大阪迷走記録


副題 「実録 梅田地下オデッセイ」(嘘度高し)



 今回,学会で関西地方(主として大阪)に出向くことになった.自分は関西は初めてだ.
 そこで,いつものようにメモをとりつつふらふらと旅行をしていった.大阪にはうまいものがたくさんあるのだという話を聞いていた.楽しみに出かけていって,いろいろうろうろしながらものを食べて飲んでみたいものだと思っていた.堀晃さんの「梅田地下オデッセイ」の舞台となった梅田の地下街にいくのも楽しみであった.

 それにしても今回はよく迷った.さ迷える中年の日々だった.




<第1日>

 始発の常磐線で上野に向かう.が,その前に名刺をきらしていたことに気がつき,あわてて職場に寄る.幸い以前紙っぺらにプリントアウトしておいたものがあったので,それをカッターナイフで切り分けて善しとする.どうせたいした肩書きでもないのだから,こんなものでちょうどいいのだ.10枚もあれば用も足りるだろう.こんな紙切れをもらった人はいささかがっかりするかもしれないけれど,まあ勘弁して欲しい.最低限の情報は書いてあるし,まあいいんじゃないか,と自分を納得させる.

 列車で上野について,続けて東京に.7時過ぎにひかり号に乗り込んでそのまま大阪に向かう.ひかりものぞみもほとんど止まる駅は変わりなく,いずれにしても我が故郷静岡県は路傍の石の如く黙殺される.

 うつらうつらしながら10時過ぎに新大阪に着き,さらに大阪駅に向かい,まずここで迷う.事前の知識があまりなかったため,どこの駅でどの列車に乗るべきなのか,というあたりを追求するのに時間を費やす.そして追求の成果が出てからまた迷う.

 この後も何回も感じたのだけど,大阪の駅(梅田地下街も含めて)の表示は,駅の構造の複雑さに比べて不親切な感じがする.矢印の方向に歩いていっても,いつのまにかそれがどこに行ったのかわからなくなっているということが何回かあった.

 結局目的地,甲東園の関西学院大学にたどり着いたのは午前中のセッションが終わる直前の11時40分であった.一つのポスターのところで何となく有意義な討論ができたのでまあよしとしたいものであろうよ.


 午後はなんとなく「脳と行動」という感じタイトルのところに出向いてみたのだけれど,ほとんど動物の話だったので自分にはあてがはずれてしまい,早起きのせいもあって眠ってしまった.


 夕方になって大阪に戻り,梅田の駅の近くで明石焼きといか焼きを食べ,早くも大阪の旅の目的の一つは達成された,と勝手に判断した.
 明石焼きはなかなかよろしかった.だしにつけて食べるやわらかい卵焼きで,中にはタコが入っている.だしが少し濃すぎる感じがしたが,それはそれでいいだろう.いか焼き,というものは自分の予測と異なっていた(イカを丸ごと焼いたものを想像していた)のだけれど,しかしいかの入ったお好み焼き,という感じで喜んでたべた.

 次いでホテルを探した.学会周りのホテルがやたらに値段を張り上げていたので,いやになってしまっていた.学会関連の連絡で回ってきたその値段は,自分が事前に調べておいたそのホテルの値段の倍であった.ばからしくなって,少し遠くても大阪のカプセルホテルあたりに泊まってしまった方が楽だろうと思った.

 ということで,梅田地下街の本屋に入り,それらしいムックを手に取ると,幸いなことに大阪のカプセルホテルが地図入りで掲載されていた.よくよく見てみると,新大阪の駅の中にうち一つが見出された.駅なら探すのも楽だろう,ということで電車でそこに向かった.


 駅ビルの中にある,という記述ではあったものの,実際には駅ビルから一旦外に出ないと入ることができない,というちょっとしたトリックのためにここでも少し迷った.まあこのくらいは仕方あるまい.値段はやや高めで3900円であった.サウナはなくて,その代わりとりあえず風呂は無料ではいれる.テレビは300円くらいで時間の制限はなかったのではないかと思う.ここの問題点は空調で,カプセルの中の空調が効いていない.穴はあるのだけれど,何も出てこない.結果として非常に暑くなる.しばらくは耐えていたのだけれど,夜半あまりのことにフロントに文句を言いに行った.「カプセル内の空調が効いていない」というこちらの主義主張に対して,向こうは「それはそうや」ということをぼそっと口走っていた.意図的に手を抜いているのであるが,抜く場所がちょっと違うだろうよ,と思った.カプセルを格納している空間の空調は効いているのだけれど,その空気はカプセル入り口の簾を下ろしてしまうと全く入ってこない.どうせならせめて逆にして欲しいものだ.枕も薄くて平べったく,眠りにくかった.
 その晩は参りつつ,あまり眠れなかった.



<第2日>

 二日目には学会にはあまり興味あるものはなく,このタイミングを見計らって自分は宝塚に出かけることとしていた.宝塚には“あれ”がある.

 宝塚の駅を降りて,遊歩道をしばらく行くと,右手に有名な宝塚歌劇の劇場がある.左手には遊園地.そんなところを過ぎて少し歩くと,それが見えてきた.

 宝塚市営「手塚治虫記念館」

 手塚さんの記念館を,“市”が運営しているのである.すばらしい.
 入り口には火の鳥が立っている.壁にはいくつものキャラクターが浮かび上がっている.さらに,入り口の通路にはハリウッドよろしくキャラクターの手形足型が押されている.なかなかいいぞ,と思った.

 中に入ると券を買い,入り口のお姉さんに「撮影はどうなっているのか」と訪ねると,「自由にしていい」とのことだった.実際にはフラッシュのついていないカメラだったので,それほどは撮影はしなかったのだけれど,それでもありがたいことだと思った.
 入ってすぐ左手,カプセルの中に手塚さんの歴史が展示されている.自伝マンガで読んでいて知ってはいたものの,本当に小さい頃から漫画を描いている.ストーリーを生み出す才能なんだろうなあ,と感心しつつそれらを見回っていると,隅の小さな劇場で映画が始まった.「都会のブッチー」というもので,宝塚の歌劇のスターと街の芸術的な浮浪者(とでもいえば良いのなあ)を絡めた10分ほどの小品だったのだが,面白かった.お話も楽しく,よく動いていたし,音楽も良かった.ああいう小品を作らせてもうまいというのは全く隙がない.

 作品の途中で数人のおばさん達が席を立って出ていってしまったのだけど,あの人たちは何のつもりでこの記念館に来ているのだろうか,と少し疑問になった.前に一回見ている,ということなのだろうか.その前後の行動から鑑みても,だいたいあの人たちは手塚さんの漫画を読んでいるのだろうか,というあたりから疑問になるような人たちだった.まあこんなところで文句を言ってもしょうがないけど.

 2階にはお土産屋さんがあり,自分はポスターを2枚と,絵葉書を何枚か買った.それから年表を見て,あらためてこの人がどれだけの作品をこなしていたのかを知ることになる.人間業とは思えない.一方で,自分のしている仕事の少なさを自覚する.

 アニメの実験的な作品がデータベース化されていて(そのインターフェースにもアトムとお茶の水博士が出てくる凝りようだ),そこで過去の作品の多くを見ることができる.自分は“おんぼろフィルム”というものを見たかったのだけど,どうも何回やっても“利用中”となっていて目的を達することができなかった.少し残念に思った.

 一角ではなぜかドラえもんの特集をしていて,生原稿を展示していた.カラー原稿の着彩は実にきれいでほれぼれした.地下1階におりると,そこには手塚さんの人形があって,さらに簡単なアニメーション制作の体験ができる,ということだった.


 12時にそこを辞して,一応学会に行く.知り合いの発表を少し見てみるが,ジャンルが違うのでいささか理解が難しく,全体討論の時間には逃亡した.
 たまたまバスで一緒になった研究所の方に晩ご飯をごちそうになる.ありがたいことだ.今回の旅行で,人様と一緒に御飯を食べたのはこれが最初で最後だった.投稿している論文になかなか返事がこない,という愚痴を述べつつお好み焼きを食べていた.


 その晩は,梅田のカプセルホテルを探して放浪した.件の地下は広く,方向がわからない.地図を見て,確認をとるのだがその度にどうもわからなくなる.出たり入ったりして1時間迷い,最後には何とかたどり着いた.
 カプセルは2600円くらいで,安いのだけれど,風呂はシャワーである.まあこのシャワーは無料なのでよしとしたい.歯ブラシは200円で高い.
 ここの問題は,カプセル内の空調であった.またもや,という感じなのだが,今回の方は空調がききすぎていて寒い.カプセル内の穴から猛烈な勢いで冷えた風が出てくる.昨日といい今日といい,全くバランスが取れない.仕方なく,その穴の出口に衣服を詰めて,風を少なくしたのだが,それでも寒い.リネン室から勝手にもう一枚毛布を拝借して難を逃れた.
 布団さえきちんとしていればそれなりによろしく,快適に眠った.
 しかし,この頃から腹の調子が悪くなっている.



<第3日目>

 この日が自分にとっての学会の本番で,朝から記憶三昧であった.それはそれでありがたい.「本当の記憶とは」から始まって,自分のポスター発表,次いで「記憶と自己」というタイトルの集まり.

 自分の発表は1時からで,在籍時間は2時からであったが,一応最初から最後までいることとした.ポスターを人に手伝ってもらいながら張ってしばらくして,同じく確信度をテーマにしている方と話し込む.それから他の大学の方らしい人々がいたが,こちらに目もくれず何事かつぶやいて去っていった.

 それからが面白く,いきなり警察関係者の方々に囲まれる.事件の目撃者証言の中で,そもそもその証言をどのようにして真だと判断するのか,あるいは,犯人と警察だけしか知らない情報を犯人に提示して,その反応から犯人を特定する,という試験において,どうしてももっときちんとした手法が必要らしい.

 自分の実験は,“見ていないものを判断する場合,自分ではわからないうちに「見た」と思い込むことがあり,それは条件によっては自信が高くなるほど間違うことが多くなる”という感じのものである.こんな基礎的な実験がその筋の方々の興味を引くというのは面白いことだと思った.埼玉や山形の警察関連の名刺ばかり3,4枚溜まる.警視庁のお姉さんとも会った(どうして警察関係のお嬢さんたちはみんなあんなに“らしく”きれいなんだろう.不思議だよなあ).

 どこにしても“科学捜査研究所”というのはかっこいい.で,いただいた皆様の立派な名刺と交換に自分の“紙切れ”を差し出すことになる.わかってはいたことではあるが「なんだか申し訳ないなあ」という気分になる.


 また最後には学生さん達と話す.実験で虚再認(なかったものをあると勘違いする現象)をやる,という女の子がいて,その人に「この(私の実験の)資料ないですかね」と言われて,「この論文はいま紀要原稿に書いているのだけど,出るのは3月ごろかなあ」と言ったら「もしもし,ちょっと,これからうち卒論でやるんですわ.まにあいません」と関西弁で突っ込みを入れられた.「そもそも発表論文集に載っている」と教えたらそれをコピーする,と言っていたけど,見つかるのだろうか.


 「記憶と自己」は今ひとつだった.なぜかといえば,「自己」というとんでもない巨大な概念(のように自分には思える)と,そこで示されていた「再認成績が何%上昇した」という知見が,どうにもスケールが合わないからだった.
 自分を自分たらしめている「自己」という概念は,まさに心理学の最終テーマに限りなく近いところに位置付けられるべきものであり,ぶっちゃけた話,毎朝目覚める自分が昨日と同じ自分であることを体現している誰にとっても身近なシステムでもあり,そしてそれはまさに「記憶」という概念で記述することが最も相応しい現象でもあると自分は考えていた.そしてその構えの下で発表を聞きに行った.にもかかわらず,出てきた話は「自分という概念に結び付けて処理をすると再認成績が上がる」という感じのものであった.最後の討論がどうにも締まらないものになったのは,こうした“テーマから受けるイメージと実際の発表内容のずれ”を出席者が漠然と感じていたからではないだろうか.

 もちろんこれは話題提供者の問題ではなく,「記憶と自己」というタイトルで討論をしようとして発表者を集めた企画者のセンスの問題ではないかという気がした(O先生ごめんなさい).関係者諸氏に非常に失礼な物言いであることを承知の上で言わせて頂くと,記憶と自己,というタイトルの下で発表なり討論なりをする上で,各人が“自己”という概念に対して,どのような哲学的な主張(というほどでなくても,“自己概念”についてのイメージ)を抱いてその実験を行っているのか,がまるで見えこないのが不思議だった.


 “自己”を研究する者の態度として,科学的な思考と手続きを利用することと,自己について自分なりの哲学的な概念を持っていることとは両立することだし,それを両立させなければ研究が漂流してしまう.この日眺めた研究者の人たちは,一人を除いて“自己”という概念に関して何かの信念のようなものがあるとも思えなかった.


#“スキーマ”という概念についても幾つか言いたいことがあるのだが,それはまた別の機会に.ただ一つだけ「スキーマで説明できない人間行動があるのかどうか教えて欲しい」とだけ書いておく.制約の無い万能のツールはサイエンスとしては無能に等しい.実験結果を説明するために箱を加え,その箱の妥当性を立証するための実験を行う,その結果に必要ならさらに箱を加える,というのはどこまで行っても終わりが無いのではないか.


 等といろいろ言いたいことは会ったが,この日が最も充実していた.



 その晩は,昨夜とは別なカプセルを求めて,またもや梅田地下をさまよう.でもって迷う迷う迷う.方向を定めるのにその基準となる部分がわからずに,右に左に上へ下へと行ったり来たりする.途中で晩ご飯を食べ,また迷いつつさ迷うことしばし.昨日一昨日も迷ったことは迷ったのだが,実際にはそれは「阪急三番街」というという一角をさ迷っていたに過ぎなかったらしい.今回はほぼ全面的に地下街1階2階を歩きまくり,さらに駅の周辺をぐるりと周り,それでもわからずに歩道橋に上り,その上から世の中を見渡した.

 橋の袂ではジャズの演奏をしていた.前後左右に人々が歩いていた.夕方の大阪はにぎやかだった.
 そこでなんとか方向を確認することができたような気がした.


 探索を続けながら歩いていくと,事前のイメージに反してホテルは阪急東商店 街という繁華街のアーケードの中にあったりする.こんなところにカプセルホテルがあるのははじめてだ.少し驚くが,逆になかなか楽しいところにあるわけで,それはそれで善しとした.
 ここはテレビ(300円)もシャワー(200円)も有料,とまああんまり喜ばしいところではなかったが,まあ値段が安いのと(2600円),カプセル内の空調が非常によろしいのが助かった.涼しい風がある程度の強さで吹き出していて,それを自分でコントロールすることもできる.こんなの当たり前だと思うのだが,ここまでの二つのカプセルホテルが両極端だったのでありがたく感じてしまう.布団も厚い.
 サウナ利用でも泊まることはできるようだったが,休息料金を1000円余計に取られるらしい.こういうところは東京と違っている.

 その晩は,衛星中継のサッカーを眺めて過ごす,引き分けに終わるも「上出来」と感じる.実際には一つゴールは入っていたわけで,たまたま運が悪くオフサイドを取られただけだ.日本の実力は決して低くないんじゃなかろうか.
 快適に眠る.



<第4日目>

 この日から完全にフリーである.
 のんびりと9時半にチェックアウトなどして,さてどうしよう,と思う.
 前日までは夜にとりあえず迷っていたわけなので,地下街の構造を把握できないでいた.そこで,今日は一日かけて梅田地下街を意識的に探検しよう,と心に決めた.

 さっそく地下に潜入し,御粥の朝ご飯を食べる.
 心地がついたところで,まず初めにロッカールームを見つけてかさばる荷物をしまうことから始めようと思い,そこから本格的に腰を据えて迷うこととした.ロッカールームは遠い.手元に地図はあるのだが,方向や距離感覚がつかめない.また,あるはずのロッカールームがどうしても見当たらない.小一時間迷い,なんとか隅の方にロッカールームを見出して,そこに荷物を入れる.
 さ迷う途中に見出したトワイニング紅茶の直営店を心にとめ,「昼飯はここにしよう」と決意する.さ迷いつつタワーレコードでOMY(Oriental Magnetic Yellow,YMOの97年版パロディーバンド.なかなかよく作ってあって欲しくなっていたのだが,つくばではもう手に入らなかった)を買い入れ,輸入版の知らないギタリストを買い入れ,さらにより一層さ迷いつつ東西南北にブラウン運動を行っていると,その頃合でお昼になった.

 迷いつつトワイニングに戻ってお昼を食べた.さすがに紅茶企業の直営店らしく,ランチに付いてくる紅茶が香りが明確で,渋すぎず,こくがあり,実に“紅茶”だった.ポットを開けてみると,これまた多量の葉が使われていて,しかもそれでいて苦みがない.驚くことだと思った.ランチそのものも,パンをくり貫いてカボチャのポタージュが入っているもので,バランスが良かった.まじめに運営しているのだろうなあ,と感じた.自分でいくら良い紅茶を淹れてみてもああはならないのが悔しいものだ.

 午後になり,トヨタのショールームで車と吉本新喜劇を眺め(あれはそれだけで思いきりよく見ると面白いぞ),怪しい薄笑いをほのかに浮かべつつその場を去る.


 次に,繁華街の“まんだらけ”に足を踏みいれる.
 恐ろしいところだった.
 入ってすぐ,荷物をコインロッカーにしまう.そうして中に入っていくのだが,とにかく広い店内を古本漫画が埋めている.体育館くらいの広さがあるそこに,壁際には年代もののビンテージ(自分にはピンとこないものが多いのだが,しかし値段はすごい),中央にはあらゆる種類の現在の漫画の古本が並んでいる.整理分類が完全であるという印象はなかったが,しかしむしろその方が乱雑さを楽しめてよいのかもしれない.
 一つ上の階も同じくらいの広さで,そこにはレアなプラモデルなどが並んでいる.「ロボっ子ビートン」に出てきた「ガキおやじ」の愛車「ガキバイク」なんてものを一体誰が欲しがるのか,一般民間人の自分にはわからないのだけれど,そんな感じのものがあたりにごろごろしている.隅にはステージが設けられていて,そこではコスプレをした人々が歌を歌っている.自分が行ったときにはあまり盛り上がっていなかったみたいで,少し「困った」感じがあったのだけれど,まあ面白いこともあるんだろうなあ,と思う.さらに同人誌が部屋の半分程度を占めていて,あたりは「らしい」人々がうろうろしている.「同人のための税金対策」なんて実用漫画も同人誌で売っていたりする.
 随分長いこといたのだが,自分の欲しかった楳図かずおの“イアラ”は見つけられなかったので,結局は何も買わずに出ていった.


 その後近くのファーストキッチンに入り,運良く窓際の席が空いていたのでそこにコーヒー一杯で陣取り,メモをとる.アーケード街の交差点を見下ろす形になる.土曜日の夕刻をいろいろな人々が行き交っている.何を待っているのかわからない人,客引き,中高校生の群れ,おじさん達,そんな人たちが右に左に動きまわっている.生きている街だという気がした.
 この街には活気がある.一方で,自分の住んでいるつくばという街が,いかにも空虚だと言われるわけがよくわかる気がした.

 晩ご飯までには時間があったので,少し離れた“ロフト”というところに出向いてみる.要するに東急ハンズだったようだ.いろいろなおしゃれな品物があり,上から下まで歩き回ってくたびれ果てる.帰途「鰻とろろ定食」を食べてみると,これがとろろには味も何もなく,カウンターに醤油もなく,鰻のたれで妙に甘いとろろ丼となった.鰻も今ひとつぴんとこなかった.本当は「まむし丼」を食べて見たかったのだが,とうとう最後までその手の店にお目にかからなかった.残念だった.

 そのまま夜の地下街を迷いつつ散策する.地下2階だというのに泉から川が流れているところを通り,水が放物線軌道を描いて生き物のように飛び跳ねている噴水をしばらく眺める.なかなか楽しいものだった.なぜか駅のすみに神社のようなところがあったので,そこで少しお参りとお願いをする.

 この頃になって,ようやくこの梅田地下街の全容を把握しはじめる.大きなところだ.単に通路が長い,という話ではなく,通路と通路の間のビルが総じてその通路と繋がっていて,巨大な網目状の地下を形成している.そこを人々が縦横に行き来して各々の目的に従って移動している.にぎやかだ.

 堀晃さんの「梅田地下オデッセイ」を思い出しながら歩く.もしここが廃墟になっていたら,というようなことを想像しながら歩いていくのはそれなりにスリリングだ.幸いにもシャッターが降りる気配はなかった.“チカコン”はこんな私の行動を把握しているのだろうか.


 そのまま昨日と同じカプセルホテルへ.今回はサウナを使ってみることとする. これがあたりで,非常によろしかった.あれで900円は安かろう.交互にサウ ナと温水プールにつかり満足する.サウナの中でナイター「巨人対広島戦」を眺 め,さらに「Back to the Future」を断片的に眺める.ナイロン製のパンツを穿 いてサウナ,というのもなんだか,と感じたのだが,ぬわーんと実はそこには水 着のおねーちゃんが給仕をしてくれるカウンターがあるためであった(注 2004 年に再度訪れた際にはこのシステムはなくなっていた.あしからず). 思わずビールなど飲んでしまう.サウナの後のビールは実にするすると喉に入り,しかもほとんど酔わなかった.まことにうまいと思った.また,自分はめったに水着の女の子を眺めるという機会がないので,これはこれでなかなかよろしいとも思った.
 テレビを見ながら夜半過ぎまでいて,さすがに少し疲れた.よく眠る.



<第5日目>

 翌日,個室内のテレビを見なかった(サウナで見ていたから)にもかかわらず,お金を取られた.要するに「テレビをみますか」とチェックイン時に聞かれたときに見るつもりでいると,その段階でお金を取られてしまうのだそうだ.これは今後気をつけようと思う.
 そのままチェックアウトし,ミスタードーナツで飲茶の御粥の朝食をとり,旅の雑誌を広げつつ,いよいよ「ここぞ大阪」と自分が勝手に考えている“通天閣”というところにターゲットを定めることとする.


 またもや地下道でしばし迷いつつ,地下鉄に乗って動物園前というところで降りて,何も考えずに人ごみに流されて歩く.予想通り,しばらく進むと妙な形の高い塔がそびえている.これが通天閣であった.

 エレベータで上に行き,下を眺める.高い.真下が見えてしまうためか,何だか恐いと思った.90mは高い.「たとえひもがついていたととしてもここからバンジージャンプはしたくない」と力強く思った.周囲一面を写真にとり,“ビリケン”というブードゥーの影響が濃いんじゃないかと思える魔神の像に触り,なんとなくお願いをする.しばらくしてから下に降りる.またもやあたりをうろうろしながら写真を撮ってまわる.“本物のオーロラ輝子がやって来る”という看板の下で人が群れをなしていたけれど,しばらくして戻って来たら消えていた.

 商店街を歩いてみる.魚屋にはマグロの目玉なんかが売っていて,思わず買ってしまいそうになる.次に懸案の一つであった「串カツ屋」に入り,軽く食べてみる.なるほど,揚げたてはおいしいものだ.ソースもつけすぎなければなかなかだ.でも安くはない.次いで立ち食いのうどんを食べ,さらにスマートボールというものを試す.

 要するにパチンコの先祖というのか変形というのか,直径2センチほどの白いガラス球を斜面に向かってのんびりと弾いて,それが適当なところに入るとさらに球が増える,というものだった.斜面がゆるやかなので,玉の動きがきちんと目で追えて,一発一発がそれなりに楽しい.あたりに入ると目の前に玉がごろごろと大挙して降りてくるのものんきな感じで良かった.ゆっくりと弾いて200円で15分ほど楽しんだ.


 そのまま梅田に戻るつもりで電車に乗ったが,気が変ってなんばというところで降りてみた.やはり人ごみに流されるように歩いていくと,とりわけ賑やかな通りに出た.ここはどこなのだろうと思うと,道の真ん中に“道頓堀”と書いてあった.食い物屋が多い.その辺り一面を徘徊しつついると,「天下一品」のラーメン屋があった.さすがにもう食べられないので見過ごしたが,あまり評判の良くないとされるつくばのそれとどこが違うのか,試してみたいところであった.心残りである.

 ちょっと見にはわからないのだけど,実はそこここに警官がいて,しかもヘルメットにジェラルミンの盾なんかを持っている.やはり大阪はすごいところだ.


 近鉄電車に乗って梅田に戻る.途中で大坂城が見えたのだが,もう気力がなく,遠くから眺めるだけにしておく.

 ここで気がついたのだけれど,なぜ大阪が活気があるように思えるのか,というと,常に人々が喋っているからではないか,と感じた.電車の中はあちこちで人々がしゃべくっていて,とてもにぎやかだ.一方で東京の山の手線なんかを思い出すと,どうも人々は総じて押し黙っているような気がする.この違いが何からくるのかよくわからないのだけれど,少なくとも,おしゃべりをするためには知っている人とともに行動していなければならない.ということは,大阪の人は他人とつるんで行動することが多いのだろうか.
 なんだか不思議だと思った.


 そうやって人々の話を聞くともなしに聞いていると,大阪の女の子はみんな自分のある知り合いの女の子のような喋りをしていることに気がついた.彼女は育ちが大阪なのだが,話をしていてそういう“関西弁”があまり表に出てくることはなかった.だから,特にそういった“言葉”をこれまで意識したことはなかった.しかし,大阪であたりの人々のおしゃべりを効いていると,不思議とその人の喋りと似たものを感じた.アクセントとかイントネーションではない.それはリズムだった.テンポが関東のものとはあきらかに違う.リズミカルで,跳ねるように流れてゆく.
 何事も基本は“リズム”なのかもしれない,とぼんやりと思った.


 事前の予定ではその晩も宿泊するつもりではいたのだが,さすがに体力が無くなってきた.夕方の新幹線で関東に戻る.ひかり号の中で椎名誠さんのエッセイを2冊読む.頻繁に旅をする人なので,こちらも旅の途中に読むと感じが出てよろしい.ここにも,旅先の女性の言葉の話が出ていて,似たようなことを考えるものだと感心した.

 東京駅で夕飯を食べるために地下をうろうろするが,ずいぶんこじんまりしたところだ,という印象を受けてしまうようになる.梅田の地下のイメージが残っているのだ.



<後日の疾走>

 帰って翌日,学会事務局に投稿論文のことを訪ねたら,9月の9日の段階で受理されていたという.非常に嬉しかったのだが,その一方で,それを聞いたのが24日,実際に掲載通知が来たのは10月に入ってからだった.
 なんにせよ,これによって,本格的に博士論文を書くことが決定する.あっという間に日程が決まり,即座に発表のレジュメを作りはじめる.時間が足りない.あわてふためいている.確認もせずにぼおっとして待っていたら,とても発表には間に合わないところだった.
 現在瀕死のワークロードに突入しつつあり,その合間をぬってこんなものを書いている.



<まとめ>

 基本的に,今回は大阪の基本カタログスペックを確認した,という感じになった.で,肝心な食べ物の話なのだけれど,感想は「非常によく出来たジャンクフードがそれなりの(決してそんなに安くはない)値段で食べられる」である.お好み焼き,明石焼き,串揚げ,うどん,といったあたりを食べて,そんな感じがしていた.そんなものしか食べなかったので,そういう感想を持つに至ったということでもある.きちんとお金を出せばきっと本気でうまいものが食べられたのかもしれない.もっとも,それなら東京でもいいではないか,という気分でもある.


 カプセルホテルのシステムが関東と少し違うところも面白かった.関東は自分の知る限りでは基本はサウナであって,大抵仮眠室がある.それにお金を加えるとカプセルに泊まれる,という感じだが大阪は反対だ.基本的にカプセルがあって,それにお金を加えてサウナに入る,というものだった.金銭的にはいずれも似たようなものだろうと思う.質は東京の方がバラつきがないと感じた.


 今回の旅行記は写真入りにしてみようと思ったのだけれど,急に忙しくなってしまってスキャナーに取り込んだりする余裕がない.またいつかにしてみよう.



 ということで,今回のお話も終り.たった5日間だったとはいえ,自分の足で好きなように歩いた時間があると,それなりに満足するものだなあ,と思う.願わくば足の持病がいつの日か治ってくれて,もっと好きなように世の中を自由に痛みもなく歩き回れると嬉しいものだ.


<完>


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