二人称単数現在


あなた


 あなたは最近妙な夢にうなされている。
 誰かから助けを求められている。そんな夢だ。
 あなたにはそれが誰だかわからないのだが、きっと大切な人なのに違いないという気がする。その誰かは暗闇で檻の中に閉じこめられていて、そしてあなたに助けを求めている。闇なので顔は見えず、夢の中なので声も聞こえない。ただ、相手が助けを求めているのだということがごく自然にわかり、そしてそれを助け出せるのは他でもないあなただけなのだということもよくわかる。
 そこであなたは相手を救出しようとするのだが、檻は頑丈で、なかなか助けることはできない。
 どうしたらよいのかわからずに、絶望するところであなたの目は覚める。
 そんな夢である。
 いつも通りのわけのわからない他の夢に混じって、毎日必ずと言っていいほど現われる。
 目覚めても、何となく気分が悪い。
 あれが誰なのかはわからないが、ともかく助けを求められている相手を助けられないのは不愉快だ。
 何かいい方法はないのだろうか。
 単なる檻ならば、鋸か何かを持っていって切ってしまえばいい。あるいは鍵を壊してしまう、というのも一つの手だ。
 だが、どうやって夢の中に鋸や金槌を持ち込めばいいのか、そこがわからない。
 眠るときに鋸などを近くに置いてみるのはどうだろうか。うまく行けば、夢の中から手が届くかもしれない。
 あまり根拠もなくそう考えたあなたは、大工道具一式を枕元に用意し、そしておもむろに眠りにつく。
 気がつくとあなたは闇の中で檻の前にいる。
 あなたは檻の前にいて、誰かが檻の中から助けを求めている。いつもの状況である。
 目の前には檻だけがあり、手探りで大工道具を探すが、残念なことにそこには届いていないようだ。
 残念だが、あなたは撤退せざるを得ない。
 あなたは目覚めてまた考える。
 単に置いているだけではなく、手に握っている場合にはどうだろう。手とつながってさえいれば、なんとなくそのまま夢の中にまで引きずり込めそうな気もしてくる。
 そこで、あなたは今度は金鋸とヤスリを両手に握りしめ、ついでに軍手もはめて、あらためて眠りにつく。
 気がつくといつも通り檻の前の闇にいる。
 何となく、手に何かがぼんやりとつかめているような気もする。今までとは違う。しかしいざ何かしようとすると、まるで手応えが無くなってしまう。軍手の感覚もヤスリの感覚も、漠然と伝わってくるのだが、しかし不安定だ。
 ヤスリらしきものの姿がぼんやりと手元に浮かんでいるような気がする。暗闇なのにどうして見えるのか、そのあたりは夢だからなのだろうとあなたは考える。
 ともかく、檻を切らなければならない。
 ヤスリを檻にあてがい、こすってみる。何となく金属のにおいがするようだが、しかしはっきりしない。金鋸を使おうとして、檻の中の相手が近いづいてきて危険なので、あなたは離れているように伝える。金鋸は粘るように動き、闇の中では果たして切れているのかいないのか明確ではない。次第に手も痛くなってくる。それが夢の中の感覚だとわかってはいる。しかし、夢の中であろうとどこであろうと、それがあなたにとって疲労をもたらしていることもまた事実だとわかる。
 しばらく努力するが、あなたはあきらめる。
 起きあがり、布団の中であいかわらず自分が金鋸とヤスリを握りしめているのに気がつき、何となく苦笑する。
 今度は、あなたは夢の本を読み始める。
 なぜあんな夢を見るのか、という点を究明したいというよりは、どうしたら夢の中に自分の望んだものを持ち込めるのか、というところが問題である。やや本末転倒という気がしないでもないが、しかしあなたはそれはそれでいいような気もしている。
 いろいろな本を読み進むうちに、あなたは何となくわかってくる。
 夢についての解釈はいろいろとあるらしいが、ともかく、夢に出てくるものはほぼ昼間見たものが何らかの形で出てきたり、あるいは形を変えたりしていることが多いらしい。だとしたら、逆に、金鋸とヤスリを夢に出すためには、何か別なものを昼の間に印象づけておいて、それを夜に金鋸やヤスリの形で取り出さなければなるまい。
 そこであなたは実験を始める。
 昼間見た強い印象のあるものや事柄を記録し、そしてそれを例の夢以外の、普通の夢の中で出てきたものと照合する。
 大変な作業だ。
 あなたは普段の生活の中で出会ったものをその場で逐一メモしてゆく。道に落ちていた空き缶、大きな音を立てていたオートバイ、折れた鉛筆、清涼飲料水の広告、新聞の見出し、友人との会話、他人の会話、コーヒーの味、などなど、休む暇もない。そして夜になると、夢を見て、その中に出てきたものを目覚めてすぐに比較する。追いかけてくる虎、大きな赤い月、車、上司、歪んだガラス、腐った魚、錐、死神、何も映さないテレビ、ハンバーガー、核戦争の準備、そして、檻、大工道具などなどである。
 そんな努力をずいぶん長いことあなたは続ける。
 むろんそのあいだにも例の夢は見る。あなたは事態が改善に向かっており、救出も時間の問題だ、と相手を励ます。相手は何か言いたげなのだが、あなたは相手の言葉を聞くことができない。暗闇なのだから仕方がない、とあなたは何となく納得している。
 根気のいる非常に長い時間の努力の後、あなたは、昼間見たものと夜の夢の登場物体の間に相関関係を見出したような気がする。
 非常に微妙な相関関係ではあるが、昼の間、欲求不満がたまる場合には、夢の中で攻撃的なものが出現するようだ。しかも、“世の中全般の不合理”とか“過去の歴史における残虐行為のついての憤り”などのような、自分ではどうにもならない大きな不満ではなく、手の届きそうな、しかし自分ではどうにもならないようなものの場合に、手に持てる凶器のようなものが登場するらしい。
 しかし、鉄パイプやハンマーでは破壊力はあるが、最終的な決め手に欠ける気がする。ここで必要なのは単に凶器ではなく、確実に檻を破壊できるようなツールである。
 やがて、ツールが登場する場合には、どうも何か別な条件が必要らしいことがわかりはじめてくる。
 あなたは平素と同じように日常生活を続行しながら、もうしばらく照合を続ける。
 車についた猫の足跡、投げ捨てられる紙袋、インクの出にくいボールペン、駅のホームに咲いているたんぽぽなどと、空を飛ぶ光景、声のないテレビ、学生時代のよく覚えていない友人、ぴかぴかの釘、などとの間の関連をひたすら探り続ける。
 やがて、ツールが出現する状況が絞れてくる。欲求不満に加え、漠然とした自己統制感の揺らぎ、不安、そうしたものが微妙な割合で統合され、かつその不安が何らかの形で抑圧されている状況で出現するようだ。
 そこであなたは、自分をそのように追い込む状況を形作る。
 試してみると、実際には、そうした環境に近付くことはそれほど難しいことではなく、普段あなたが生活している環境からそれほど離れたものではないということがわかる。
 わざと、あるいはわざとでなく仕事でミスをし、他人から遠回しに罵倒され、あえて受け入れて反論せず、それでいながら漠然とした将来の不安を感じるようになる。その程度で微妙に十分のような感じである。
 さて、日々その状況に近づいて行くと、次第に夢の中に出現するものが望みのものに近づいてくる。はじめは鉛筆やボールペンのようなものから始まり、次に三角定規、コンパス、やがて金槌、かんながそれに続く。何回かの前進と後退を経験した後に、ある晩、あなたはついに金鋸とヤスリを登場させることに成功する。
 そして、それで安心はできない。出てきたら出てきたで、その確率を上げなければならない。あなたは状況を固定し、さらに金鋸やヤスリが出現しやすいように昼間の生活状況のパラメータを調整する。実際のところ、それほどの苦労はしなくともすぐに固定できるようだ。あなたの今の生活パターンは、そうしたツールを出現させるのに十分有効なそれになっているらしい。
 その成果であろう、あなたは金鋸とヤスリを自由自在に夢見ることができるようになる。頑丈な、新しいヤスリと、まだ目の立っているきちんとした金鋸である。ここまで来ればもう完全に近い。金鋸は、予備の替え刃を4枚まで用意できるようにすらなっている。
 もういいだろうとあなたは思う。
 ある晩、あなたは意を決し、例の夢の中に潜り込む。
 いつぞやと違い、金鋸もヤスリも夢の中の物体であり、檻がそうであるのとなんら変わり無い。檻がこのように存在感を持って誰かを閉じこめているのなら、この金鋸やヤスリも同様に存在している。切って切れないはずがない。
 あなたは手探りで檻を探し当て、おもむろに切り始める。
 手応えがある。
 よろしい。
 そのまま切り続ける。
 夢の中で、溶けるような時間が経過する。不思議といつまでたっても切り終わらない。
 刃が無くなったのか、とあなたは替刃に交換するが、状況に変化は認められない。相変わらずの粘るような手ごたえが返ってくるばかりである。
 あなたは焦り始める。
 何か自分は間違っていたのかもしれない。
 この檻はこの方法では解放できないのかもしれない。
 たった一本の金属の棒が、いつまでたっても切れてくれない。しかたなく鍵の部分に手を付けても変わらない。どちらも、切れているのに切れていない。金属臭もするし、金鋸は熱を帯びてきている。暗闇の中に火花が散っていることすら、夢とは思えないほど鮮明に見える。
 あなたの感覚では確かに切れているのだ。十分な手応えがあるのだ。しかし、それは何か根本的なところで間違っているらしい。これは切れているのだが、しかし同時に切れてはいないのだ。よくわからないのだが、きっとそういうものなのだ、とあなたは思う。
 あなたはずいぶん長い間粘るが、ついにあきらめる。
 何に対してかわからないが、きっと負けたのだろう。そう思ってあなたはもうあきらめようとする。
 そして、しばらく頭を抱えて、じっとしてしまうことにする。
 すると、檻の中にいた人物が、手招きしている。
 その人物は、檻から手を出して、あなたに何かを手渡そうとしている。
 あなたはそれを受け取って、闇の中でしばらく眺める。なぜ闇の中でそれが見えるのか、というところに対する解答はあいかわらず明確ではない。
 それは鍵のように見える。
 確かに、鍵以外の何ものでもないだろう。そう思える。
 何の鍵か、と考えると、どうもこの檻の鍵であるように思えてくる。
 この闇の中に、他の鍵をかけるようなものはありそうにない。
 ということは、はじめからこの人物は、この檻の鍵を持っており、それを外側からあなたに回してもらいたかったのだろう。
 外側から。
 しかし、なぜ“外側”なのだろうか。
 そこで気がつく。
 どうしてこれまで自分が檻の“外”にいたと思っていたのだろう。
 自分を相手と隔てていたのは鉄の格子だった。相手は格子をはさんで、ずっと自分と対面していた。自分も相手をはさんで鉄の格子のこちら側にいた。
 そうか。
 そういうことだったのか。
 閉じこめられていたのは誰だったのか。
 助けを求めていたのは誰だったのか。
 あなたはようやく自分の長い間の勘違いに気がつく。
 あなたはおもむろに鍵を鍵穴にいれ、ゆっくりと回す。
 かちゃり、という金属音が闇の中に響く。
 不思議に透明な音だ、とあなたは思う。

 目が覚めると、あなたは何となく穏やかな気分になっている。以前から漠然とつきまとっていた不安感は薄くなり、とりあえず今日一日を生きてみようという心持ちになっている。確かに自分にとってうまく行かないことは多いが、しかしいずれ何とかしてみようと考えている。そして、きっとそれはできるはずだ、という印象もある。これまで押さえつけていた何かが消えてしまったかのようだ。
 外はまだ薄暗い。少し早いが、気分も良いことであるし、もう今日は起きてしまおうとあなたは思う。
 何かいい夢を見ていたような気もするのだが、あなたはどうも覚えていない。いい夢はいい夢なのだから内容など構わないではないか。あなたはそう思う。
 そこで、あなたは右手に何かを握っていることに気がつく。
 古びた大きな鍵が一つ、あなたの右手に握られている。どこから持ってきたのだろう、と少し考えるのだが、すぐには思い浮かばない。
 そして、あなたはそれが何なのかあまり気にすることもなくベッドの上に放り投げ、大きく伸びを一つするとおもむろに寝巻を脱ぎ始める。



<完>


初出 筑波大学SF研究会 部内誌hotline vol.?? 
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