ショートドキュメンタリー「1995マック日記」


 1995年のある日、お師匠様が、Macを使いたいとおっしゃられた。
 そこで、私はその当時実験室で使っていたSE/30をお師匠のお部屋に移動した。
 PC9801から移行されるおつもりなのである。

 このショートドキュメンタリーは、お師匠が、はじめて触れる“Macintosh”パーソナルコンピュータという環境刺激に対して、どのような反応を示していったのか、のアバウトな観察記録である。

 どうして今になってこんなものを、と皆様おっしゃるかもしれないが、特段の理由はない。 ただ古い文書を眺めていたら、こんなものが発掘され、埋もれさせておく のは少し惜しい気がしたので、なんとなく公開してみる。

 もう7年も前のことなので、今となっては、という内容もあるが、新しいイン ターフェースに対して人間がどのように対応するのか、というよいサンプルになっ ているような気もする。




5月某日 天気曇り

 先生にマックをお渡しする.先生喜ばれる.何か仕事ないかな,とマシンの前 に座っておられた.とりあえず,「これが使いたかったんだ,これだけでいいん だよ」とおっしゃるところの“インスピレーション”の使い方をお教えする.

 問題点として最初に見受けられたのは、マウスの使用が困難なご様子であった.まずダブルクリックができない.手首に非常な力が入っており,「とても疲れる」のだとおっしゃっていた.実際に開くところを拝見したが,しりあがり寿の描くところのあの「ふぁいる,おーーっぷーーん」と叫ぶおやじさんを髣髴とさせた.

 またそのせいか,わかりやすくするためにデスクトップに置いておいたはずのインスピレーション本体をごみ箱の中に誤って捨ててしまい,起動できなくなってしまうという珍現象に出会う.「全く動かなくなっちまったよ」と大弱りの御様子であった.ごみ箱からものをもう一度拾い上げるということに抵抗感がおありなのだろうか,「捨てたものはごみ箱を開けて取り出せる」ということはなかなか覚えようとなさらない.

 これまで先生がどのように「ファイル」というものを認識なさっていたのが,そのへんが問題になるのであろう.場合によると,マックの「ものメタファー」がかえって抵抗になっている可能性がある.フロッピーとハードディスク内部のファイルの区別も,やや混同されているようだ.

 マックのファイルは「フォルダー」とその中にあることの多い「アプリケーショ ン」ならびにそのアプリと結びついた「データファイル」の3種類がある.まず, これまで(先生はPC98ユーザー,というより実際にはほとんど一太郎3とNifty の通信ソフトのみ)はアプリを先に動かして,そこからファイルを呼びに行く,というものだったのだが,今回はファイルをクリックすれば自動的にアプリが立ち上がる.そのあたりのご理解が難しいらしかった.

 夕刻,こちらのマックで何とか印刷にこぎつけるべく奮闘なさっておられたが,残念ながらそもそも作られたファイルをフロッピーに落とし損ねておられたようで,こちらでフロッピーを開けても期待しておられたものが何も入っていなかった.私の実験の時間が来たので出て行かれたが,少し悲しがっておられたようだ.

 本日第1日目は以上である.



5月某日 天気曇り

 本日もあまり天気はよろしくない.

 午後1時半,先生がいらしてやはりわからないとのこと.うかがうと,作ったファイルをフロッピーに移すということができなかったらしい.説明で,デスクトップに置いてあるものはハードディスク中に保存されている,ということをご理解いただけたようだ.

 その後こちらのマシンで印刷を試されているが,やはりマウスの操作が困難で,印刷をするためのメニューを開くのが一苦労のご様子であった.ショートカットをお教えはしたが,「いいや,めんどうだから」とのこと.確かに,ともかく今はメニューからの操作になれていただく方が先だろう.

 インスピレーションは,SE/30上ではある文字数以上を入力するとハングするらしい.その対策に用いたアプリの強制終了のボタンをお教えしておいたのだが,それは不思議とよく覚えておられる.

 アプリの操作に関しては,私自身も試行錯誤で解明していったわけで,それはそれでよいのではないだろうか.ただ,網掛けをやるときにどのメニューを選択したらよいのか,あるいは「網掛け」をこのアプリでは何という用語で表しているのか,というところを知るのは難しいだろう.

 しかし,調べて行かれるうちに,矢印を使わない線の引き方を発見なさった.私も知らなかったのでこれは新しい知見である.

 また,日本語の入力が画面右上のアイコンで表されるモードでわかることをお教えしたが,「そんなんわからんよ」というご返事で,確かにごもっともと思われる.

 ともかく全般的に「なかなかいいよ」とお喜びであった.



5月某日 天気曇り

 しばらく日記を付けていなかったので,まとめてつける.

 あれ以降,それほどの進展は示しておられない.ただ,マックのキーボードには抵抗感がおありのようで,それは私自身も初めのうちに非常に感じたことなので,理解できる.だいたいバックスペース機能が「Delete」キー,というのはいかなることなのだ.

 矢印の引き方に関して,「まず初めに引きたい対象のオブジェクトを指定してからでないと,操作メニューが反転しない」というのは,ある意味で合理的なのだが,しかしまず初めにともかく線を引きたいのだ,と言う感覚で仕事をしている場合には(と言うよりも,以前使っていたソフトはたいていそういう感じなので刷り込まれている)操作法がまるでわからなくなる.マックは操作全般にそういうところがあり,慣れるまでなじみにくいものと考えられる.

 これは、ある面では「日本語的な思考法」ではないかと思われる。「山田に会いたい」というのは、まずはじめに対象の「山田」を指定して、それに対して何をするのか(「会いたい」)という指示を出すわけだが、Mac的な操作法もそれに近い。一方で、これまでのPC98のソフトの大半は、“I want to meet Yamada”であり、はじめに“meet”という指示を出しておいて、その対象を“Yamada”と指定する。どちらもどちらで、単なる慣れの問題かもしれない。しかし、考え方の変化としては大きい。

 他の院生から見ても,先生はとても浮き浮きしておられる,とのことであった.「マックだよ,マック」と述べておられたということから,実はこれまで使いたくて仕方がなかったのではないか,と言う印象を持つに至る.これまで自分ばかり使っていたので、何だか申し訳ない.

 夕刻いらして,今度はワープロをお使いになられないとのこと.マックライト2が入っているので,それをお使いになっておられる.こちらで印刷されたかったらしいのだが,やはりフロッピーに入っていない.不思議な現象だ.また,フロッピーを取り出す方法を完全に忘れておられて,「ごみ箱に捨てる」と言うことをもう一度お教えしたら「本当にそんなことして大丈夫か」と心配なご様子である.確かにこの点はアナロジーとして不完全である.

 しかしながら、以前、私の修士論文のデータフォルダを“試しに”丸ごと「ゴミ箱」 に捨てられて、さらにご丁寧にも“試しに”「ゴミ箱をからにする」を実行していただいて以来、お師匠なりに用心深くなられているようで、安全の面からはよいことなのかもしれない。

 また,ワープロファイルの保存が別なフォルダーになっていたので,結局どこに保存されるのか,の部分で理解が難しかったらしい.また,フロッピーから立ちあげた場合にはそのままフロッピー内部のファイルに上書きされる,という概念そのものが「こいつは便利だね」ということであった.



7月某日 天気晴れ

 インスピレーションに大きな文字が入らないので,「こいつは使いものにならないねえ」とぼやいていた.フォントの大きさを変える方法をお教えするべきだとは思うのだが,とりあえず混乱しそうなことはしないようにした.



7月某日 天気晴れ

 フロッピーディスクドライブが一つしかないMacで、フロッピーからフロッピーにファイルをコピーする,という行為が難しいようだ.確かにわかる気がする.一度ハードディスクの中にファイルをコピーしてから,新しくフロッピーをいれ,そのファイルをコピーする,という手順は確かに面倒くさい.さらに,メニューのところの「ディスクのイジェクト」という項目は問題があり,あれはメモリーのイメージの中にディスクを残したままにするわけで,よろしくない.どうしてあんな項目が必要なのだろうか.

 また、フロッピー内部のファイルを単にデスクトップに移動した場合,ディスクをイジェクトするとその移したファイルごといなくなってしまう.これもどうも説明しにくいじゃないですか.

 今さらのように,フロッピーの中の文書ファイルからハードディスクの中のア プリケーション本体が立ち上がる,という概念を「修得」され,これはオブジェ クト指向だねえ,と感心しておられた.

 また,実は前々からウインドウの移動の仕方がわからなかったようで,ウイン ドウの上のバーを「これは取っ手のようなものだと思って下さい」と説得した結 果,何とかうまく移動が可能になったようだ.しかし,それでは今までどうやっ て使っておられたのだろうかと疑問になった.



10月末某日 天気晴れ

 私が急遽就職することになり、最期に先生にEudora の使い方をお教えした。セッティングは一応済ませてしまい、後は使うだけ、と言う条件にしておいたのだが、これが不思議なことにトラブった。ある先生のアドレスだけが送れなかった。わたしが代理で出した場合には送れていたし、後からもう一度アドレスを書き直したら素直に送れたところを見ると、どうもアドレスの中に全角文字かなにかが入っていてそれが悪さをしたのかもしれない(そうは見えなかったのだが)。Eudora はシステムを7.5.1に変えてからどうも微妙に画面表示が壊れるときがある。その関係かもしれないと思った。

 しかし相変わらず先生はマウス操作に慣れておられないようだ。もしかしたら、画面表示を縮小している(17inchを19inch相当に)ので、マウスカーソルが見えないのかもしれないと思う。

 最後に、新しいマックを注文した。今主として自分が使っているパワーマックは先生が使い、そのかわりに学生さんは新しい機種を買うことにした。問題はないだろう。と思いたい。



お師匠について

 最後にお断りしておくと、お師匠様はコンピュータの素人ではない。それどころか、大学の中では率先してコンピュータを使い、かつてはパンチカードを使った多変量解析を特技とされていた。大学内部でもパーソナルコンピュータを早くから使いはじめた方で、IBM5550ワークステーションでお仕事をされていた(あのキーボードは素晴らしかった)。ネットワークに対しても先見の明をお持ちで、パソコン通信時代からNiftyのユーザであり、また筑波大学心理学系へのネットワーク導入の音頭を取られた方でもある。

 現在は、インターフェイスの研究の心理学方面での第一人者であり、認知的な表現手法の研究をされておられ、その方面の本を何冊か出してもおられる。

 このお師匠の経歴をもってしても、異なったインターフェイスへの乗り換えは困難を極める、ということが、このドキュメントからは窺えたのではないかと思われる。「素人にもわかりやすい」とされるMacのGUIであっても、異なった内部モデルを持った操作者に対しては、むしろ抵抗感を生じさせることがよくわかる。

 今回の観察は、万人にとって使い易いインターフェイスなど存在しない、ということの再確認になった

 また、今(2002年)となってはお師匠も十分にMacを使いこなしておられることは念の為に申し添えておきたい。

 確認はしていないのだが、お師匠様のことなので、多分そうに違いないのである。


以上
2002/03


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