「グラップラー刃牙」

週間少年チャンピオン連載 板垣恵介作



「日本において最高のレベルを誇る空手の「神心館」の主催する全日本大会。過去3年連続のチャンピオンである末堂厚は、決勝戦までオール一本勝ちを決めていた。調子は最高、もはや向かうところ敵なし、4年連続の優勝は決定したも同然、と誰もが思っている。今の調子なら、あの伝説の空手家、この大会を主催する神心会の会長、愚地独歩をも越えるのではないか、と思う者もいる。末堂自身も、そう思えている。それほどまでに、全てが快調だ。
 そこに決勝戦の相手が「白帯」だという話が伝わってくる。なぜ錚々たる有段者達が皆その「白帯」の少年に負けたのか、しかもすべて一本勝ちで負けたのか。人々は、信じられない思いでその名前を尋ねる。
 少年の名は、範馬刃牙。
 16歳。
 都内の普通高校に通う2年生。
 過去においてどのような格闘・武術集団にも所属していない。少なくとも、誰も彼の名を聞いた事がない。
 彼は本当に素人なのか。
 しかし、控え室での行動を見る限り、彼は「空手」こそ白帯だが、それは単にこれまで「空手」の流派に組していなかったからにすぎない、という事がわかる。誰の目にもわかる。
 彼の肉体は、体格に比して厚すぎるほどの筋肉に覆われ、なおかつ、その表面に無数の傷を負っている。その傷は、この少年が、年齢とは無関係に果てしない修羅場をかいくぐってきた歴史を無言のうちに証明している。
 だが、相手は3年連続のチャンピオンだ。しかも絶好調だ。ちょっと強い程度の素人がまぐれでなんとかなる相手ではない。
 試合が始まる。決勝戦が始まる。
 だが、開始数秒、末堂はなめきっていた相手にハイキックで肩の間接を外される。少年はあっという間にチャンピオンを戦闘不能に追い込んだ。審判の制止を振り切り、末堂は無理矢理肩の関節を自力ではめる。ここから試合は「本当に」始まる。
 本気になった末堂は強い。少年を徹底的に叩き伏せる。最後に3段の攻撃をもろに食らい、少年は吹き飛んでいく。観客はため息をつく。
 そして、次の瞬間、場内は異様なものを見る。
 巨体の空手家の繰り出した、完全にヒットした攻撃を食らったはずの少年が、事も無げに立ち上がり、「スリップダウン」を主張する。
 彼には何のダメージもないのだ。
 末堂は呆然とする。
 自分の完全に決まったはずの攻撃が、何のダメージも与え得ない。
 これは何者なのだ。
 自分は何と闘っているのだ。
 さらに少年は、信じられない事を言う。
 「顔を殴れ」
 空手家の拳で、顔を殴ったらどういうことになるのか。
 それを承知でそう言う。
 むろん大会ルールでは顔面への攻撃は禁止されている。それを破れ、という。白帯の少年が、全日本チャンピオンに対してそう挑発している。「顔を打たねば、自分は倒せない」と。
 末堂はようやく気がつく。
 ここにいるのは、とほうもない実力を持った何者か、だと。
 そして、この少年には、空手も何も関係がないのだ。
 この少年は「格闘技」をやっているのだ。
 末堂もまた「格闘技」をやっている。顔を打たないルールの「格闘技」など、無意味だと末堂自身も気が付いている。
 そうか。格闘技をやれ、という事か。
 末堂はそう決意する。
 空手の大会は、ここで終わる。
 「4連覇はなくなりましたと館長に伝えろ」末堂はそう叫ぶ。
 もはや、大会に優勝する、しない、などと言うことは瑣末事である。
 格闘技が始まるのだから。
 末堂は、顔面に攻撃を仕掛けにいく。
 少年は、その拳を避けない。
 むしろ、体からその拳に当たりにいく。
 顔面を拳が捉える。
 拳を顔面が捉える。
 次の瞬間、悲鳴を上げたのは末堂の方だ。
 拳が、破壊されている。白い骨が妙な角度に折れ曲がり、皮膚から突出している。
 なぜだ。なぜ自分の空手の拳が。
 呆然とする末堂に対して、少年は軽くこう言い放つ。
 「骨折くらいでおたおたしちゃって!」
 少年にとっては、骨折などは格闘技において何ら問題にならない、ということなのか。
 少年の攻撃が始まる。
 一発一発が的確。そして重い。ガードが効かない。いったいこれは何なのだ。
 末堂が最後に覚えているのは、自分の放った3段攻撃とそっくりな展開で、最後に後ろ回し蹴りが自分のみぞおちにいやにゆっくりと決まっていくシーンだった。
 気が付くと、愚地会長が少年と何かを話している。
 地下格闘場、という言葉が聞こえたような気がする。
 だが、自分は空手をやっているのではないのだ。
 まだ闘う意志がある以上、闘うのだ。
 そう思って、末堂は立ち上がる。だが、体が動かない。すさまじいダメージだ。会長が何かを言っている。よくわからない。とにかく、自分はあの少年と闘うのだ。
 闘うのだ。
 闘うのだ。
 愚地会長が末堂に向かってつぶやき、何かをした。
 末堂は再び意識を失う。」



 「グラップラー刃牙」はこんな導入から始まる。
 「空手」という既存の格闘技の権威を、実力をほとんど出さずに一蹴する事で、この主人公の桁外れの強さをアピールする。しかも、この少年はほとんど無名だ。一体この主人公の正体は何だろう。読者にそう思わせるに十分な演出だ。
 そこから視点は主人公に移る。彼の日常、毎朝30キロのランニングで始まり、家の地下にあるトレーニングルームでの鍛練。そして通う高校では決して目立たない生徒。鍛えぬかれた肉体を隠し、腰に持病があると称して体育の授業は常に見学、さらに、どういうわけか、あるときになると立派な車が校門まで彼を迎えにくる。その行き先は誰も知らない。

 実は、その先は「おとぎの国」なのだ。

 後楽園東京ドーム地下6階。
 非常に限られた人々だけを受け入れる、その場所。


「男が二人、向かい合っている。
 一人はプロレスリングのメインエベンター、もう一人は現役の横綱。
 自他共に最強と自負するその男達は、通常は相見える事はない。相撲とプロレスはルールが異なる。決して互いが交差する事はないはずだ。どちらが強い、という問いかけすらもナンセンスとされる。お互い違うルールの下での格闘だからだ。
 だが、その二人が、この場所で互いににらみ合っている。
 何なのだ。ここは。
 和太鼓が鳴る。二人は闘いはじめる。
 ここは東京ドーム、地下格闘技場。
 凶器攻撃以外がすべて許される、ルールの無いリング。
 人間が素手で持てる力を全て出しきって闘うことが許される、唯一の場所。
 格闘家は、ある程度の強さになると、どこからかこの場所の伝説を聞く。そして、一部の格闘家は、その場所に行ってみたいと望む。そして、実際に立てる者は皆無に等しい。
 勝負はものの数秒で決まる。横綱は相手の金的を捉え、レスラーを叩き伏せた。
 あっけない勝負だった。
 だが、観客はさらに興奮をしている。
 これは単なる前座にすぎなかったらしい。
 次の試合があるのだ。
 しかし、常識的に見て、横綱とレスラー以上の格闘技の試合が存在するだろうか。
 これ以上、とは、いったい何を意味しているのだろう。」


 このマンガの特徴として、これまで様々な格闘技を扱ったマンガがあった中で、主人公が特定の格闘流派に属さないという点が挙げられる。長い連載を続けている格闘技マンガの多くは、主人公はある特定の流派(主として古武道的なものが多い)に所属しており、その流派を背負ってその他の格闘技と闘う、という形式を取るものが多い。例えば、月間少年マガジンに長期連載中の「修羅の門」の主人公は「陸奥延明流」という隠された古武道の継承者として現われ、空手家・ボクサーをはじめとして種々の格闘家と闘い、それを破っていく、という展開になっている。週間少年サンデーに連載中の「南王手(はおうでい)」を扱った作品は、沖縄の、やはり古流の武術を備えた少年が主人公で、ほぼ同様の展開を取っている。同じくサンデーで連載されていた「拳児」は、中国拳法(八極拳など)を少年が学んで行きながら強くなる、という筋である(一応ボクシングなども練習するが、あくまでも主体は中国拳法である)。週間少年マガジンの「コータローまかりとおる」も基本的には空手(最近は柔道)のエキスパートである。過去現在の無数のボクシングマンガも、ほとんどが「ボクシング」という枠の中での闘いに終始する。私の知る限りほとんど唯一の例外は、週間少年マガジンに連載されていた「破壊王ノリタカ」で、いじめられっ子であったやせた少年(外見は最後まで変わらないが)が、様々な流派の相手と闘ううちに次第次第に強くなり、いつのまにか異種格闘技において際立っている、という“持って行き方”をしている。主人公の所属する格闘種別、という視点では「刃牙」はこれに近い。

 だが、別の観点もある。先の「修羅の門」「南王手」はいずれも物語の当初から、主人公はそのあたりの強豪格闘家をはるかにしのぐ力を持って読者の前に登場する。一方で、「ノリタカ」「拳児」の場合には、主人公が(読者と一緒に?)強くなっていく様を描く。前者においてもむろん主人公の成長は描かれるが、相対的に見て後者ほどの落差はない。この視点で見ると、刃牙の構成は巧妙である。第1巻に於いては既に刃牙は完成されており、彼が現時点でいかに強いか、が描写される。しかし、連載途中において場面が転換する。「幼年編」と称し、主人公がまだ「それほど」強くなかった頃の話を描き、彼の成長の軌跡を追うことを主目的とした作りをしている。読み方によっていずれの側面も見出すことができ、物語として深みを持たせている。そうして主人公を現在、過去と描いたところで、時間を現在に戻して再び「強い」主人公を描いて見せる。単に強いだけの主人公を描くものと異なり、再び読者の目の前に現われた主人公は“本当”の強さを具現化している。少なくとも、物語当初の「単なる」強さではなくなっている。


「メインイベントはまだか。
 客は興奮を隠さない。
 試合はまだか。
 試合はまだか。
 チャンピオンはまだか。
 チャンピオンはまだか。」



 こう書くと、この「刃牙」という作品が「要するに格闘技のマンガなのだ」と思われるかも知れない。しかし、格闘技マンガである以上に、このマンガは「少年マンガ」なのである。
 主人公の「範馬刃牙」は、幼い頃から「地上最強の生物」と呼ばれる父に「強くなること」だけを至上の目標として教育を受けてきた。父親が離れてからも、母親によって世界一のコーチをつけられ、自身でも街の不良100人一度に相手にして勝つための闘いを挑む。そのありさまはまるで鬼だ。しかし、様々な相手と闘ううちに、自分がなぜ闘うのか、を考えるようになってゆく。
 彼が見出したのは「絆」であった。相手がプロボクサーの世界チャンプであれ、巨大な猿人であれ、あるいは日本最強の喧嘩やくざであれ、いずれにせよ、一度拳を合わせた相手とは連帯意識、言い換えれば友情が芽生える。それが格闘技を通じて自分の求めるものであり、そして、それは自分に強さへの衝動を叩き込んでいった「父親」にはないものだ、と言い切る。主人公は「父親」との対決を目標としており、究極的にはこの「父親」と闘い、そして彼を理解することを望んでいる。
 少年マンガが成長を描くものだとすれば、主人公と「父親」との対決は避けられない。直接的に「父親」が出てこなくとも、「父親」的なキャラクターがたいていは存在する。その点で、このマンガは直裁に父親を描き、主人公が乗り越えるべき「巨大な壁」として設定している。
 実際、その巨大さは半端ではない。意味を持って登場する格闘家の最低ランクが「ボクシングの世界チャンプ」であるこのマンガに於いては、刃牙の父親「範馬雄次郎」の強さは何に比類すべくもない。「地上最強の生物」という形容がかすかにその漠然とした位置付けを伝えるのみだ。



「歓声が上がる。
 割れるような声だ。揺れるような声だ。
 響く怒濤の中で、一人の少年が現われる。
 刃牙だ。
 刃牙だ。
 あの範馬刃牙なのだ。
 この少年が、この格闘地の帝王なのだ。
 この少年こそが、あらゆる格闘家の集うこの地下格闘技場の、紛れもないチャンピオンなのだ。
この16歳の少年が。
 人々の叫びが、少年の名前に変わる。
 刃牙!刃牙!刃牙!
 刃牙!刃牙!刃牙!
 刃牙!刃牙!刃牙!
 拳を振って応える少年。
 明るい、華のあるチャンピオンである。」



 主人公は闘った相手と決して遺恨を残さない。負けた相手は恨みの感覚を持たない。それは、主人公が本当に全力をつくして、相手の攻撃を「受けきって」勝つからであり、「強い」ことと相手との「連帯意識」が矛盾せずに共存している。いわば「努力・勝利・友情」という、少し前の少年ジャンプのお題目の、順序を少し変えたようなものが立派になりたっている、近ごろ「めずらしい」作品だろうと思う。



「沸き立つ闘技場のもう一方の隅に、一人の男が立っている。
 静かに、一人で立っている。
 長い髪を無造作に垂らし、ごく当たり前のように、街角かどこかで人を待っているかのように、自然に立っている。
 黒い空手着が肌に染み付いている。
 スーツでも着ていれば、好男子の印象も持たれるかもしれない。
 遠目には、笑っているようにすら見えたかもしれない。
 いや、確かに、男は喜んでいるのだ。
 そして、その眼には、明らかに常人と異なった瞳が輝いている。
 闘えることが、嬉しくてたまらないのだ。
 今日は、ここにたどりつくまえに 一人の男を手にかけている。
 それは一瞬で終わっている。
 前座で負けたレスラーが、控え室にたどり着く途中で、この男と出会ってしまった。
 ここでは弱い者が道を譲る。
 レスラーは、しかし、まだ自分が負けたとは思っていない。
 あれは一瞬での勝負だった。自分はまだ闘えたはずだ。時間さえ稼げれば、体力は無尽蔵に復活する。時間さえ稼げれば。
 だから、彼はこの男に道を譲らなかった。
 そして、一瞬のうちに、彼の両目は、光を失った。
 何が起きたのか、全くわからなかった。
 急に世界が暗くなった。電灯が消えたのだと、本当にそう思っていた。
 そうではなかった。
 ここに立っている男が、彼の光を奪ったのだ。
 紐切り空手。
 そう呼ばれている技。
 実際にそれを見たものはほとんどいない。」



 なんていうごたごたしたことは脇にのけておいて、まず読んでみることだ。毎週毎週行われる闘い(現在はあらゆる格闘技者を集めた“祭り”のような大会をおこなっている)の行方を想像するだけでも随分楽しい。チャンピオンにおいて他に「これ」という目玉がないので何ともし難いのだが、まあ、刃牙を読むだけでも十分だろう。



「二人は向かい合う。
 はじめ、の声。
 同時に野太い大太鼓の音。
 二人の間合いが徐々に詰められていく。
 ゆっくりと。
 ゆっくりと。」



<完>