二人称単数現在





 あなたは机で仕事をしている。
 普通の灰色の事務用の机である。新品ではないものの、大きく、まだ比較的新しいものだ。
 引出しが真ん中と両そでについており、ずいぶんいろいろなものが入りそうだし、実際にあなたはいろいろなものを入れている。
 さて、あなたは仕事のために引出しをいくつか開け閉めしてちょっとした捜し物をしている。しかしなかなか見つからないので、本格的に引出しの中をかき混ぜはじ
める。いくつかの引出しを片端から開けてゆくが、なかなか目指すものは発見できない。
 やがて、右の上から2段目の引出しを開けて奥の方を探っていた時に、あなたは奇妙な物体を発見する。
 いらなくなったパンフレット、何がはさまっているのか分らないファイル、硬くなった輪ゴムやボールペンなどの奥から、それは姿を現す。
 緑色の液体とも固体ともつかないものが、薄い半透明の袋に入ってシワシワと音をたてている。見覚えのないものだ。
 こんな物をいつこんなところにしまったのだろうか。
 考えるのだが、うまく思い出せない。こんなところにあるのだから、きっとずいぶん昔からあるものに違いない。それらしいものを思いだそうとしてみるが、これが何にも似ていないために連想も止る。
 そもそもこれは何だろうか。
 あなたはそう疑問に思う。
 これほどまでに毒々しい緑色の物などかつて見たことがない。植物的な緑ではないようだ。もっと何か違うもののような気がする。状態を判断するに、これは固体が液状に溶けかかっているのか、あるいははじめから粘液性のものがやや沈殿しつつあるのか、何にせよ、本来の状態から変質している過程にあるのではないか。そう思える。
 かすかに妙なにおいが漂ってくる。あまり好ましいものではない。
 どうやらこの物体からかすかに洩れているものらしい。
 つまり、これはどうもこの先保存しておいてもそれほどうれしいものではないのにちがいない。
 あなたはそう結論づける。
 そこで、あなたは軽い気持ちでこれを捨ててしまおうとする。
 そこで気がつく。
 これは、どうやって持てばいいのだろう。
 周りの物を取りのけてみて感じたのだが、この物体を入れている袋は、何だかとても薄くて、そしてどことなく傷んでいる。袋に入っているわけなので、袋の口の部分を持てばよさそうなものだが、どういうわけかそれが袋の下側に入ってしまっているらしい。
 なんとかならないだろうか。あなたはできるだけそっと、両手でその袋のはじをつまんで、ゆっくりと持ち上げようとしてみる。意外に重い。
 持ち上げながら、そういえば持ち上げたあとどうしようとは特に考えていない、ということに気がついた途端、持っていたふちがぴりぴりといやな音をたてはじめ、あなたはあわてて腕を下ろす。袋のすこし破けたところから、内部の液状の部分がわずかに染み出してくる。
 そのとたんとほうもないにおいが洩れてくる。ナマモノを腐らせたものと似ているがちょっと違うし、何かの化学薬品のような気がしないでもないが、なんにしてもこれにはまいった。どうしようもない。これでは周りの迷惑だ。
 あなたはあわてて机の引出しを閉めると、ため息をつく。
 引出しを閉めてしまえば、とりあえずにおいは出てこないらしい。つまり、この先ずっとこの引出しを閉めておけば、これ以上においは出てこないのだろう。しかし、これでは本質的な解決にならない。
 では、とあなたは頭を絞る。弱くて薄い袋だからつかみにくいのだ。袋にセロファンテープを次々と貼って行き、袋全体を覆いつくしてしまえば袋は頑丈になるだろう。
 そうして、はじめの一枚を貼ろうとしたところで、あなたはつまづいてしまう。なぜかこの袋にはテープが貼れないのだ。貼ろうとしても、テープの粘着部分がすべってしまう。テフロンでコーティングされているようなイメージである。
 では、とまたあなたは頭を絞る。あなたは意外にこりないたちだ。
 液体であるから問題があるのだ。うまいこと液体の状態でなくしてしまえば(もっとも、気体の状態にするのはなおさら状況を悪くすることになるが)持ち運びもできるだろう。
 そう考えたあなたは、さっそく行動し(あなたはじっと考えるよりも行動する方が得意なのだ)、わずかな間に近所から多量のドライアイスを持込んでくる。そして、これをその物体の周りに密集させ、四方を押さえてビニールで覆い、気化した端から次々と補充してゆく。こうすれば水と同程度の比熱と融点を持つものであれば、いずれ固まってくるはずだ。
 時間が経過する。しかしその緑色の対象は、あまり変化を示さない。わずかに緑色が黒っぽくなったか、という気もするが、相変わらず半固形状のねとねとどろどろした状況にかわりは見られない。触ってみるとしびれるほど十分に冷えているが、しかし液状の部分はそのままだ。
 いいかげんいやになって、あなたはその作戦を中止する。
 そこで思いつく。
 引出しから取りだそうとするのが悪いのだ。引出しごととりだして、ひっくり返してしまえばいいのではないか。
 そこでがたがたと引出しをはずそうと試みるが、どうしたことか、この引出しは外れない。ためにし他の段をはずしてみるが、そちらはあっけなく外れたところを見ると、やり方は間違っていないはずだ。だが、同じようにやってみても、どうしてもこの段だけが外れない。理由は分らないが、そういうものらしい。
 気がつくと、袋のさっき破いたはずの部分が見当たらなくなっている。臭気もおさまっている。どうやら穴はふさがっているようだ。
 どういうことだろうか。
 もう一度よくその物体を観察しようとして、あなたは見てしまう。
 袋の中の緑色の不透明な物体が、ぴくりと動く。
 もちろんあなたは触ってはいない。
 内側から力がかかっているかのように、袋の表面がもう一度波立つ。
 そのあと、ゆっくりと蠕動運動をしたように見える。
 そこで、あなたは引出しを閉じる。
 あらためて考える。
 そもそもいったい自分は何の仕事をしていたのだったろうか。
 ずいぶん時間をとってしまったようだ。
 別にこの物体が何であろうと、これまでここにずっと長い間あった状態で、別に自分は不便を感じていなかったではないか。いまさら取り除く意味はないだろう。
 あなたはそう結論づける。
 そういえば、遠い昔にもこんなことがあったような気がする。もしかすれば、あのときはあれはもっと別な形と色をしていたようにも思えるが、いかんせん定かではない。
 まあ、どうでもいいことだ。あなたは忙しい。仕事に戻らねばならない。
 捜し物が何であったかはともかく、少なくともあの引出しにないのは確かだ。それはそれで一つの成果ではないか。
 ふと周りを見回すと、誰の机の引出しにも、その中にまったく使われていない、あるいは決して開けられることがない段があることに気がつく。ガムテープを張って目張りをしているものもいる。皆そこに触れることは何となく避けているような気もする。
 なるほど、となんとなくあなたは納得する。
 そうしてあなたは机に向かい、仕事を続ける。何かのひょうしに、例の物体が引出しの中でうごめく音が聞こえるような気がする。だが、それはそれでなにがしかの風情というものではないか、とあなたはひそかに開き直るのである。


<完>


初出 筑波大学SF研究会 hotline vol.?? (1998?) 
go upstairs