休暇 '99夏




●起動


 休暇を取り,東京に出かけることとした.
 別に東京でなくても良かったのかもしれない.だが,何か目的がなければ休暇を取る気になれない.そこで,半ば無理矢理にいくつかの目的を作り,休暇を取り,東京に出掛けた.
 やや思うところもあった.


●最初の彷徨


 ちょうどお盆の近辺だったが,とりあえず東京に向かう列車はかろうじて座席指定をとることができた.
 東京に向かう列車の中で,神林長平「敵は海賊・海賊版」を読む.面白い.
 昼前に東京駅に着く.
 目標の方向を算定する.東京駅から出て,丸善方面に向かう.
 しばらくして勘違いに気が付いた.目的は三越だったのだが,場所として高島屋を目指していた.あたりまえだが,三越は高島屋ではない.高級なデパート,ということで何となくイメージが似ていて,「そこにある」ものだと思い込んでいた.そこで,あらためてなんとなしに銀座方面に歩き出すが,どうもよくわからない.勘を頼りに2,30分ほど歩き,思い直して地下鉄に乗る.これまで歩いた道と逆方向に進み,三越駅前,という駅で降りる.
 三越で行われているであろう第1目標のイベントは一度横にさて置いて,昼時であったので,第2の目標である「カレー屋」を探す.中国銀行の横だ.こちらは意外にもすぐに見つかる.
 インドカレー屋である.正式な店名は,よくわからない.店の表側にも店名らしいものは書かれていない.ただ“本格インドカレー”とあるばかりだ.
 メニューは1種類しかないようだ.座って、しばらく待つと,出てくる.
 さらさらしており,辛い.うまい.
 基本はC&Bだと思われるが,それ以外の工夫が相当になされている.ニンニクが隠されており,ローレルの香りが利いており,それ以外にも研究のあとが見られたような気がした.
 が,うまいことはうまいのだが,ライスの量がルーに比べて多すぎた.ルーだけ再注文したら,もう1000円取られた.高い.福神漬みたいなものもうまくない.全体として,つくばにあった大学会館横の喫茶店のAOKIの辛いカレーに似ている.
 汗を拭きつつ,店を出る.
 さっそく三越に向かうが,目的のものが見当たらない.
 何か変だ.
 案内に訪ねると,それは「三越銀座店」で執り行われているということだった.東京の中心地においては三越にはいろいろとあるのだと学習する.実は,誤りに誤りを重ねて偶然にも最初の迷走の方向は正しかったらしいのだが,今ひとつ根性が足りなかったのだ.
 が,とりあえず,カレーを食べることができたので,目標は達成と判断.再度目標を確認し,行動を開始する.


●目標発見


 地下鉄に乗り,銀座で降りる.
 目の前に三越銀座店がある.
「SNOOPY in 銀座」である.
 別段たいしたものではないのだが,とりあえず「ピーナツ」関連のグッズが売られているイベントである.実のところ,自分の現在の住処には「ピーナツ」の単行本を置いているところがほとんどない.そこで,その単行本を手に入れるのが主たる目的となっていた.贅沢な買い物ではあるが,それにかこつけて「休み」というものを明確に取りたかった.
 大学の教官というものは,基本的には講義がない期間には「休み」なのだが(正式には自宅研修を許されている,というものだろうが),しかしながら,あまり自由に休みを取るのもどうか,という感じだ.おまけに私の場合には同じ部屋にちょっと立場の異なる職種の方々がおられて,その方々にはどういうわけか休みというものがない.夏だろうとなんだろうと勤務になる.私だけが適当に暮らすわけにもいかない.昔自分が学生として所属いた大学では,教官などはいつ来ているのかよくわからないと思っていたし,夏休みに入ればそれこそ行方知れずになっている先生が多かった.今度の職場では,どうも私の周囲の先生は大学にいることが多いようだ.所変われば品変わる,というものだろう.
 それはさて置いて,ピーナツのイベントである.この国では漫画としてはあまり受けの良くないピーナツだが,キャラクターベースではよく知られている.スヌーピーという犬が人気だ.私自身は出ているキャラクターの中ではスヌーピーはむしろあまり好きではない方なのだが,わかり易いかわいさを持っているのは認める.私自身は,最も親しめるのが毛布を抱えた天才,ライナスヴァンペルトである.天才的な才能を持ちながら,自身は不安で安心毛布を放せない.世俗を超越した仙人的な天才であるシュレーダーとは異なり,彼はあくまで人間であるところがよい.とはいえ,彼の人形など売られていない.安心毛布などが売られていたら買ってしまおうかという昨今の精神状態でもあったが,そういうものもない.
 それで,とりあえず「かわいい」キャラクターの様々な物品が売られている.
 そういう光景を眺めていて,時として,この国においてこの漫画があまりにも皮相的に扱われていることに複雑な気分になることもある.“スヌーピーの漫画”として認識されているのは仕方がないのかもしれないけれども,もう少し何とかならないものだろうかとも思う.あの漫画は,ある意味で子供向けのものではない.子供の頃から読んで来た自分がいうのもおかしな話だが,ある程度“そういう心境”にならないとわからない側面がずいぶんにある.最近では“心を癒す”面から扱われているみたいだけれど,実の所,それも少し違うと感じる.あの漫画は,自分にとってはまず“発想の転換”の教師であり,また“色々な人がいて,いろいろなことがある”ことを教えてくれる教師でもあった.それが,単に“かわいいキャラクター”というとらえられ方をされ,中心的なキャラクターだけが知られるようになっているが,それらを買い入れる人々のどのくらいが実際にあの漫画を見たことがあるのだろうか,と気にはなる.気になりつつ,あたりをうろうろする.
 あまり買う気はないが,とりあえずぐるぐると巡り,見てまわる.結局,生活上で以前から欲しいと思っていたバスタオルを買う.絵葉書を買う.ちょっとした文房具を買う.絵本を買う.結果的にそれなりに散財した.


<電気と安宿>


 さて,次に出向くのは秋葉原である.とくに何と言うこともないのだが,東京に出向くと秋葉原に行くものとなっている.以前はこれがお茶の水の古本屋だったのだが,最近は足が悪いのであまり歩けない.そこで秋葉原となっている.秋葉原でも,もう値段を調べるためにいろいろと回ることはできないのが実情だ.
 地下鉄で移動し,秋葉原駅で下車.地上に出ると本屋があるので,そこに向かう.本を何冊か買う.浜松の書店にはいくら待っても並ばない,あるいは本屋をはしごしなければならないものが,簡単に手に入る.都会と田舎の情報的ギャップは実感してみないとわからないものだ.640MのカラーMOを5枚で3500円.これも安い.買い入れた荷物を駅の裏の方にあるクロネコヤマト宅急便のセンターから自宅に配送する.午後7時半でもやっていたので助かった.
 夕刻になる.
 宿を探しに出る.上野に向かい,駅横のカプセルホテルに向かう.昔利用した場所で,ある意味安心できる.晩飯は遅くなったのでその近所のラーメン屋で取った.感慨は特にない.その晩は,いつものようにサウナに入り,風呂に入る.休憩所で「敵は海賊」を読む.面白い.夜半にはカプセル内で眠る.
 どうでも良いことだが,なぜ私がサウナだのカプセルホテルだの怪しげな宿にこだわるのか,という点について説明しておかねばなるまいという気もする.これは,簡単にいえば,いわゆる普通のビジネスホテルを利用するメリットが一つもない,ということによる.ビジネスホテルには,忙しい時期には予約が必要なことが多い.跳びこみで出向いても受け入れてくれるかどうかはわからない.いいかげんな設定で移動してゆく私のような旅人にはあまりなじまない.一方,カプセルホテルにおいては,これまで一度も“満席”であるとして断られた試しはない.また値段の差もばかにならない.私の知る限り,通常のホテルは一泊して8000円程度が安い所だった.カプセルであればたいていはその半分程度で済む.サウナに深夜休憩で泊まり,ということであればさらに3割ほどは安くなるだろう(これは関西・関東によってシステムが異なるが).さらに言えば,その値段の差によるサービスの差があるのか,というと,実の所ない.ないどころか,風呂に関していえば,サウナ諸施設のあるカプセルホテルの方がずっと充実している.ビジネスホテルの狭い湯船に体を縮めて入ることを考えると天と地の差がある.テレビも休憩室に置いてあるので,別段金を払うこともない(カプセル内でのテレビについてはホテルによって異なる).のんびりした椅子に座って雑誌も新聞も読める.ちょっとした食堂もあるから,浮いたお金でビールなどいっても問題ない.自分の部屋に閉じこもらざるをえない普通のホテルなどとは違い,簡単に時間が潰せるし,また楽しめる.気になる安全性の方だが,貴重品をチェックインの段階であらかじめフロントに預けてしまえばたいてい問題はない.もちろん着替える場所等,衆目があるので緊張はする.が,それは世の中どこでも同じことだという気もする.鍵を掛けて,その鍵を手首から離さずにいれば通常は問題ない.むろん盗難もあるという話だが,一般のホテルにおける事例と比べてどのくらい割合が高いのかは自分にはよくわからない.むやみに高価なものをもって泊ることもあるまい.
 ただ,こういうホテルが成立するのは日本だからなのかもしれない,とも思う.海外でこの形式のホテルを作ったら,おそらくあっという間に安全面が悪くなってスラム化,ということになるのではなかろうか.もっともその前に,彼らはカプセルなどというものに入るのを好まないとは思うのだが.


●長い人生の人


 翌朝,ホテルを出てそのまま上野公園に歩いてゆく.
 ロンドンからエジプトのミイラがやって来ているので,それを眺めに行くことにする.どうしてエジプトのミイラがロンドンに住んでいて,そこからまたあえて東京にやってくるのかはよくわからないが,個人的な事情があるのであろう.長い人生,何千年もあればいろいろなことが起きるのに違いない.
 まず公園を歩く.上の公園の中には美術館やら博物館やらがいろいろとあり,しばらく迷うが,東京都近代美術館であることがわかる.てっきり博物館だったかと思っていたので,意外な印象があった.
 暑かった.
 8月の10日過ぎである.暑くないわけがない.
 それでも,まだ午前中だったので,とりあえずふらふらと歩いて美術館にたどり着いた.
 まだ少し早かったためか,それほどの行列はない.お金を払い,素直に入る.
 いろいろなものがある.基本的にすべて紀元前のものであるが,その時間の幅が紀元前後付近から紀元前三千年まである.その三千年の間の時間を,実の所ほとんど感じさせない.頭の像があり,全身の座像があり,棺があり,ミイラそれ自体もあるのだが,しかし,それがいつ作られたものか,という時間的な感覚がつかめない.近代的な遠近法が見出されたのが紀元後千数百年ほど経過してからだったはずなので無理もないとは思うのだが,しかしどの図柄をみても平板だ.三千年の間,この文化はほとんど同じことをしていたのではないか,という気にさせる.もちろん実際には何らかの進歩はあって,それを現在の自分は知覚できない,ということなのだろう.けれど,例えば奈良時代と江戸時代の千年では文化的にそれなりに違いが理解できるような気がする一方で,このエジプトの三千年の均一感というものはなんだろうとも感じる(まあこれも日本人以外なら奈良時代も江戸時代も変わらないように見えるかもしれないのでこのあたりは文化的なものだろうが).さらに紀元前三十世紀という時間を考えて,少し気が遠くなる.まだ紀元後20世紀しか経過していないというのに,紀元前とはいえ30世紀というのはまるでSFだ.
 また,基本的にミイラというものは死体である.あんまり死体を見世物にするというのもどうか,という気がする.来世の復活があるから死んでるわけじゃない,って言い訳もあるかもしれないけれど,いずれにしても彼らは好き好んで見世物になっているのか,よくわからないと思った.見物料は払ったものの,それが目覚めた後に彼ないし彼女の懐に入るわけではなさそうだ.
 ついなんとなくミイラの前で手を合わせる.彼岸も近い.
 1時間以上かけてのんびり見てまわる.鰻のミイラなどというものもある.干物とはちがうのだろうか,とやや疑問に思う.
 最後に土産物屋でいろいろと眺めて,ヒエログリフハンカチのようなものを購入した.
 出る時には,入り口に長太蛇の列ができていた.早く来て見て良かった,と心底感じた.


●上野のインド


 さて,昼である.はじめ自分は上野といえば精養軒のカレー,ということでそこを探しつつさまよっていた.真夏の陽射しの下で上下左右に迷い,よくわからないお堂などに寄り道しつつ,末には着いたことは着いたのだが,ここでも列ができていた.そこで,目的を切り替えた.湯島の「デリー」に向かうこととする.持って来ていた東京のカレー屋を食べ歩いた本によると,ここは「基本」らしい.しばらく歩いてまよってたどり着く.メニューの上のほうにあった比較的普通のカレーを頼む.待っている時間にまた「敵は海賊」を読む.面白い.
 さて,カレーを食べた.確かに,ここは基本だと思った.いろいろな味がきちんと整えられていて,安定している.いわゆる“日本製本格インドカレー”の一つの完成形がここにあると思った.上野広小路の「夢屋」(印象は似ているが)とか昨日食べた三越前の本格インドカレーの店などとは位置付けが違うような気がした.ここは一種の“標準原器”だ.いろいろなものが実にバランス良い.それでいて,どこが特徴という印象がない.ある意味で,大きくて丸い.面白いと思った.昔自分が食べていた“菩提樹”のカレーとは方向性が異なるけれども,しかしこれはこれで一つの形だろう.
 ただ,あまりにその基本ができ過ぎていて,まねる店が多くなってしまっているので,インパクトが少ないのも事実だ.最近はレトルトパウチの商品でもこの味に近いものが出ているような気がする.
 さらに気になることを言えば,この系列のカレーはどうも粉っぽい.あくまで印象なので本当は違うのかもしれないが,あらかじめ粉にした製品のスパイスを用いているのではないか.自分の経験からは,もしもホールのスパイスからごりごりと磨り出していったらあれ程滑らかにはなりにくいのではないかと思った.実際,香りが今ひとつなのではという気もした.カレーはスパイスの泥を鼻と口中で感じながら食うものだと私は理解しているので,あまりに滑らかだと少しインパクトに欠ける.最近になってようやくわかったのだが,かつての「菩提樹」のカレーのすごさは,カルダモンをおそらく鞘のついた状態のまま一鍋に一瓶以上はぶち込んで煮込んでいることにもあった.その香りをベースにしていた.だからあれ程香り高かったのだ.客にもそのまま出していたので,客はそれを「木の実が入ってるなあ」と横にのけていたが,今思えばぜいたくなことだ.高価なスパイスだから,もちろん採算は落ちていただろう.また,毎度ホールからスパイスを手作業で摺りおろすのは普通の店には無理ではないかという気もした.でも,不可能ではないのだから,できればどこかでそういうお店があるとうれしい.
 などとこれを書いている現在はぼやいているとはいえ,食べているときはうれしかった.
 いいところだったと思った.
 少し嬉しくなって,店を出た.


●夏の回廊


 さて,まだ午後は残っている.どうしたものだろうか.
 少し考える.
 一瞬,上野動物園で,これまでまだ見たことのないジャイアントパンダというものを見るべきか,と考えた.前々から懸案になっているものである.
 が,もう一ヶ所,行くべき場所が頭のすみにあった.
 やはり,行っておくべきかもしれない.そう思った.
 そもそもこの休暇を取った,その“思うところ”が気になっていた.
 いささか躊躇する所ではあるのだが,このタイミングでぜひ行っておきたかった.「行ってどうする」と言われれば,返す言葉もない.何もできないのは当然であり,自己満足にすぎない,と自分でも思う.そういう場所だった.いや,実の所,満足すらできないだろう.
 それでも,行かなくてはいけないような気がした.
 国民の義務とか権利とか,そういう難しいことを考えたわけではない.ただ,気になったのだ.
 そこで,自分は地下鉄に乗った.
「国会議事堂前」で降りる.
 むやみに深いところにあるホームだと思った.長いエスカレータを上り、ようやく地上にたどりつく.
 そうして,国会議事堂に向かって歩いていった.
 この夏は,ある意味でものすごい夏だった.すくなくとも,自分はそう感じた.
 これまで散々止められて来たいろいろな怪しい法案,例えば昔その下で人々がひどい目に遭った記憶のある「旗」とか「歌」を,再び強制的に人々に崇拝させようとしているような法案の類が,どういう仕掛に依ってかわからないが,次々に国会を通過していった.次には人間にすべて番号をつける法律が通過し,最後の仕上げが,“通信の秘密を制限する法案”だった.何でもいい,嫌疑がかけれられれば,盗聴が自由に行われる,そういう行為を正しいとする法律案が提出された.
 もしも、いつの日か「この国の運営面で大きな転機が訪れた時がある」と記述されるとしたら、この1999年の夏は一つの候補になるはずだ.
 この前の選挙では,そうした法律を通過させようとしていた政党は,大きく過半数を割ることになり,惨敗したはずだった.それが国民の意志というものだと自分は感じた.こうした手段でしか意志を表明できないのだから,そうやって表明された意志には重みがあるはずだ.にもかかわらず,いろいろな手段を使って彼らは賛成議席を増やした.昔の仲間を引き入れるだけでは,しかし過半数に届かなかった.そこで,これまで決して権力中枢に近づけなかった野党政党に対して,飴と鞭をちらつかせるに近い真似をして味方に引き入れた.
 政治ゲームの中では,法案の意味や内容は,賛成反対の意志表明には実質的に関係ない.自らの所属集団、ないしもっとも端的にその個人がいかに権力を掌握するか,を目標に行われるゲームにおいて,すべての事象はその駒にすぎず,その内容は“権力に接近することに関連するもの”以外は事実上無意味だ.反対も賛成も,自分の身をもっともうまく処して流れに乗るための舵取りである.今回新たに権力中枢に近づいた(と自覚したらしい)政党の代表者はこう言った.「(内閣不信任案について)我が党が反対に回ったのは初めてであり,画期的だ」 正直な感想で,それはそういうものだろう.中身は関係ないのだから.内閣不信任案が実質的に何に対してなされているのか、その法案が通って世の中がどうなるのか,この国の将来がどうなるのか,等々は国会議事堂の中とは無関係だ.国会議事堂は“国会の場”であって「日本」ではない.歳をとるほど視野が狭くなるのは人の常で,お年寄りの多い国会においてはこれは仕方のないことだ.
 とは言うものの,いくらなんでもなめられているのではないか,とも思った.
 何のための選挙だったのか,これでは意味がなさそうだ.いくら自分達が選挙で意志を表現しても,結局現場の小手先の技で無意味にされてしまう.この後もずっとこの状況では,あんまりではないかと感じた.こうしたことが続くのであれば,結局「日本には民主主義は根付かなかった」という昔からの台詞があらためて生きてしまう.
 いや,実際に根付いてはいないのだろう.
 自分が国会議事堂の前についても,誰もいなかった.いや,正確には通りの向こうにいたことはいたのだが,それはあまりに少ない.ビラが配られているが,受け取るべき人通りもない.
 もしも本気で心配していたら、自分のように気になって,ついわけもわからずにここにやって来てしまう人もいるのではないか...なんとなく,そういう気がしていた.
 でも、そういうことではなかったようだ.
 皆が自分のように行き当りばったりで生きている存在ではないわけなので,「来てもしかたがない」のでここにはいないということも考えられる.それとももともと無関心なのか.
 反対の運動がどこで為されていたんだろうか.確かに、職場の組合の話などでそういうことが話し合われている、ということは聞いた.しかし、反対にそれ以上のことは聞かなかった.
 今のこの国はとても幸せなんだろうと思った.それはそれで,これまでの為政者の人々がうまくやって来たことを意味している.結果オーライなのかもしれない.しかし,どこか釈然としない.自分の子孫がここに住むことになる以上,世の中をあまり怪しくがちがちにしておきたくはないではないか.
 しかし,誰もいない.つまり,人々はあまり気にしていないわけだ.
 それはそれでそういうものなのだろう.
 別に大したことではないのかもしれない.実はそんなに気にしなくても良いのかもしれない.もしもそうだとしたら,大変ありがたいことだと自分は思った.そして,本当にそうなのかどうか,自分にはわからなかった.これを書いている今でもわからない.
 暑い日だった.アスファルトは黒い.地面からの熱が立ち上る.東京の地面は固く,足の痛みは増すばかりだ.自分は何となく途方に暮れた.いったい何をしにきたのか,もともと目的などはっきりとはしていなかったわけだが,しかし,ここまで来てどうしたものかと思った.
 参議院の前で佇んで壁の注意書など読んでいると,「見学ですか」と声をかけられた.それもいいかもしれない,と思った.そこで,中に入って,名前と職業を書いて,警備員さんの後について歩いていった.歩いている間、案内の人の話を聞いた.
 ここには戦時中爆弾は落ちなかったのだそうだ.アメリカの攻撃の選択性は,なにも湾岸戦争やらユーゴ紛争にはじまったことではなかったのだと気が付いた.昔から、壊す所とそうでない所を区別している.アメリカ軍のテーゼのようなものとして,非戦闘員の攻撃はしない,というものがあるのだそうだ.それに則ったものなのかもしれない.が,しかしそれでは各地の空襲や原子爆弾の投下は何だったのかという気がした.当時子供であった私の父すら,艦砲射撃と空襲で確実に2回は死に掛けている.今自分が存在しているのは真に幸運だ.
 私の来るすぐ直前に見学ツアーの一団が出発したらしく,参議院の本会議場で彼らに追い付いた.会議場後ろの見学席から下の方を眺めることとなった.建物は素晴らしい.内装もきちんとしている.誰もいない静かな会議場を見ていると,まさにここでこの国の流れを決めるいろいろなことが起きて「きた」,そして現に「いる」のだなあ,と別な意味で感心する.
 その後もいろいろな所を歩く.少し笑ったのが,参議院で見学をお願いすると,本当に参議院側しか案内されないことだった.端から入っていって,赤いじゅうたんの敷かれた回廊をたどり、真ん中のところに行って,表玄関に出て終わる.衆議院の方も回って見ようと思い立って出向くと,ほとんど左右対象の経路をたどり,最後に表玄関に出て終わった.衆参に特に違いは感じられなかった.
 両方の真ん中の所は,天皇が国会開会のときに待機する部屋があり,面白いことに,そこにいくまでの間,どうも天皇は皇居を出てから“曲がる”という行為を一切しないでそこに着くことができるような印象があった.つまり,門を出て,坂を上がり,そのまま正門から上にまっすぐに上がっていくとその待ち部屋に到達する,という感じだ.天皇の動きに合せて議事堂が作られたのではないだろうか.本当かどうかよくわからないけれど,それはそれで面白いと思った.
 どちらの会議場も,真ん中に速記者の席があり,そこは囲いに覆われていて,時計がかちかちいっている.会議のないときでもかちかちいっている.そして速記の人は議員ではないので,会議場には入れない.入れないのになぜそこにいられるのかと言うと,会議場の真ん中のその場所は,実は地下の方から入れるようになっていて(というか,地下からしか入れない),そして地下から出て行くことになるのだそうだ.つまり,そこは議会の中心にありながら議会ではない場所なのだ.
 うーむ,と思う.謎の場所だ.
 会議場にはたくさんの名札が立っていて,今まさに国会の最中らしいことがうかがえた.私達が見学している間にも,通路には無数の報道陣が上下左右に行き来しており,“官房長官”という人があたりに人を従えながら通り過ぎていった.
 しかしどの人も,きちんとスーツを着て,ネクタイを締め,まあ実に忙しそうに行ったり来たりしている.のんきに見学なんぞしている自分はまことに気楽なものである.
 案内してくれている警備員の人に,「表で何かやっている人々は何なのか」と訪ねて見た.すると,「○○派だろう」と,ややいやな言葉を吐き出す感じで声が戻って来た.実際の所は自分は知らないのだが,そういうものなのか,と思った.
 未知の対象にレッテルを張って理解するのは人の常だ.だが,もしも,この議事堂の周りを何万もの人が取り囲んだら,この人たちは,その全てにそのレッテルを張るつもりなのか,少し気になった.職業的活動家はさておき,本当に怒った普通の人々がここにたくさんやって来たら,どうするつもりなのだろう,と.
 まあ,この時代ではもはやそういうこともないのだろう.人々は“今”の生活に満足しているのだ.おそらく,私自身も含めて.
 右と左から国会議事堂を周り,取り合えず「もう良いか」という気になった. 
 もはや見るべきものもない.
 来たからなんだと言うこともなかったが,見学ができたのだから,これでオッケーということにしよう.
 家に帰ろう.
 そこで自分は来た道を戻り,地下鉄で東京駅の方に向かい,新幹線で故郷に帰った.
「敵は海賊」を読みながら帰る.面白い.
 読みながら,上野動物園はまた今度にしようと思った.一人旅は気楽だが,動物園はできれば誰かといっしょに来た方が楽しめるかもしれない.


●無風地帯


 故郷に帰ると,そこで見たテレビに,徹夜国会の様子が映し出されていた.つい先ほどまで自分がいた,まさにその場所で,牛歩戦術というものが取られている.感慨をいだくが,しかしやっていることについては疑問であった.いい風体をした大人が,投票に向かう段の上でゆっくりと列をなして腕など振っている.単なる時間稼ぎであり意味はない.しばらく経過して「緊急動議」というものが出され,問題の法案はさくっと通過したようだった.

 暑い夏だったなあ.
 テレビの前で,自分は誰に伝えるでもなく,独り言を述べた.
 不敵な休暇はかくして終わった.
 全体としてそれなりにそれなりの夏だったような気もした.
 自分にとっても,また.


<完>


99/10/09

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