二人称単数現在 第二話
あなたは個人的にはまぐりが好きだ。
海に住む二枚貝のことである。他意はない。
もちろんあなたの住んでいる近辺で取れるはずもなく、魚屋やらデパートの地下やらに出かけて買い入れてくる。それはそれでかまわない。存外大粒のものが一パック三百円程度で並んでいる。悪くない。あなたは喜んで2パックほども買い入れる。
早速家に帰り、少々思案したあと、全ての貝を水洗いしてから大きな皿に並べ、電子レンジにかける。
灯りの下で回るはまぐりを眺めながら、あなたは無心に待っている。
やがて、一つが殻を開く。かぱ、という感じである。そこであなたはレンジを止め、ドアを開け、殻の開いたものを取り出して中身を食べてしまう。他の加工は一切しない。
うまい。それだけで十分だと思う。
この食物について、これ以上のなにかをしようという気にまったくならない。甘いともしょっぱいとも辛いとも何とも言い難いが、ともかくうまい。
さて、残りを再びレンジにかける。ぐるぐると回る二枚貝はやがて積極的に殻を開いてゆく。あなたはレンジを止めたりドアを開けたりつゆをすすったりまたレンジを動かしたり貝を並び変えたり、それなりに忙しい。そうしてその忙しい間にはまぐりを食べている。
さて、やがて貝の数も減ってくる。
二パックも買ってきたのに、もうなくなってしまう。いつも不満に思いはするが、どんなにうまいものでも、食べ過ぎて気分を悪くするのは愚であるとあなたは知っている。好きなものを長い間好きなままで食べ続けるのは、そういったこつがいるらしい。
残りはついに三つになり、二つになり、しばらくして一つになる。
あなたはぼんやりと最後の一つが開くのを待っている。
ずいぶん長いこと待っている。
気がつくと、十分以上、この貝一つだけにレンジをかけている。これはやりすぎだ。
これだけやって開かないのは、もともと死んでいるのだろう。
あなたはそう思って、その貝を箸でつまんで(ずいぶん熱いのだ)捨ててしまおうとする。
と、その瞬間、その貝は殻をわずかに開け、そこから口を突出し、蒸気のようなものを吹き出す。すぐにまた閉じてしまったが、あなたははっきりとそれを見る。
なんだ、まだ生きているのではないか。
あなたは驚くが、気を取り直し、再びそのはまぐりをレンジに入れ、ボタンを押す。
待ち続ける。
五分、十分、十五分。
おかしい。
三十分が過ぎ、もう電子レンジが加熱で危なくなりそうになるに至って、あなたはもう一度あらためてその貝を見てみる。
別に普通のはまぐりだ。問題はない。さっきの口は、なにかの偶然でそう見えたに違いない。これだけレンジにかけて開かない貝など、死んでいる以外の何物でもない。
そう決断して、レンジを止め、今度はしばし間をおいて(レンジの中が加熱されていて、非常に熱くなっている)もう一度箸でつかんでごみ袋に入れようとする。
その途端、はまぐりは再び足と口を出し、蒸気を吹き出す。
あなたは危うく手に火傷をしそうになり、貝を取り落とす。
どういうことだ。あなたは手を冷やしながら、床に落ちている貝を見降ろす。
あれがまだ生きているのは確かなようだ。生きているのなら、腐っているわけではなく、したがって食べられる。食べられるものを捨てるのはもったいないことだ。
しかし、電子レンジにあれだけかけてもだめなものは、どうしたらよいのだろうか。
とりあえず、茹でてみよう、とあなたは思いつく。
そこで、小さな鍋に湯を沸かし、煮立ったところで件のはまぐりを入れておく。蓋をして、熱し、しばらく待つことにする。
適当にのぞき込みに行くが、なかなか貝は開かない。
三十分が過ぎ、一時間が過ぎる。
二時間が過ぎ、あなたはお湯を継ぎ足し、さらに待つ。
三時間、四時間。
水蒸気で辺りは蒸し蒸ししており、部屋のガラスも曇ってしまう。そこで窓を開けるが、あいかわらず部屋の温度は異常に高い。
待つこと六時間、ついに貝殻がわずかに開く。
あなたはようやくほっとする。これで安心して眠れる。
舌のような足がわずかに見える。チューブのような口が見える。あなたはうれしくなり、思わず貝をのぞきこむ。
が、なにか妙な予感がする。あなたはなんとなく顔を鍋から離す。
その瞬間、貝の口からあなたの顔のあった位置めがけて、熱湯が発射される。かなりの勢いだ。顔の位置を動かしていなかったら確実にヒットしていた。
どういうことだ。
あなたは驚く。
再び貝はその殻を閉じている。
まだこの貝は生きているらしい。しかも、あなたに敵意を持っている。
あなたは徹底抗戦を決意する。
お湯などで熱したのが甘かったのだ。ここは素直に焚き火に放り込んでしまおうとあなたは思う。
人目につかない空き地に燃料を用意し、ついでに工作用のバーナーを手に入れ、あなたの準備に抜かりはない。威勢よく焚き火をおこし、そうして万を持して件のはまぐりを投げ込む。そして待つ。
時間が過ぎる。
しかし、相変わらずはまぐりははまぐりのままであり、変化がない。ぴくりとも動かない。三時間が過ぎたところで、あなたは予定通り作戦を切り換える。
バーナーに着火し、三千度の高熱を直接放射する。顔を鉄板で高熱から隠し、安全靴を履き、耐火服を着て高温光用のサングラスをかけたあなたは、それなりになかなか本気であることがわかる。
三十分が過ぎ、一時間が過ぎ、やがてバーナーが加熱して軍手をはめた手では持てなくなる。よく見るとノズルも変形しかかっている。しかし、貝はあいかわらず貝のままで、こともなげに静かである。
あなたは、はまぐりの中には熱に強いものもある、ということを学習する。
何も、向こうが殻を開いてくれるのを待つことはない。こちらが殻を強引に開いてしまえばいいではないか。
力仕事になりそうだと判断したあなたは、工作室に向かう。
貝殻の合わせのところにマイナスドライバーをこじ入れて、なんとか開けてしまおうとする。しかしなかなか入らない。恐ろしく固い。仕方なく、万力で固定して金槌で叩いて抉じ開けようとするが、そもそも万力で固定してあるわけで、これもうまくいかない。それでも包丁の細い刃の先端が一瞬入り込んだような感じがしたが、次の瞬間には再び殻はぴたりと閉じている。どうやら包丁の先が消えているようだ。欠けた包丁をしげしげと観察するあなたの頬を掠めて、はまぐりから包丁の先端が吐き出され、後ろの壁に刺さる。あなたは少々考え込む。
金鋸で削ってしまおうとするが、逆に鋸の歯の方がつるつるになってしまう。ドリルもなんの役にも立たない。ノミで削ってしまおうとするが、どこをどんなに叩いても、表面に傷一つつかない。万力で閉めつけてもびくともしない。特殊鋼のバイトやダイヤモンドカッターまでもが空回りするのを見て、さすがのあなたも、手を止めざるを得ない。
どうしたものか。
あなたは、なるべくなら使いたくなかったはずの,あの手のことを考えはじめる。
できればなるべく避けたかった。だが,これだけさまざまな手段を試して無駄だったということは,やはりあれを使うしかないということなのだろう。
あなたは工作室から離れ、薬品室に向かう。
そこで、ポリウレタンと過塩素酸アンモニウム、安定剤などを持ち出す。そうして、乳鉢でそれらを適当にうねうねと擦りあわせ、熟成させるべくしばらく寝かせておく。その間に、硝酸カリウム、硫黄、炭素粉末を混ぜあわせて火薬を作る。それらを持ってもう一度工作室に戻ると、旋盤を回して信管を作り(実はあなたはこの程度の工作はお手の物なのだ)でき上がった黒色火薬を仕込む。さらにまた鉄管を切り取り、片方をふさぐと、そこにさきほど寝かせておいた怪しい爆発物を棒でつついて詰め込む。信管と本体鉄管をつないで、信管から導線を長く引っ張ればもうでき上がりである。そして、その即席対物破壊爆弾に鉄線で不幸なはまぐりをぐるぐると何重にもくくり付け、破壊力をその一身に受けるように祈りをささげる。
こいつの音はかなり遠くまで届いてしまうので、あなたはかなり遠くの少し先まで出かける。人目につかないところを見つけに出かけ、見つかったらそこに穴を掘る。穴の中にこの哀れなはまぐり爆弾をしまい込み、導線だけを出して後は固く固く埋めてしまう。
そうして、導線の長さの続く限り遠くに行く。できればなにか身を隠すものがあったほうがよりよい。あなたは慎重なので、さらにその上姿勢を低くしていたりする。
さて準備は整った。信管に電池を付け、辺りに人がいないのを見計らって作動させる。
信じられないほどの轟音が周辺に響き渡る。
衝撃波があなたの隠れている岩を叩いたのがわかる。次の瞬間には、あなたの上にも土が幾許か降ってくる。
静かになる。
恐る恐る顔を上げてみると、あれを埋めた辺りは、直径五、六メートルの大穴が開いていて、その周りも木が幾本か薙ぎ倒されている。
これではあのはまぐりも木端微塵だろう。あなたは何だかひどいことをした気分になる。おまけにこれでははまぐりを食べる、という当初の目的から逸脱してしまったではないか。
そう思って、のんびりと穴の方に向かって行くあなたは、途中で思わず足を止める。
見てはいけないものを見たような気がする。
穴の中に何かがある。
何も残っていないはずの穴の中心に、どこかで見覚えのある形が転がっている。
穴の中には爆弾とはまぐりを入れた。爆弾は計算通り爆発してかけらもなくなってしまっている。残りは一つしかない。
信じたくないな、とあなたは思う。
あなたは恐る恐る穴の底に降りて行き、それを手に取ってしげしげと眺める。
確かにはまぐりだ。若干黒ずんではいるものの、それもこのはまぐりにとって大したこととは思えない。
なんということだ。
立ちすくむあなたの前で、はまぐりはゆっくりと殻を開く。
その開いた殻の中の暗がりに、巨大な目のような何かが光っているのが見える。あなたを睨み付けているようだ。
やがて、殻は静かに閉じ、その目玉は再び闇の中に消えて行く。
あなたはぼんやりする。
もしかすると、何かがまちがっていたのかもしれない。
そうしばらく考えた後、あなたはいまさらのように暢気につぶやいて見せる。
「おや、もしかするとこれははまぐりではなかったのかもしれないぞ」
<完>
初出 筑波大学SF研究会 部内誌hotline vol.??
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