二つの国民食


  ある日,都会の本屋でいわゆる「グルメ本」のコーナーを眺めていたと思い ねえ.
  いつものくせで,カレーやそれに関する書籍を探していたわけだ.
  ところが,そこにはカレーの本がたまたま一冊もなかった.その代わり,どういうわけか,ラーメンの本が何冊も並んでいたりした.

  これはどうしたわけだ,と俺は思った.
  別に俺はラーメンが嫌いなわけではない.うまいラーメンというものは本当にうまい.昔友人に連れていってもらった神奈川の綱島の道端のラーメン屋は本当にうまいと思った(もうなくなってしまって久しいらしいが).世間でさまざまなラーメンの名店があるのも理解できるし,長い間行列に並んで偏屈なおやじに不条理におこられながらもぜひ食べてみたいと思う人々の気持ちもわかる.
  とはいうものの,この状態は何かおかしいような気がした.
  同じように「国民食」と呼ばれているカレーとラーメンの両者において,どういうわけか,ラーメンの本が多い.

#「国民食」という表現には多少問題があるのかもしれないが,ここでは,“値段 が安くて誰でも食べることができて愛好されている”食べ物,という程度で考え ている.「そば・うどん」が国民食であるか,ということについては「多分そう だろう」と思う.が,「カレー・ラーメン」の愛好のされ方とは多少性質を異に しているようにも思える.強いて言うのであれば「伝統的なものでなく,むしろ 近代になってからの食物」という側面が強調されるのかもしれない.

  あらためて眺めてみると,そこに並んでいるラーメンの本には一つの特徴があった.
  すべて,お店の紹介だった.
  たまたまそのコーナーがそういう「うまい店紹介本」コーナーだったということももちろんあるだろう.しかし,その同じコーナーにカレーについての本は一冊もないのだ.すし屋や和食,フランス料理屋の店舗紹介はあるというのに.実はすでにすべて売り切れてしまってもうないのだ,という可能性もなくはないが,いかにカレー贔屓の俺としても,楽観的過ぎる考えであろうかと思われた.きっと初めから存在していないか.あるいはあったとしてもとても数が少なかったのに違いない.
  これについて,自分なりに考えてみた.

  ラーメンは,家庭で本格的に作るというのはまず困難だ.インスタントラーメンという商品も確かにあるが,あれはおそらく「ラーメン」とは別の食品であるという認識が広まっているのではないだろうか.インスタントラーメンは,外食でプロが作るラーメンとは明らかに異質なのである.だから,必然的にラーメンの本は店舗紹介が中心となる.しかも雑誌の特集などでは頻繁に組まれるし,日本各地に「ご当地ラーメン」なるものまで出現している.一方,家庭で作られるラーメンは大半がインスタントだろう.

  カレーというのは,もちろん外食で食べるメニューでもあるが,しかし,現在ではレトルトパウチの商品や,あるいはカレー粉やカレールーといった商品が出回っており,基本的に「家で食べる」メニューになっている.カレールーで作るカレーは,外見は外食のそれと区別がつかないことがある.下手をすれば,外食のそれと味もたいして変わらなかったりする.なので,カレーの本は,店舗紹介もあるけれども,それ以上にレシピの紹介も多い.またスパイスを絡めた世界史のお話もよく登場する.カレーの本は,内容が広い.ある意味で散漫なのかもしれないと感じるときもある.雑誌の特集もときおり組まれるけれども,ラーメンほどの頻度はないのではなかろうかと思う.

  カレーとラーメンは,同じ「国民食」という名称で呼ばれて親しまれていても,その位置づけは明らかに異なっているのだろうと俺は思った.

  ラーメンは,プロが作る味を楽しむ,外食としての国民食.
  カレーは,家庭で作る味を楽しむ,家庭食としての国民食.

  簡単に書いてしまうと,現在の日本では「おふくろの味カレー」はあっても,「おふくろの味ラーメン」というのはあまり聞いたことがない,ということだ(あったら申し訳ない).



  ラーメンは,中国を発祥の地とする(あるいはさらに西方に起源を発する)汁の多い麺類である.
  ラーメンの基本構成要素は,小麦粉と卵などによる麺と,そしてそれをとりかこむスープであるとみなそう(異論はあるかもしれないが).それに加えて,麺の上部に安置される種々の具,特にチャーシューという肉が目立つ.それら3要素のうち,なにが決め手なのかと考えると,それはおそらくスープであろうと思われる.

  一方,カレーは,インドを源流とするスパイスの泥である.
  基本要素としては,液状ないし半固体状のルー部分(ここで言うルーは,市販のそれではなく,いわゆる「カレー」部分一般の意味),そしてその内部にいれるさまざまな具,そして,ルーおよび具とともに摂取する米ないし小麦粉加工物である.カレーの性質を決定するのはルーであるのだが,実際には具の占める割合が大きい.米ないしナンなどの「一緒に食べるもの」は,どちらでもいいといえばどちらでもいい.決定的なのがルーにおけるスパイスである.

  ラーメンで問題になるスープについては,専門店舗では大きな鍋にさまざまな骨や野菜や乾物などをいれて煮込む.そのスープの作り方は,素人にはとてもとても手が出せない印象があり,また実際に店によっては「秘伝」であったりする.素人が作ってみても,まず太い骨をのこぎりで切ったりするところから苦難が始まり,大鍋で長時間煮込こむのはとても手間がかかる.成功するかどうかは危ういものだ.

  それに対して,カレーについては,市販ルーを使えばあっけない.あるいはそうでない場合でも,まずだいたいは玉ねぎを炒めるところからはじめる.その炒め時間も「キツネ色になるまで」という表現がなされる.小一時間,長くて二時間程度だろう(もっと長く炒めなければ本物のこくは出ない,という意見もよく聞くのだが,たとえばインドの人々がそんなに一日中玉ねぎを炒めて続けているわけではないだろうと思う).それだけで十分に雰囲気がでる.カレー粉を使ってもいいし,またスパイスを適当に砕いて入れればそれでもいい香りがでる.後は「適当にとったスープ」をいれ,好きな具をいれ,煮込んでいればまず失敗しない.また,市販のルーを使っていても,各家庭でのちょっとした創意工夫を取り入れられる程度に懐も深い.

  結果として出来上がるものを食べてみて,玄人と素人の腕の差がはっきりとでるのは明らかにラーメンである.カレーは素人が作っても食べられる物ができてしまうし,また専門店でもそれほど特別な味ではないこともある.

#なお,スパイスの利用から,カレーは「香り」の要素が大きい.ラーメンは「臭い」だが,カレーは「香り」である.



  ラーメンの不思議な点は,妙な中毒性である.骨髄などでこってりしたダシをとった濃厚なスープを使ったラーメンは,一度食べたら病みつきになる.繰り返し繰り返し食べたくなる.くせになる味というものがあるのだ.一度食べると,その味のイメージが心の中に浮かんでくる.

  カレーも,薬効成分のあるスパイスを多用しているためか,ときおり無性に食べたくなることがある.しかし,実のところうまいラーメンほどのインパクトはないのではないか,というのが俺の印象だ.

  ただし,上記の相違は本質的なものではないとも思っている.なぜなら,ラー メンはスープのダシにポイントがあり,カレーはスパイスの配合にポイントがあ るのだとすれば,両者の相違は対立するものではない.ラーメンの濃厚なスープ にスパイスを混ぜ合わせてカレーを作れば,それはとてもすばらしいカレーになるのではないかという気がしている.きっと,二重の意味で「くせになる味」が出来上がるのではないだろうか.

  それを裏づけるといえばいえなくもないのだが,最近「カレーラーメン」的 なインスタント食品がいくつかのメーカーで出はじめている.もともと東南アジ ア地域ではカレー麺が愛好されているわけだし,俺の住んでいるこの東の島国で も,二大国民食である両者を一緒にしてみるという考えはそれほど珍しいものではないだろう.しかし,まだ専門店がカレー麺を「日本人的に」きちんと作りあげているという話は聞かない.

  いつか,誰かが完成させてくれないだろうかと俺は期待する.ラーメンの専門家であり,同時にカレーの愛好家であるようなこの島国の誰かが,すばらしい濃厚なラーメンスープに,細やかに調合された本格的なスパイスを大胆に投入した,二大国民食の「夢の競演」の一皿を作り上げてくれることを.麺であえて食べてもよし,ライスで食べてもよし.ベースがきちんとできていれば,具は何でもいい.そういうものを食べてみたい.

  そして,その時こそ,数千年の時を越えて,この極東においてインドと中国(あるいはさらに西方の土地かもしれない)が真の食物文化の合体を果たすのだ.

  果たすといったら果たすのである.

<完>

2001/01/01


追伸
 この文章を書いてほぼ4年後の2005年9月に、食の雑誌「dancyu」が“「カレー ラーメン」が来た!”という特集を組んだ(2005年10月号)。これ以外では カレーラーメンの特集を組んだ雑誌を自分は知らない。

 そこでは、日本におけるさまざまなカレーラーメンを紹介していた。主として 北海道と東京の店を紹介していたが(あとは京都と大阪を少しだけ)きっと 他にも地方にはたくさんの味があるに違いなかった。また、森枝卓士、小野員裕、 水野仁輔というお三方が各々作成されていたカレーラーメンはそれぞれに 手法が異なり、ベクトルの異なるおいしさが見えていた。
 総じて、カレーラーメンにはまだまだ先があると感じられた。今後とも 注目していこうと思う。

2005/09/17


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