サイボーグ特捜官とは、軍事技術のスピンアウトによって警察に供与された技術で生み出された“魔物”である。硬質ポリマーのボディ、原子炉によって駆動する体躯、その身体を音速以上のハイスピードで機動させる加速装置、そしてその機動をサポートする電子頭脳等からなる複合構造体である。その性能は、犯罪シンジケートの高速サイボーグのそれをはるかに凌駕する。
ロボットやアンドロイドと異なる点は、この存在があくまで“かつて人間であった”証しに、一握りの大脳を保有している点である。彼らは考え、感じ、そして自分の意志を持っている。その一点においてのみ、彼らは人間であり続けることができ、また悲劇もそこから生じる。
アーネストライトは、黒人のサイボーグ特捜官である。
70年代初頭に書かれたこの作品における種々の描写は、意外と言っては失礼だが、未だに古びていない。高速サイボーグが機動する際の空気の粘りつく感触、破壊されたガラスが元の形をとどめながらのろのろと落下してゆくのを眺める主人公の視線、先ほどまで人間が座っていた椅子を赤外線モードでスキャンすると、そこに人の残像が見えてくる光景。これらはまさに当時から現在に至るまで平井和正にしか描けなかった“高速サイボーグ”のリアルな主観世界であり、月並みなアニメーションや漫画では到底表現し得ない部分でもある。
こうした描写が、この話をSF足らしめるに十二分な迫力を持っている。
犯罪シンジケート側の高速サイボーグであるリベラは、感情を心の奥底に凍り付かされた、ロボットに限りなく近い死神である。その彼が、自我を持つに至ったアンドロイドの少女を“嫉妬から”殺してしまう。ライトに倒される彼は、その死の間際に彼女の名前をつぶやき続ける。ライトにはその意味は判らない。ただ、そのサイボーグのわずかな脳を引きずり出し、憎しみから踏みつぶすだけだ。
ライトは、第1話において警察機構というものに嫌気がさし、第2話の冒頭では既に無職である。しかし、それ以降においても彼ら基本的には警察的に行動する。退職したからといっても彼は相変わらずサイボーグであり、そして彼をこのような体にする直接の原因であった犯罪シンジケートを憎んでいるからだ。かつての親友ですら信じることはできない。また、黒人である彼は差別の対象でもある。それらに対する憎悪によって行動する彼は、実のところは最後まで操り人形に近い立場でしかない。最終話において、彼は辛うじて犯罪シンジケートの手を逃れ、新しい超能力人類の仲間となり、また“武器”として受け入れられる。少なくとも、彼を好意的に受け入れる集団は現われた。
しかし、そこにおいても彼はつぶやかざるをえない。
「だが、本当にそうだろうか。相変わらず私はまがまがしいブラックモンスターであり、怪物でしかないのだ」
途方もなく孤独で、救いのない話である。しかし、私自身の読後感は必ずしも悪くない。それは、ライト自身がどのような状態にあっても自己を保ち続け、また今後もその様に行動するであろうことが彼の最後の台詞から伺えるからだ。たとえ、そのエネルギーが憎悪から産み出されるどす黒い粘液質の塊であったとしても、彼は最後まで彼自身であり続けるだろう。そうである限りにおいて、彼は決して負けることはない。
そして、そうした情念の炎に対して、読み手である我々の内部に、どこかしら同調する部分があることもまた事実だ。
見方によっては、アーネストライトは、だれの心のなかにもごく普通に存在する「憎悪」という感情を電子頭脳によって冷静にコントロールすることのできる稀な存在であり、その意味では人間を超えている。しかし、その憎悪の根底が過去経験から生み出される以上、電子頭脳は決してその憎悪を忘却することはない。人間であれば忘れてしまう過去のなかに、いつまでもいつまでも一人で留まり続けるのだ。
サイボーグは、結局のところ「不完全であるがゆえに」人間以上に“人間的”なのである。
<完>