その男と話しはじめたのは、その日特に酔っていたからだけというわけではない。
私はたとえ酔っていても、飲み屋で見ず知らずの人間と話などしない。いつもただ一人で静かに飲んでいるだけだ。わかっている店の親父も私に声などかけない。カウンターの隅で、少し歪んだステンレスの鏡に映った薄暗い店の中を眺めながら、誰にもかかわらずに音もなくしている。あまり酔いもしない。自分ではそう思う。ただそうして時間をすごしてゆくことを無為に、といってもよいくらい繰り返している。これまでずっとそうだった。おそらくこれからもそうだろう。いつからこうなったのか、私自身にもよくわからない。わかりたいという気もしていない。誰と会話をするのもめんどうだったし、そんな私に普通は誰も話しかけては来ない。
だが、私がその男の話を聞く気になったのは、話の内容が私にもかすかに気になることだったからだろう。
男は言った。昔、運転免許を取る前によく車を運転する夢を見た、と。不思議に真に迫っていて、自分は車を好きなように運転できる。目が覚めた時にも腕にハンドルを切っている感覚まで残っている。何回もそういう夢を見た。ところが、実際に自動車学校へ通って免許を取ってしまうと、そんな夢はまるで見なくなった。そう言った。私は黙っていた。男はなおも続けた。運転する夢は見なくなった。だが、その次に見はじめたのは運転する車が事故を起こす夢だった。夢の中ではいくらブレーキを踏んでもきかないし、ハンドルも重く、車は歪んだ世界を狂気のように疾走してゆく。やがて何かが目の前に迫ってきてぶつかる。そして目が覚めて唖然とする。状況こそ違えど、大同小異の夢を繰り返し見る。そうしてやがて実際に小さい物損事故を起こしてから、その夢もぴたりと見なくなった。そう言った。
私は黙っていた。
男も少し黙っていた。
迷っているようだった。
しばらく互いに一人で飲んでいたが、やがて男は続けた。
別にこれは車に関したことに限った話ではない。女とつきあいはじめる前にもそんな夢を見ていたが、つきあいはじめてからはとんと見なくなった。結婚する前にも家庭の夢を見たけれども、今ではまるで見ない。見る気にもならないが、と男は少し寂しそうに言った。仕事上のこともそうだ。似たようなことは他にもいろいろある。
きっと、人は自分が恐れたり期待したりすることを前もって夢の中で練習しておくのだろう。しかも、それは近い将来、自分が実際に直面しそうな現象なのだ。そうして本当に直面した時の心への衝撃をわずかでもわかっておこうとする。だから、と男は続けた。若いうちにはいろいろな夢を見るのだろうけれども、自分も歳を取るにしたがって夢を見なくなってゆくに違いない。
私はまだ黙っていた。そして自分にもう一杯グラスを満たした。
男も今度は黙り、同様に新しいグラスに替えた。
しばらく沈黙が続いた。
ふたりとも長い時間をかけてグラスを空にした。
いつの間にか、店には客は私たち二人しかいなくなっていた。
だがね、と男は唐突に言った。
完全に全ての夢を見なくなることはない。なぜなら、人間の体験は日常に縛られるものであって、日常を越えた何かを体験できるものではないから。だから恐れていることや期待していることであっても、それが日常的に起こりえないようなことであればいつまでもその夢が消えてしまうことはない。いつまでもいつまでもその夢を見続けるものなのだ、と。逆に言えば、夢を見続けている間は、それはまだ自分の身には降り掛かってはこないことを意味している。夢に見ている間は、それはまだ怯えた心の紡ぎだした単なる仮想の世界に過ぎないのだから。
そして、と男は言った。
その昔に見はじめるようになった夢は、人殺しの夢だった。いろいろなシチュエーションはあったが、どれも本当に人を殺してしまったような感覚が手や心に残っていた。首を絞める、ナイフを使う、銃で撃つ、毒殺する、車でひき殺す、突き落とす、繰り返し見た。そして、死体を埋めた、ばらばらにして、燃やした、川に捨てた、海に静めた、凶器を隠した、人目を避けた、遠くへ逃げた、点々と逃げた、そんな夢を何回も見た。
自分は夢の中であらゆる人殺しを演じた。そうして、夢の中の殺人が発覚しないように、どこまでもどこまでも逃亡していった。
そんな夢をずっと見ていた。
そして、自分がその夢を「見なくなった」のはいつからなのか、それがわからないのだ。
それがどんな意味をもっているのか、考えるのが恐ろしい。
男は最後に静かにつぶやいた。
だから自分はこうして酒を飲んで、それがいつのことかを思い出そうとしているのだ、と。
私はそのときはじめて正面から男の目を見た。澄んだ水面のような瞳が、薄暗い、どこか奇妙な歪を秘めて輝いていた。
それが薄汚れた鏡の中の自分自身であることに気がつくまで、その日はしばらくかかった。
<完>
初出??(199?)
go upstairs