二人称単数現在 第四話
あなたは少し昔のコンピュータを使って仕事をしている。
その昔に人様からもらった機械で、特に新しいソフトウェアも入れず、 一人でのんびりと楽しんでいる。そうやって使っている限りあなたに特に不満はない。コンピュータのほうも、とくに不満を述べることはない。
さて、そんなあなたのところに、一人の親切な友人がやってくる。
その友人はコンピュータに詳しく、かつ自分でコンピュータを組み立てることを得意としている。
主たる用事をすませたところで、その友人は部屋の隅にあるあなたのコンピュータを見つける。そして、おもむろに眺め、まだこんなものを使っているのか、とあきれたように述べる。
あなたは素直に“使っている”と答える。
すると、その途端、友人は少し顔つきが変わったようになる。そうして、延々とあなたにわからない言葉で話しはじめる。
どうもコンピュータのことを説明しているらしい。あなたはよくわからないので、適当に相槌を打ち、その合間にお茶などを入れている。
その友人は長い間しゃべりつづけた後、最後に勝手に結論を出す。
「次の休みに新しいものを買いに行くものとする」
そうですか、とあなたは言う。
次の休みになるとその友人がやってきたので、あなたは相応のお金を持ってそれについていく。
電車を乗り継いで、にぎやかそうな街にたどり着く。
電気関係のものをたくさん売っており、なんだかその友人に似たような人がたくさん歩き回っている。ここは“そういう街”なのだ、とあなたは認識する。
友人はあなたを引き連れて細い路地を回り、謎のビルの上のほうにのぼり、また下がっては別の怪しげなビルに入りこみ、を繰り返す。その途中途中で、あなたに、これとこれを買うように、と指示を出す。あなたは指示されたとおりに物を買っていく。
そうするうちに、いろいろな品物が溜まっていく。
どうやら、友人はこれらの複雑なものを組み立ててコンピュータを作製しようとしてくれているらしい。
それはありがたいことだ、とあなたは素直に思う。
さて、その友人は人のコンピュータの買い物につきあうほど暇なようであり、一方でそれを組み立てる暇もないほど忙しいようでもある。
あなたの部屋にある部品たちは、隅のほうで日々呆然としている。
さり気なく友人の時間的余裕をうかがってみるが、仕事やらプライベートやらで何かとても忙しい状態にはまってしまったらしい。
どうしたものか、とあなたは思うが、しかし急ぐことでもないのでしばらくはそのままにしている。
時間が過ぎる。
件の友人は忙しすぎてろくに連絡も取れなくなってしまう。
忙しい人というのはとことん忙しいものなのだなあ、とあなたはお茶をすすり
ながらあらためて思う。
さらに幾許かの時間が過ぎる。
件の友人とはまだ連絡が取れない。
最近の断片的なやりとりの印象から、相手の忙しさはますます加速しているようだとあなたは感じる。
これは参った、とあなたは思う。
どうやら、自分で何かをどうにかする必要があるようだ、とあなたは気がつく。
何をするべきだろうか。
部品類の箱にほこりが積もってゆくのを毎日観察して、克明に記録をつけるというのはどうか、とあなたは自問してみる。
しかし、それはおそらく友人がこれらの部品を購入した目的とは異なる用途で
あろうことは、あなたにもよくわかる。
では、どうすればよいのだろうとあなたは思案する。
本来の目的は“コンピュータを組立てる”ということであるので、それについての情報を仕入れる必要があるだろうとあなたは判断する。
こういう情報は本屋に存在するものだとあなたは知っている。
そこで、なんとなく、それらしい本屋に出向き、それらしいコーナーでそれらしい本の表紙を眺めて見る。
ずいぶんとたくさんあるものだ。
どんなものだろうか。
あなたは一つを手に取ってみる。
うーむ。
おもわずあなたは佇んでしまう。
わけのわからない用語があふれかえり、文章として認識することもおぼつかない。
「やめとこ」
あなたは本屋から逃げだす。
逃げ帰ってからあなたは反省する。
逃げては解決しない。もう少しそれらの本をまともに読んでみるべきだろう。たとえ立ち読みといえども。
次に本屋に出向いたとき、あなたはもう一回それらしい本を眺めて見る。
やはり難しそうだ。が、どことなくわからないでもない部分がないでもないような気がして来る。
しかし、気がつくと、あなたはいつのまにか料理の棚のほうに移動して、お茶の本を手にとっている。
いつの間に、という感じである。
うちに帰り、お茶を飲みながらまた反省してみる。
心の抵抗は根強いらしい。しかし、本屋自体から逃げ出さなかったことを鑑みると、前回に比べて耐久性は高まっていたようだ。
もう少しだろう。
やや時間をおき、もう一度本屋に出向く。
あなたはまたそれらしいコーナーで、それらしい本を眺めて見る。
あいかわらずほとんどわからないものだが、しかしそれでもとりあえず部品を組み立てればいいのではないか、という気がしはじめる。
そして、ついにその本の購入を決意する。
部屋に本を持ち帰り、あらためてくわしく眺める。
わけがわからない。
やはり難しいではないか。
だまされた。
誰にだまされたのかはよくわからない。
しかしもはや躊躇していても始まらない。
決断とともに、あなたはお茶を片手に各種の部品の説明書を読みはじめる。
さっぱりわからないのだが、お茶をすすりつつ、とりあえず読み終わる。
次に、お茶を傍らにおき、ドライバーと軍手を持ち、わけのわからないままに組み立ててみる。まったくわけのわからないところは、まったくわけのわからないままに組み立ててみる。本当にどうしようもないところは、本当にどうしようもないままに組み立ててみる。
わけがわからなくどうしようもないなりに、なんとなく形が整いはじめる。運
がよければうまくいくような気がして、あなたはうれしくなる。あなたはこれま
での人生において運資源を浪費していたという自覚があるが、今回これに対し
ても、運を集中投入することで何とかなるのではないかと期待する。
本体のふたを閉め、いろいろと周辺の物品をつないでみる。
さて、電源を入れてみよう。
謎の音がする。
謎の文字が映る。
そして、そこで終わってしまう。
「なるほど。そうきましたか」
あなたはつぶやくと、またおもむろにお茶をすする。
あいかわらず忙しい件の友人は、この話を聞いても忙しがっているばかりである。
そこで、あなたはこの問題を最後まで自力で解決しようという決意を新たにせざるをえない。いたしかたなし、という感じである。
とりあえず決意を新たにはしてみたが、しかしこれだけではどうしようもないことはあなたにもよくわかっている。
まず部品を買った店に出かけて、話を聞いてみようではないか。
以前友人と出かけていった街に、箱に入れたそのコンピュータを抱えていく。
あなたが歩くたびに、その箱の中から何か同士がぶつかる音が聞こえてくるよ
うだ。
そこで、部品を買ったいろいろな店を探してみるのだが、どうもあまりに複雑な経路をたどったためか、あなたはその一つにすらたどり着けない。
疲れのためか、箱は次第に重くなってくる。
そのうち『俺を殺したのはその杉の根元だったね』などと言い出しかねない重さである。
これは参った、とあなたは思う。
にぎやかな音を立てる謎の箱的な物体を抱えたまま、わけのわからない街の得体の知れない小さな小路に迷いこんだあなたは、途方に暮れてしまう。
そこに、妙なアクセントの声がかけられる。
「それうごかないうごかないねあなたのものはそのものは」
うねうねした妙な声だ。
なんだろう、とあなたは振り向く。
背の低い、フードをかぶった人物が、あなたのコンピュータを繁々と眺めてつぶやいている。顔はよく見えない。
「うごかしたいかそれをそのきかいをかりきゅれーたをこんぴゅーたーをあなたのものをそのものを」
どうやらあなたに尋ねているようだ。
あなたは、その相手にこの物体を正常に機能させたい旨を伝えてみる。
すると、その人物はあなたをそのとおりの隅にある、小さな店らしき場所に導びこうとする。
怪しい、とあなたは思う。
小柄な人物で、体の全体はマントのようなものに被われている。頭の部分はフー
ドにかくされ、手の先は手袋をしている。要するに、正体不明である。声はうね
うねしていて腰砕けであるが、喋っている当人は大真面目らしい。ちなみにマン
トもフードも花柄だ。
取りあえず、背中に“怪”と書いてこそいないものの、怪しさが辺り一面に発散されているのは確かだ。
だが、不思議と“危なさ”は感じられない。
あなたは黙考する。
ここはもはや頼るものもないのだから、仮に壊れてしまったとしても動かないことと変わりはない。つまり、失うものは本質的に何もない。ついでに言うなら、財布の中にもほぼ何もない。
あなたはいつものように前向きな結論を出す。
「行くしかないでしょう」
そして、あなたはその人物のあとにのこのことついて行く。
怪しい店舗に入る。
他にも同様に怪しそうな人物がいるようだが、奥のほうにいてよくわからない。
さて、その人物はあなたにそのコンピュータを机の上に置くようにうねうねした声で述べ、そして手袋を脱いでそれを分解しはじめる。ずいぶん血色の悪い手であるとあなたは思うが、しかしこの際それはどうでもいいのかもしれない。
その人物は手慣れているのか慣れていないのかよくわからないのだが、とりあえずふたが開けられ、内部が見えるようになった。
あなたがそのコンピュータに施した、実にいいかげんな処置がうかがえる。
ちょう結びになっている配線や、互いに斜めになって依存しあっている“何か”
の群れが白日の下に晒される。
この分では、部品の中には、もうすでに人生をあきらめているものもいるので
はないかとあなたは感じる。あたかも他人事であるかのようだ。
その人物は粗雑な中身を眺めて、しばしの間、溜め息らしきものをついている。
申し訳ない、とあなたは思う。
すると、どこからかおもむろに粘土のような物が取り出される。
脇からしげしげと見たところ、やはり粘土のようだ。
ぐねぐねしている。
よく見てみると、自発的にぐねぐねしているような気もするが、あなたにはよく見えない。
そうして見ていると、その人物はそのぐねぐねをコンピュータの中に押し込んでゆく。
まさかと思ってあなたは改めて見なおす。
確かに、粘土を詰めている。
コンピュータの中の部品のすき間に、ぐりぐりと容赦なく、手際よく、軽やかに、素早く、そして力強く粘土を押し込んでいく。躊躇とか逡巡といった言葉とは無縁の玄人の手際である。
しかしながら、手際が玄人であろう素人であろうと、やっていることは“コンピュータに粘土を詰めこんでいる”のである。
あなたはおののく。
心の中で“シェーのポーズ”をとっている。
さすがにあなたでも、粘土を押しこまれては楽観はできない。
あなたの組み立てもいいかげんだが、それ以上のいいかげんな処置にお目にかかれるとは、長生きはするものだ。
引き続き眺めていると、謎の人物が力を込めすぎたのか、明らかになにかが割
れる大きな音が聞こえてくる。
もはやあれらの物品は、コンピュータの部品という立場から、がらくたという
カテゴリーに移行したと見てよいようだとあなたは思う。
甘い夢を見ていたのが悪かったのにちがいない。
古いコンピュータで満足していればよかったのだろう。
だいたい、古いものが使えなくなったわけではなかったのだから。
あなたは遠い目をして、部品の代金で食べられるはずだったあんなものやこんなものを思い浮かべる。
お腹も減って来たし、そろそろ帰ろう。お茶も飲みたい。こういうときは、
渋い熱いお茶がいい。
まあ、ここまで来たついでなので、何か甘いものでも買って帰ろう。たしかこ
のあたりにケーキのおいしい店があったはずだし。そうなると、今日はコーヒー
のほうがいいかもしれない。ついでにコーヒー豆も買って帰ろう。やれやれ。ま
あでもきっと明日はいいことがあるだろう。そういうものだ。人生山あり谷あり
で、明るい日と書いて明日と読
勝手に敗戦処理に取り掛かっていたあなたは、肩をたたかれて我に返る。
いつの間にやら、コンピュータに電源が入っている。
よく見ると、きちんと画面が映っている。
起動に成功しているらしい。
あれまあ。
どうしたんだろうか。
適当に操作してみるが、“思ったように”動いてくれる。すくなくとも、あなたには異常はないように見える。
きっとこれは正常だ。そうに違いない。あなたの動かしたいように動いてくれるのだから。
何が起きたのだろうかあれってほんとはよかったのか実はただの粘土じゃないのああいうものがあるのかな最近はずいぶん進んでるでもあんなもの聞いたことも読んだこともないけどほんとにあれでまともに動いているのかでも動いているみたいだよなでもとても不思議だぐねぐねしていたけど見直したでもあれってほんとはなんなんだいったいなんなんだって言うかこの人いったい何をしたんだろうかって言うかこの人いったい誰なんだろうかって言うかやっぱりあれってなんなんだろうか。
一瞬の内にいろいろな考えがあなたの脳裏をよぎるが、しかし、それらは次のような燦然と輝く言葉にかき消されてしまう。
『結果オーライ』
そうだ。動いているのだから、いいじゃないか。
あなたは目の前にある事実を信じることにする。
そして、信じるものは救われるのだということにする。
世の中はそうしてしまったものの勝ちなのであるとあなたは思う。
あなたはその粘土の代金および粘土をぎゅうぎゅうと詰めた手間賃としていくらかのお金を払う。実のところ、たいした金額ではない。
奥のほうからは「ここそこどこの技術レベルスケール段階はわわわわ「こんな時代タイム遅れの物体物質マテリアルでもでもでも貨幣金銭を獲得げっとします不特定主語人称の我々手前共といたしまして「でもしかしまたまだこの星ではレベルを高い高すぎて性能を過剰もてあましてここのここは低い低次元レベルのポリ技術テクニック「なんでほわいこんなこのこのような星惑星原住民の為替レート変換比率貨幣価値が高い高価なのだろうなぜなにのホン「早く稼いでおうち星家族に帰ろうろうろう出稼ぎの「派手に激しくおおっぴらに広報的に行う実行すると取り締まりお上の締まりしまり鎖国閉じ込めうきうきききき「そこどこの言語ラングコンバーターの始発スイッチ切っとカットけよオフ」などという、言葉らしきものがうねうねした音声で聞こえてくる。
が、コンピュータが動いている今となっては、そうした些細なことはそれほどの問題ではないようにあなたには感じられる。
問題は解決した。
もはやこれ以上悩むことは何もない。
そうしてあなたはそのコンピュータを抱えて幸せのうちにおうちに帰る。
以来、あなたはそのコンピュータをごきげんに使っている。
あなたにとっては、とてもよいコンピュータだ。
やろうとしたことは思ったように自然にできるし、入力だってすいすいと進む。
進みすぎて、まだ入れてない部分まで表示されることもある。保存容量もどのく
らいあるのかわからないくらいたくさんあるようだ。見たい情報は思い浮かべる
だけですぐに表示されるし、おまけにどんな動作でも素早いこと限りない。ある
とき気がついたら、近くに置いてあった古いコンピュータとつながっていたし、
いつのまにやら自然に外部のネットワークにもつながっていた。回線も何もつな
げてないのに、どうやっているのかわからないが、きっと無線とか電波とか“そ
ういうもの”で接続しているのだろうとあなたは適当に思っている。なんといっ
ても最新式なのだから、そのくらいのことは黙っていてもしてくれるのだろう。
いずれにしても動いているのだからきっと問題ないのだ。接続の料金が請求され
ないのはなぜだろうとも思うのだが、そのへんもたぶん、“お得回路”とかそう
いうものが働いて“うまくやっている”のに違いない。だいたい、この前は電源
ケーブルが抜けていたけれども、問題なく動いていた。さすがのあなたも多少気
になったので差し直してはみたが、その前も後も相変わらず同じように動いてい
たので、こうした事柄は本質的なものではないのだ、とあなたは悟っている。
最近は、頼んでおくとちょっとした仕事はしてくれるし、どういうわけか電話もうまいこと受けてくれるようになった。どんどん機能が高まっていくのであなたは驚いている。
実に快適だ。
最近のコンピュータはすごい、とあなたは感心する。紹介してくれた友人には感謝しなくてはいけないだろう。
しばらくして、ようやく時間ができたらしい件の友人がやってくる。
コンピュータが正常に動いているのを見て、とても感心している。実のところ、あなたも感心している。
しかし、動き方については多少疑問を抱いているようだ。
やはり興味を持ったらしく、工具を使ってケースを開き、中を覗こうとする。しかし件の妙な人物が相当にきつく閉めたのか、どうしても開かない。友人も相当苦労するが、しかしまるで中から引っ張られているかのように、開きかかってもすぐに閉まってしまう。とても頑丈だ。
努力とともに時間が過ぎるが、しかし開かない。
それでも友人はまだ奮闘している。
根性のある友人である。
長い時間が経過した後に、これは動いているのだ。それでよいものとしよう、とあなたは横から建設的な意見を述べる。
友人は納得したようなしないような感じであるが、最後にはついに、まあいいかもしれないとも述べる。
そうして、あなたはいつものようにお茶をいれ、友人と語らうこととする。
友人は、件のコンピュータの方を多少気にしながらも、あいかわらずコンピュータ関係の難しいことを述べている。
あなたはお茶をすすり、お菓子をつまみ、相槌を打ったり打たなかったりしている。
が、いろいろと話している中に、なんとなくあなたでもわかるような気がする内容が一つある。
「コンピュータで意外に忘れられているのだが、実はケースというのも相当に大事なのだ」
そうだろうな、とあなたも思う。あのケースをもう一度開けるのは大変そうだ。
その一方で、あなたは自分の頭を指で叩きながら、カップの中でこんなこともつぶやくのだ。
「でも、もっと大事なのは、ケースの中の粘土だよ」
<完>
初出 本稿 2000/05/21
go upstairs