスパラガスまで生なのである。自分は生のアスパラガスというものを生まれてはじめてたべた。まずかった。ドレッシングをかけたらかけたで、さらに感動的にまずかった。ごく自然に『とほほ』という口から言葉が漏れてきた。このまずさは一体なんだろうかと思った。シェラトンホテルといえば、一応名が知られた高級ホテルだ。そこで行う国際学会のレセプションにおいて、この料理を出すというのは、つまりこれは彼らからするとそれほどまずいものではないのに違いない。信じられないことだが、そう解釈せざるをえない。
むかし見た映画の中で日本人をばかにするシーン?で『生の魚でも食ってな』という台詞があったのだけど、君たち人のこと言えるのかなあ、などとそれらの「むしゃむしゃ」を頬張りながら思ったりした。
モール街の中にある日本食の軽食スタンドに行ってみた。海外に行って楽しいことの一つは、こうした『怪しい日本』を探すことだと思っている。結局のところ、そこ場所の人々が日本という国をどのように理解しているのか、はそういうところに存外正直に現われるのではないかという気もしている。むろんお互い様ではある。
トロントと同じで、『照り焼きビーフ』とかいう名前がついていたメニューがあった。向こうの人は「テリヤキ」の響きが好きなのだろうか。自分は『ベジタブルそば』と『トーフ味噌スープ』を頼んでみた。「そば」はすなわちこれ「のびたうどん」であり、トーフ味噌スープは学食的な代物だった。トロントのものよりも明らかにまずい。なお、帰りの飛行機に出た『そば』という名の食物も、麺の形状をしてはいるが、無気味に胡麻油の匂いのする粘性の高い物質であった。
後日、Yさんと試しに比較的まっとうそうな和食の食堂である「Kyoto」に出掛けてみた。お店の人はアジア系なのだけれど、どうも日本人なのかどうか定かではなかった。割り箸の袋の模様はラーメン丼のそれであり、店員さんの衣装は、成田空港あたりで売っていそうな妙なはっぴのような柄である。巻き物を頼んでみたのだが、名前が『ニューヨーク』とか『ボストン』とかいう感じで何が入っているのかよくわからなかった。出てきたものを見ると、大きな逆巻(のりが内側に巻き込んであり、その中に具がある)の巻き物で中にはねぎとろやキュウリに加えてアボガド、チーズ、そして天かすなどが詰まっていた。食べてみると、この『天かす』というのが意外によろしいことがわかった。とても『日本食』とはいい難いものなだろうけれども、しかしまずいわけではなく、アメリカ流のアレンジというものがこういうものなのか、というあたりを知ることができる。逆にこの類のメニューが日本にあったらファンになるかもしれない、と思った。
会場にコーヒーが置いてあるのだが、それがカフェイン入りとカフェイン抜きの2種類がある。カフェイン抜きを試してみたところ、実にまずかった。カフェインというものは、普段は味に関係しているのかどうかまるで気にしないで飲んでいたのだが、あれはあれでなかったら困るものなのだとわかった。また、あちらで飲んだコーヒー全般に言えることだが、味はまだいいのだが香りがまるでない。
ホテルの水道から出てくる水はなんともいえず苔の匂いがした。飲んでいてもとりあえず平気だったが、あまり長いことあれを飲んでいたくないと思った。
いろいろ食べ物のことを書いてきたが、全体としての感想は、『値段と味は低い相関しかない』というものである。日本の関数式が味=1/2値段+5程度だとすると、ボストンのそれは味=1/4値段+7、というものだと思った。つまり、初期値は高いがそれ以降の伸びがない。値段の安い(500円以下程度)のジャンクフードは、ボストンの方が本物?である。最後に空港で食べたサンドイッチなど、フランスパンにトマトを3スライス、大きなレタス、それから大きなローストビーフの厚みのある切れ端をこれでもかというくらいに挟んでくれた。十分に満腹になる。あれで4ドルは安い。野菜スープというのも結構うまかった。同じ物を日本で頼もうものならローストビーフだけでも1000円近くするだろう。ただし、夕食にある程度『普通』のものを頼もうとすると、とたんに値段が跳ね上がる。チップまで入れると2000円近く出してもそれほど贅沢なものを食べたという気にはならない。
概して向こうの人々の食べ方は日本のそれと姿勢が異なるようだ。とにかく食べられるうちは肉を食べておいて、それがなくなると仕方がないので野菜やパンを食べる、という感じである。日本の場合には、基本的に米を食べるために種々の『おかず』が存在しており、おかずの多くは白米の存在なしには成り立たない。刺し身だろうがサンマだろうが「おひたし」だろうが、それだけをひたすら食べていてもそれほどうまい物とは思えない。飽きてくるのである(酒の席では『酒の肴』としてこれらのものを酒とともに食べてしまう傾向があるが、私にとっては酒なんぞよりも飯を用意してくれた方がよほどうれしい)。何かおかずを食べ、次に口の中を米の味や触感でリセットする、またおかずを食べる、ということのくり返しで味の飽きをうまく防いでいるように思える。アメリカの食事はそういう前提がない。ステーキを食べているその合間にパンを食べる、という印象はあまりない。強いていうのであれば食事中に飲む酒がそのリセットの役目を果たしているのだろうか。その意味で、アメリカ人の主食は何か、というと実はパンではなくて『肉と酒』と定義した方が妥当なのだろうと思えてきた。
以上