ぼくが学校から帰ると、パパとママからのプレゼントがあった。ずっと前からほしくてたまらなかった「すずむし」のキットだ。やった。ぼくはへやに入ると、かばんを放り出してすぐにシステムをセッティングしはじめた。
ガラス張りのレベル2ブースに殺菌灯を当てる。ほそいマニピュレーターをパソコンとつないで、キットに入っていた操作プログラムをロードする。二重ぶたの投入口の中にパックされたカルスと、RAM DNAその他の入ったアンプルをほうりこむ。マニュアルを見ながらマニピュレーターの動きを確かめると、操作して器用にパックをあける。今度は3Dホロモニターに現れる初期画像をマニュアルと照らし合わせながら、必要な初期値を入力してやる。どうせつくるなら、大きいほうがいい。うまくいけば10センチくらいのすずむしができるだろう。キットの遺伝子にバグがないことをリスト画像で確かめてから、ようやくぼくは本番にとりかかった。
これはバイオキットというおもちゃだ。ずっと昔に遺伝子工学というものが発達して、生命をつかさどる遺伝子は一つ一つそのはたらきが解明されてきた。合成技術も発達して、とうとう完全に生命を合成したのがもう一世紀もまえのおはなし。その時はいろいろと「りんり的なせいやく」とかいうものがあって、なかなか先に進めなかったらしい。でも、やっぱり好奇心には勝てなくて、しだいしだいに規則がゆるんできて、今ではやさしいものはこうして子供のおもちゃになっている。なんでも昔は「ぷらもでる」というものがあって、子供がプラスチックをつかって模型を組みたてていたらしいけれど、石油が貴重品のいまでは考えられないはなしだ。
キットはセットさえすれば、もうほとんど完成という状態で売られている。けれども、ごくわずかにユーザーが改変できるようなバリエーションもある。これでいうと、体の大きさや、色、羽根のもようや、あしの太さ。毎月かかさず買っている『バイオキットマガジン』には、そんな例がたくさんのっていて、ぼくは大好きだ。人の頭くらいある一粒だけのぶどうとか、音に反応しておどるあさがおとか、いろいろ楽しいものがある。昔はまねしようとしていろいろいじったことがあったけど、ふよふよ動く黒いかんてんとか、裏がえしになってしまった虫なんかができたことがあって、パパによくおこられたものだ。
ぼくは色をアルビノにした。明日になれば真っ白い大きなすずむしが鳴いてくれるだろう。たのしみだ。
「あなた、あの子どうなのかしら。そろそろでしょう」
「え、あ、あいつか。うん、僕もそろそろだろうと思ってたんだが。今、何日目だい」
「保証書の日付が3年前の6月になってるわ」
「今6月だから、ちょうど3年目か。と。だいたい千百日目くらいか。おいおい、もうそろそろどころか、少し過ぎてるぞ。標準的に成長して千五十日プラスマイナス三十日が限界だからな。こいつはうっかりしていたぞ」
「そうでしょう、よく見ると、もう肌がかさかさになってきているのよ。早く次のを注文しましょうよ。明日にでもカタログをとりよせるわ。いいでしょう」
「早いほうがいい。今度はどんなのにしようか」
「今の子は少し部屋にとじこもりすぎたわ。前の子がひどくわんぱくだったから、今度はおとなしい子がいいって考えたんだけど、やっぱりおとなしすぎるのもいや。ちっとも外に出て遊ばないんですもの。近所の『子供』達はみんな走り回っているのに、あの子だけよ、バイオキットなんかに夢中になってるのは。これじゃ比べられないわ。せっかく育てたのに、どのくらいうまくいったのかわからないなんて、つまらないのよ」
「そう言うな。あいつはあいつなりに頑張ってきた。この前の試験じゃ5番に入ったからな。この辺りで一番の秀才だ。僕らの学習知能プログラムもそう悪くはなかったということさ。IQも140以上あるんだし、成功作の一つだと思っていい。でもさすがに飽きたかな。君がそう言うなら今度は別なタイプにしてもかまわないよ」
「スポーツマンタイプがいいわ。年も15、6才くらいで、運動神経が良くて、足も速くて、例えばサッカーなんかのサブプログラムを組み込んで、試合に出させるのよ。そうすればあたしたちそれを応援に行けるでしょう。お弁当なんか持って。そもそも知能因子にかける費用はもっと押さえていいと思うのよ。せいぜい学校でうまくやっていければいいだけなんだから、その分今度は運動神経系の素材にいいものを使うのはどう。基礎プログラミングも、この前みたいな中途半端なものじゃなくて、クラスAのものを買いましょうよ。そうすればきっとうまくいくわ。どうせなら楽しまなくちゃ」
「それでやってみよう。ぼくはシステムのチェックをしておくよ。久しぶりだから。そうだ、早く連絡してあいつを引取りにきてもらえよ。防腐処理は施されているそうだから腐ることはないだろうけど,干からびたやつも見たくないからな」
そうか、あいつも、もうその時期だったとは、気がつかなかったな。つい片方だけに気を取られていた。うかつだった。乾き始めているのは、むしろあいつのほうではなかったのだがな。自分の首筋の茶色いしみに、彼女は気がついていたのだろうか。まあ、どちらにしても引取りには来てもらえるわけだし、キットは追加注文の形になるだけだし、たいしたことはない。一石二鳥だ。干からびるタイミングがシンクロしてくれれば、引取りの手間が省けてありがたいんだが。そこまで望むのは酷というものか。仮にも3年間一緒に暮らした家族だ。
しかしあのタイプは少ししゃべりすぎだった。標準的な女性の言語中枢とかいうメンタルマップを参考に見てプログラムしたのだが、あんなものだったろうか。いずれにせよ、今度のやつはもの静かなタイプを選んだし、私自身でも少し言語中枢に抑制をかけておこう。
子供はどうしようか。とりあえずキットの中の『犬』を先に造り上げてからだろう。そのあとに考えよう。彼女の言ったように今度は少し活発にしてみるというのもいいかもしれない。いや、まて、娘というのはどうだろうか。娘は初めてだから、心理適応書を読んでおいたほうがいい。少しは変わった生活になるだろう。しかも今回は二人いちどに交替だ。ペットまで加わる。最初のうちはずいぶん私もとまどうに違いない。まあいい。うまくいかなければ、交換するだけの話だ。
こんなに新鮮な生活をいつも送っていられるのも『家族キット』のおかげだ。こんなに実用的な趣味が他にあるだろうか。
それにしても、どうも最近からだの調子が悪い。どういうわけだ。どこが、とはよくわからないが、おかしい。体全体が弱ってきているようだ。鏡を見ると、首筋にあざができている。それが日に日に大きくなってゆく。クリームではもう隠し切れない。気になって仕方がない。
いったいどうしたというのだろう。
あの人もどうやら終わりの日が近付いてきたみたい.あたしがあの人を組み立てたのはもうずいぶん昔のことだったような気がする.あの人は自分がこの家族を組み立てたような気がしているだろうけれど,それもあたしの仕込んだ記憶だって言うことに気がついているのかしら.
終わりだということがわかっていてお芝居をするのはそれなりにつらいものを感じるのだけれど、終わってしまうものはしかたがないわ。
この家族はもともと存在などしていなかった.そうに違いない.あたしの記憶もまた誰かに作られたものに決まっているのだから,断定することはできないけれど,そんな気がする.誰が,何のためにこんなものを作り上げたのかよくわからないけれど,でも少なくともあたしたちは家族だった.
人間は一人だって生きてはいける.それはわかっているのだけれど,なぜあたしたちが家族にこだわるのか,あたしたち自身にも理解できない.共同生活の方が効率がよい,とか淋しいから,などといったもっともらしい理屈の陰に,あたしたち自身には理解できない「家族への衝動」が潜んでいるみたいに思える.
でも,あたしたちが同時に皆いなくなってしまったら,この家族は消えてしまうのかしら.
「今回の実験は「家族」がどういう概念によって成立しているのかを確かめるこ
とが目的であった.被験体は実験用人工体であり,当初成人男子1名,成人女子
1名,男性児童1名の構成.結果として,男性児童の脱落(実験操作)に対して,
成人男子および成人女子人工体が代替物を外部から補給する,という行動を
示した.さらに,成人女子の脱落に際しては成人男子はやはり同等の家族
代替物を補給し,また成人男子の脱落に関して成人女子も同様の補給行動を
示した.さらに補給の結果,観察対称となった成人男子2ならびに成人女子2
(以下同じく)も同様の補給行動を示し続けた.これらを数十世代において観察
した結果、常に家族はその構成員を変化させながら「システム」として存在し
続ける,一種の開放定常系的存在様式を示した.
これらの観察結果から,人類にとって「家族」という概念で示される小規模ク
ラスターは,彼らの生存に必須の本能的パラメータであると同時に,「家族」そ
のものが自己保存本能を保有している情報構造体である,とする従来の見解を補
強したものと考える.
以降は,さらに大規模なクラスターである「コミュニティ」「社会」に関しても同様の再構成実験観察を行なうことを目標とする.」
<完>
原案初出 hotline22(1986)
再構成1 Cygnet5(1990)
再構成2 本稿
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