カナダ旅行記
その昔出掛けた“カナダの旅行”に関して、適当に取ったメモの中から選んで、それを参考に見たもの聞いたもの感じたことなどを適当につづります。
#元原稿はningenのネットワークニュースに投稿したものです。一部この原稿のための書き下ろし(笑)があります。
なるべく時間の順番にしているつもりではありますが、ところどころおかしいです。気にしないでください。
ではスタート。
・空港で佇む
つくばセンターから出る空港への直通バス(要予約)から降りて、空港に着いたとたん、どうしたらいいのかわからなくなる。そこで参考書を取り出し、まず航空会社のカウンターに行く、ということを学ぶ。カウンターに行くと、まず真っ先にスーツケースを機械に通され、次にチケットを搭乗券に変えてもらうことをした。パスポートを見せたような気がする。この段階でスーツケースはベルトコンベヤーの彼方に消えているので、出国に必要なものは必ず身に着けておかねばならないのであった。もし忘れて中にいれていたら大変だったろうと思う。
・出国の巻
ロビーの中央に出国のための下り階段があり、そこの入り口に空港使用料金2千円を払い込む自動販売機がある。その自販機で支払いをして階段より下に降りる。すると、横のほうの机に出国の紙(正式名称忘れた)があるので、を書いてそれを出国ゲートに持っていくのだが、それは旅行代理店なんかでもらってあらかじめ書いておく方が無難だろう。出国管理自体は簡単なもので、一つの窓口におねーさんが一人いて、窓口にパスポートと航空券と書いた出国の紙をそろえて渡すものである。
意外といえば意外、当然といえば当然だが、別段問題はなかった。
・搭乗ゲートでの融通
24番というゲートからのフライトで、これがまた遠い。コンベヤを3本ほど乗りついで行ったのだが、よく見たら歩いたほうが速かった。
ゲートの入り口で件の金属チェックを行い、特に問題なくパスする。時間が来ると乗り込みが始まり、はじめは時間のかかる人(子供をつれた人とか)、次にビジネスクラス、最後にエコノミーの我々庶民と続く。
実はここでまたもやパスポートを提示する。御丁寧に腹巻きにしまい込んでいたどこかのおっさんは文句を垂れていたのだが、私の目前のインド人(姿形から私が勝手に判断した)は懐から取り出した身分証明証で代替して手早くクリヤーしていた。さすがはインド人であると思った。
・緊急脱出システム
機内に乗り込んでしばらくすると「ようこそ」みたいな映画が始まるのだが、ここではじめに「緊急時の行動」を教える。いろいろあるのだが、水中脱出用のライフジャケットの着方はあれ1回見ただけではわからないだろうなあ、と思った。不時着したときに用いる例の滑り台のようなものは、はじめに軽く飛んで勢いをつけておりなければいけない、というのは意外であった。
あれじゃスカートの人はいざというときに大変だろう、と人事ながら心配になった。
・冷える
機内では毛布が配られるのであるが、これは存外薄い。自分はなんとなくコートを預けないでそのまま膝の上に置いておいたのだがこれは正解であった。寒くなったらこれをかぶって丁度よろしいくらいと思えた。
ちなみに座席は高速バスと同程度の広さしかなく、12時間も座っているのはちとつらいと言うものだった。体を延ばすのも一苦労である。眠るというのもあまりきちんとはできない。単なる時差ぼけ以上に、こういうところで身体が疲れるのだなあ、ということがわかった。
・存在意義について
機内食を何回か食べてみたわけだけど、どうも不思議なもので、メインディッシュ、パン、サラダ、デザートの他にどういうわけか「お稲荷さん」がついていることが多かった。理由は不明である。さらにこれらのメニューを消費する過程において、この稲荷寿司にどのようなタイミングで取り組むのが正しいのか、という点がついに最後まで解決できずに、私はこれらのお稲荷さんを残していた。夜中に腹の減ることの多い昨今後悔しきりである。
味そのものは可もなく不可もない。四角いトレイの上に配置されたサラダと暖かいものとデザートと飲み物、パンとバターを受け取って食べていくわけだ。一応ワインなんかも選べたりする。
しかし、よく考えるとあれだけの人数分の3食分の食料を積み込む、というのはえらいことなのではないだろうかと思った。揺れる飛行機の上で給仕をする人たちも「できる」と感じた。
・入国
トロントにつき、入国管理のカウンターに並んで、パスポートと搭乗券、および機内で配られるカナダの入国の紙をそろえて出した。入国管理は何だか不機嫌なおっさんであったが、別にここでも問題は生じなかった。目的も「観光」と言っておけば問題はなかった。ように思う。で、次にぐるぐる回るコンベヤから自分の荷物を見出して、とっとと出て行く。
と、スマートにさくっと出て行きたかったものだが、又もや次なる行動への指標を失う。そこでトイレの個室に入り、スーツケースを開けて本を取り出し、トロントにおける交通機関を探す。
幸いにも、空港の玄関口でトロント行きのバスがすぐに見つかり、ホテルまで直行が可能であった。実にラッキーであると思った。
・北国の春
出発の前に、トロントにいる方に気候の様子を聞いておいた。それによると、あるときはとても暖かく、またあるときはとても寒いのだそうだ。ほとんど何も言っていないに等しい気もしたその情報だったのだが、行ってみると真実だった。
自分がついた日は気温はだいたい10度で、コートも余計と思えるくらい暖かかった。翌日から氷点下8度で雪が降った。そういう中で街を歩いた。この状態で風が吹き付けてきたりすると、もうどうしようもないという感じになる。マフラーに耳あてとトレンチコート、ならびにスキー用の手袋という装備でもなかなか厳しいと感じた。
・ホテルにおける6ボタンパッド
ホテルについて自分の部屋を物色する(変な言い方)。見ると、テレビに6ボタンパッドがついている。これは「スーパーニンテンドー」という「ゲームオンデマンド」のシステムで、その晩しかたなく(何がだ)自分は「スト2」を1時間行った。日本を代表する相撲取りは、張り手と蹴りと頭付きで表の格闘家を撃破することはできたが、裏の世界のベガというオカマ(和名バルログ)を抜けることができずに敗退した。世界の壁は厚い。
そう言えば、出掛けたレコード店の中のゲームコーナーで、セガサターンが売っていて、そこでバーチャファイターという有名な格闘ゲームがデモられていたのだけど、実はまだバージョンが1(日本は2が発売され、すでに3の話も出ている)で、かくかくした人の顔がなかなか懐かしかった。日本のほうが進んでいるのだというのは少し驚いている。そういうものなんだろうか。
・警戒警報発令
初日の朝,寝ぼけていると、朝8時にいきなりサイレンが鳴り響き「火災報知器が反応した。今後の警報に注意せよ」というアラームがくり返し鳴り響く。海外での初めての朝がこれということで、控え目に言ってやれやれと思った。もうろうとした意識で荷物をまとめようとするが、頭も体も動かない。アラームも3回目くらいでようやく意味が聞き取れた、というのは正直言って危ないと思えた。結果的に誤報だったがヒヤリングは命にもかかわるもののようだ。しゃれにならない。
・北米最大の懐
トロントはカナダで一番大きな町らしい。確かに、ホテルから見ると高層ビルがたくさん並んでいて迫力はある。その一方で明治維新くらいの時代の妙に古い建物が点在していて、そちらはそちらでまた趣がある。どれもこれも写真に取ってしまいたいほど立派であった。
氷点下3度くらいの雪の中、出掛けてみるとそこそこの繁華街に出る。「北米最大」を名乗るレコード屋2件をはしごするのだが、自分の欲しかったアルバムはなく、それどころかそのアーチストの名札すら存在していなかった。
これなら石丸電気と変わらないではないか。北米もたかが知れておるわい、と自分はやけになって日本人の輸入品アルバムを買ってしまったのことだ。
あとから思い出すと,むしろ,“日本人の名前なのだが自分のよく知らないアーティスト”がずいぶんいたことに思い当たる.どうも目のつけどころを間違えたようだった.
・パノラマの虚像
日本から使い捨てカメラをいくつも持っていって風景を撮っていた。その中で「パノラマ撮影」というものがあって、これは普通の写真よりも幅広く景色が移せるので昔から気に入っていた。
今回のカメラにも入れてみたのだけど、よく見るとこれに2種類が認められた。一つはむかしながらの「普通の写真で2倍くらいの幅が写る」もの。もう一つは、最近の品で「単に普通のフィルムの上下を遮断して一見幅広い画面に見せておいて、後から横に引き伸ばしてみる」というタイプのもの。前者に関しては問題は何もないが、後者は感心しない製品だった。試しに同じ風景を2種類でとって見る。日本で現像すると、後者のいんちきパノラマは視野角が狭く、普通のショットで入っていた建物の上下が削れている。そればかりか、無理矢理小さいものを引き伸ばしているためにやたらに画面が荒い。
どうしてこういう製品に切り替えてしまったのかわからないけれど、残念なことだと思った。
・早朝のテレビ
時差が大きく、初日をのぞくと朝はどうも早くから目が覚めてしまった。テレビをつけるといきなし「セーラームーン」がやっている。一瞬「ここはどこだ」と本気で自分に問いかけた。当然すべて英語吹き替えであった。朝の5時に異国の地で為すすべもなくこのような番組を眺めている自分に対して「シュールなやつだ」という感想を持つに至る。
・釣りはいらない
ある程度以上の食堂などではどこで食べてもチップを払わねばならず、おつりと言うものを受け取ったためしがない。またチップにちょうどいい程度の小金を持っていないと面倒くさい。これに関しては日本はとてもいい国だ。
ただ、その分のお店のサービスというのは確かに気合が入っていた。食堂で不愉快な思いをしたことは一度もなく、実に快適であった。自分もかつてはああいった食堂の店員のバイトをしていただけにわかるのだけど、あの「プロ」さ加減というのは確かに立派だ。
「これがあなたのチップの分」と言った瞬間に、その2ドルコインを魔法のような速度でポケットにしまい込んだあの手つきもまたプロのそれなのだろう。
その片方で、同じ速度で拳銃とか出された日には、何がなんだかわからないうちにあの世に行っていることだろうという気もした。
・話がうまい
本命の目的であるカンファレンスにて、どの演者も必ずどこかしらにジョークを挟む。ヒヤリングができないのでよくわからないのだけれど、それでも周りの人が笑っているのでジョークに違いないと思う。聞く人を楽しませる工夫、というのをしているようだ。
御大タルビング(有名な記憶研究者)のレクチャー時にはジョークの一環としてわざわざゴリラのぬいぐるみを舞台から登場させ(「もしここでこの会場に何かとても新奇なものが現われたら、私達はそのことを決して忘れないものです。そう、例えば天使であるとか、たとえば、ええ(ここでタイミングをはかっている)類人猿であるとか」この瞬間にゴリラのぬいぐるみが舞台の後ろから登場する。話している当人は決して振り返ってみることはしない)淡々と話をし続けていたたのには驚いた。明らかに、話術における「芸風」という言葉が当てはめられるようだった。
日本であれをやる勇気がある教授が存在するであろうか、と思った。たぶんああいう演出はそもそも思いつきもしないだろう。日本における講演というものは、何かたいそうなことを偉そうに喋るという印象があってあんまり笑いは望まれない。でも日本人も決して「笑い」が嫌いな人たちではないはずなので、「笑うべきところ」と「そうでないところ」と言うのをきちんと分けている、という風に解釈したほうが素直なのかもしれない。
・トロントにおけるお江戸
冬にはとても寒くなるトロントには長い大きな地下街がある。外にでなくても一通りの買い物ができるようになっているわけだ。で、地下街に行って飯屋を探すと、「Edo Japan」という名称のスタンドのようなものがあるのを発見、ためしにそこで昼飯を食うこととした。
内実は東南アジアの人が切り盛りしている得体の知れない無国籍料理だった。自分は「やきそばビーフ」を頼んでみたのだが、鉄板の上にうどんの玉がでてきて、それを味付けしながら炒めてくれて、最後に牛肉野菜炒めを乗っけてくれて出来上がりであった。しかしながら味はそれほど悪くはない。同じ「ジャンクフード」というカテゴリーであっても、アジアのそれにはそれなりの味のある中身が含まれているように思える。
もちろん町中にはサンドイッチのテイクアウトのお店なんかもあって、まずいわけではないのだけど、やっぱり自分はパンというものがあまり好きではないらしくそれほど感心しなかった。
実際のところ、旅行全体を通じて「食い物はどうもジャンクフードっぽい」という印象を持った。唯一の例外は、一日だけトロントを少し離れたところに止まったときのホテルの夕飯と朝御飯だった。肉には肉の味がして、ほうれん草のスープはほうれん草の味がした。実にうまかった.この時は本当にほっとした。
腕のいい料理人さん(というよりは、食べ物を食べ物として作ろうとしている気持ちの人)がいれば地球上どこでもうまいものを食べることができるに違いない、などと考えた。本音を言えば、その土地の材料を使って自分で適当に煮物でも作ってみたかった。もちろんホテル住まいではそうも行かない。
・灰色のポスター
トロント大学の本屋に買い物に出かける。日曜日でも開いているのは大変助かる。大学はトロント市内の中央にあり、ごみごみしたダウンタウンとはまた別な趣がある。どの建物も古い。
大学に行くまでにいくつかのバス停を通り過ぎる。バス停は小さなボックスのようなものになっていて、雨風をしのげるようにできている。そこに一枚のポスターが張ってある。老婆が一人椅子に座っていて、所在なげにこちらを見つめている。「彼女が自分のことを忘れてしまったら。彼女があなたのことを忘れてしまったら」とある。アルツハイマー病についてのポスターらしい。
バス停にこうしたポスターが貼られるということは、この病気はよほど問題になっていて、そうしてそれに限らず老人をとりまくいろいろな問題というのはこの国でとても重くなっているのに違いない。そして、こうした課題に対して「本気で取り組んでいる姿勢」というのもポスターから見えてくる。日本でいくら癌やエイズが問題になったとしてもバス停にポスターが貼られるか、というあたりはどうもよくわからない。
思い返すと、カンファレンスでもこのアルツハイマー病に関するセッションが設けられていた。なんとなく重い。
・先に仕掛けろ!
5日目に向こうのリサーチアシスタントの人にナイアガラの滝を案内していただいていた。いろいろ話し掛けてくれるのだが、実は疲労が高まっていて聞き取れず、ろくに反応できない。そもそも「何について話し掛けてきているのか」というあたりの推測ができない。情けない話なのだけれども、これが事実だった。
ここで気がついたのだが、自分から話し掛ける場合には、そもそも文脈が限定されるわけで、耳で聴いた単語を既存の知識にマッピングすることが比較的容易にできる(探索空間が限定されている)のだ。だから自分から話し掛けたことについてはまだわかりやすいのだけど、むこうから話し掛けられたときにはわからない、という現象が起きることになるらしい。
以上のことから、これからは「こちらから向こうに話し掛ける」という一見積極的な手段を用いて先守防衛に勤めるべきだ、と思うのですね。
・ナイアガラの滝に見るライバル意識
件の有名な滝は思ったほど大きくはない。上から見下ろすだけだったためであろう。アメリカ滝はまっすぐで、カナダ滝は丸い馬蹄形であった。風は冷たかった。滝壺から霧ががもわもわ出ていて「温泉のようだ」と思った。たまたまここを案内してくださった現地の日本人の方も同様の見解を述べていた.
案内してくれたカナダ人はアメリカ滝のことをくり返し「ugly」と述べていた。この後のところでも何回か感じたのだけど、カナダ人はこちらが思っている以上にアメリカという国に対して対抗心を燃やしているみたいだった。カナダの独立戦争のときの話になったら「自分達はアメリカに勝った初めての国だ」と誇っていた。こちらから見ると「何で違う国なのか」わからないくらいに似たような2つの国だと思っていたのだけれど、御当人達はどうもそう思っているわけでもなさそうだった。
その後、Niagara on the Lakeという落ち着いた町に行った。カナダの初代の首都であるらしいのだが現在は観光地になっている。馬車が走っていたりする。土産物屋でマグカップなど「これは」と思ったものの裏を見るとたいていmade in JapanないしKoreaだったのにはやや辟易した。
・人名感覚
その昔日本に引田天功という偉い魔術師がいた。縄抜けとかいろいろとやってみてくれて人気があったのだけど、亡くなってしまったらしい。その跡を継いだのが「二代目引田天功」という女性だったのだけど、どういうわけか日本でその人の噂を聞くことは絶えてなくなっていた。
その人は人気がなくなって引退してしまったのかと思うと意外にそうでもなかったのだったりする。カナダで早朝にセーラームーンを流していた話は前に書いたのだけど、実はそんなもの目じゃないすごいものがあったのだ。
その名は「プリンセス テンコー」。2代目引田天功さんが主役のアニメーションである。話ではすごい人気なのだそうだ。単に「ビッグヒット」とかいうレベルではなく、もう「メガヒット」というランクらしい。基本的にディズニー調の絵で「魔法の宝石」みたいなものを使って魔力を出して悪いやつらをぶちのめす、という具合のお子様向けの番組であるようだった(画面からの推測)。
で、正義のお仲間が窮地に陥ったときにいう台詞が何ともいえない。「お前のようなやつは、プリンセステンコーが正義の魔法でかならず倒すに決まっている」というようなことを英語で言っている(ようだ)。「テンコー」というどう見ても日本人には「女性名」とは思えない名前が「プリンセス」という名称についていることに関して、あちらでこの番組を見ているお子様たちはどのように感知しているだろうか、というあたりが何とも気になって仕方がなかった。
ちなみに、番組の間に生身のテンコーさんがでてくるコーナーが設けられていて、そこでお子さん相手にカードの手品なんかをやっていた。そのときの化け物のように濃い化粧は、私に微かな恐怖感を抱かせた。ラスベガスとかで活躍中らしいのだけど、やっぱりそういうものなのだろうか。
・うねうね
いきなり帰りの話になるのだけど、機上、下を見ると河がたくさん流れている。その流れ方が普通ではない。水量がある程度あって、かつほとんど傾斜のない平らな場所であるせいだろうか。とにかくどの河もひたすら右に左にくねってくねっている。そうなると当然「三日月湖」なんかができるわけだが、そのでき方もまた半端ではなく、あまりにうねうねしすぎてそれがもうずっと昔から起きてきたわけなので、河の回りはどこも三日月湖でだらけである。くねくねしすぎて四重、五重になっている三日月湖もあってもう干からびて痕跡になっているものすら見えた。
何だかわからないけれどもすごいところだと思った。
全体として、飛行機の上から世の中を眺めるのは悪い気分ではない。自分がただ椅子に座っているだけで世界を移動して行ける、というのはどんな乗り物でもあてはまることなのだけれど、飛行機のようにガラス窓を隔てて見えているその世界が普段目にしているそれとはあまりに異なっていると「自分は何だかすごいことをしているものだ」という思いが湧いてくる。
もちろん普段の仕事だって椅子に座っていることが多いわけで、おまけに地球はマッハ3程度で回転運動をしながらマッハ90で太陽の回りを公転しているわけなので、考え方によっては普段のデスクワークというのもなかなか楽しい気分になれるのかもしれない。
・助からない
行き帰りとアラスカ上空を飛んだのだが、実はこれがもっとも感慨深かった。とにかく雪また雪また雪の果てのないくり返しである。見下ろすと、低く見積もっても1000メートル以上の険しい山々が、雪の中に「沈んで」いる。本当に、山の尾根が丸ごと雪の海の中にすっぽり埋もれていて、尾根の間の谷がない。「苗場120センチ」とかでうれしがっていてはいけないのだろうと思った。こっちは「アラスカ1200メートル」なのである。
万一飛行機が落ちても雪の上に不時着はできそうだが、その後生き残るのは絶対に不可能だろうと本気で思った。地上は氷点下20度以下、周辺100キロには人っ子一人いない。「シベリア送り」「アラスカ送り」という言葉の意味が体感できるのだった。
・免税店の掟
行きの便は成田トロント直通だったのだが、帰りの便は途中カルガリというところに立ち寄って1時間ほど止まっていた。そこで暇な観光客一味はすかさず空港の免税店に出掛けていって品物を買い入れる。自分も同様に行動してみた。そこではじめて中途寄港の免税店というところでの買い物のルールを知った。
まず物を買うと、何やらパスポートを見せて、それから何かレシートのようなものを渡される。買ったはずのブツは手元に残らず、いったんどこかに消える。搭乗ゲートで佇んでいるとしばらくして一味が購入したものがまとめて運ばれてくる。レシートのようなものと引き換えに自分の名前のものを受け取る。という手順であった。
この面倒な手続きの理由は、たまたま隣に座ったツアーの添乗員さんに伺ってやっとわかった。免税店で買ったものはその国の税金がかかっていない。だからそのまま空港の出口のほうに持ち込んでもらっては困る。というわけで、必ず飛行機のお客さんであるという証拠を示し、かつそういう場所(この場合搭乗ゲート)で受け渡す、という仕組みなのだそうだ。
実はこの時、自分はそうしたシステムにおいてお金を払うのに必死で「自分が買ったものがどこに行ったのか」ということを失念していた。後から名前を呼ばれて「そう言えばあのとき買ったものはどうしたのだろう」と思い出した体たらくであった。
この時のキーホルダーには自分の部屋の鍵をつけている。裏にはまだ「6ドル」の値段シールが張ってある。うまく取れないのでしばらくこのままだろう。
・オホーツク海上空高度15000メートルにおける遭遇
帰りの飛行機にはどういうわけか日本人のツアーの一団が乗り込んでおり、私は座席が偶然その中に取り込まれた形となった。
私は窓側で、景色を見ながらのんきにくつろいでいたのだが、ツアーの中でその景色を見たいと思った人がいたようだ。トイレから帰ってくると私の席の隣に初老のおばさんがいて、私の席のほうに乗り出して窓をのぞきこんでいた。で、私に向かってこう言った。
「あれが流氷とばい」
真上の九州弁と言うものを生まれてはじめて聴いたのが、オホーツク上空だったというのもなんとも感慨深かった。
・遠い道
成田についてから筑波までの直通バスで2時間半待たされた。ここまで来てどうして、と思うのだが、すでに次の便まで満席でということらしい。日本についてからの体力を残しておかねばならないのだ、ということを学習した。
しかたなく?空港で漫画雑誌を立ち読みしていると「確かに日本に戻ってきたものだ」という気になってくる。思い返すと、あちらにはいわゆる漫画雑誌と言うものがなかった。旅行中に見たいくつかの日本製アニメないし特撮番組(仮面ライダーなんかもやっているらしい)なんかのことも含めて、こういうものが真の「日本の現代文化」なのだろうと思った。「すし」とか「からて」とか、まして「げいしゃ」なんてものはかつての「Japan」の産み出したものを単に形として消費しているだけの話で、ちっとも現在の日本の産物ではない。あの手の「文化ブツ」を熟知して「日本通」という名称で呼ばれている人も多かろう。この国に対しての彼我の認識にはかようなギャップがあるわけで、互いの距離は思ったよりも遠いのかもしれない。
とは言っても、同じことは自分達が他の国を考えるときにあてはまるわけなので、こういう「文化の相互理解」というやつについては「皆さんお互い様」というあたりで手を打つ方が無難かもしれないのですね。
・日本の味
空港についてバスを待っているとき無性にのどが渇いた。さて何を飲もうと自動販売機を眺めていると「そう言えばこれは日本にしかないものだった」という代物を再発見する。「オロナミンCドリンク」である。
コーラ紅茶コーヒーは当然として、日本茶も中国茶も、普段自分が飲んでいるようなものはたいてい旅行先でも飲めていた。しかしこれだけはなかった。無理矢理に「日本の味」といえば言えなくはない。そう思って帰国第一弾はこれにした。
とはいえ、別段オロナミンCを普段から好んで飲んでいるわけではぜんぜんないわけで、また特にうまいとも思わず、淡々と液体を消費した。
筑波に帰りついてから、真っ先に飯を食いたくなって出掛けたのがラーメン屋「大元」であった。どこが「日本の味」なのか、という感じもするわけだが、しかしそういうものが食べたくなったのが真実だった。考えてみると、刺し身とか天ぷらとか味噌汁とか、そういったいわゆる「まっとうな日本食」などと言うものは普段の自分の食生活からとても遠いところにある。日本にいようといなかろうとそれほど関係ない。東南アジア系の調味料やらスパイスやらを使用して無国籍料理を作って一人で食べて暮らしている自分のような人種には、実は件の「Edo Japan」あたりの品がもっとも懐かしい味だったのかもしれないとも思う。
食に関しては、つくばにいても「日本」というところは遠い国のようだ。
・28hours
帰ってきたのが火曜日で、その週はほとんど寝ぼけていた。金曜日あたりになって「そろそろ立ち直ってきたかな」と思っていたのだが、土曜日から日曜日にかけてどうも眠くて眠くて仕方がなく、欲求のままに寝ていたところ、気がつくと連続で28時間ほど眠っていた。事実上日曜日は存在しなかった。
疲れていたのだろう、とあらためて感じた。単に身体の疲労ではなく、脳の言葉を処理する部分がずいぶん酷使されたために違いない。鍛えられたと言えばそういう風にも解釈できるようだ。この効果をなるべく長く持続させたいものだがどうしたものだろうかと思っている。
いつかまた海外に行くことがあるときには、もう少しましな言語能力を持って出陣したいものですわい。
以上です。あんたはカナダくんだりまで行っていったい何をしてきたのか、と思われるかもしれませんが、まあえてしてういうものなのです。
<完>
go up stairs