淋しいおうさま



 そのおうさまは一人ぼっちでした。 おうさまはおうさまなので、いつもりっぱな風をよそおっていなければなりませんでした。だから、おうさまはいつもいばった顔をして、ふんぞりかえって歩いていました。おうさまが来ると、人々はみんなおそれて遠くのほうにしりぞいてゆきました。自分はいちばんえらいのだからしかたがないのだ、とおうさまは自分じしんにいいきかせていました。だからそんなほかのこくみんたちのことをきにしているようすもなく、まちの中をのっしのっしとこうしんしてゆきました。そしていつもおうさませんようのへやからしたのせかいを見おろしては、じぶんのくにうまくおさまっているのかどうかをきちんとしらべていました。
 でも、ほんとうのことをいえば、おうさまは淋しくてしかたがなかったのです。まわりにいるけらいたちは、いうことはよくきいてくれるけれど、でもなにかともだちのようにきままに話せるあいてではありませんでした。なぜかみんなつかれているようにみえて、おうさまのめいれいにしたがわないようなときもありました。そんなときのけらいたちのかおは、なにかとてもおそろしいものにみえて、おうさまはなんとなくそのめいれいをなかったことにしてしまうのでした。自分はおうさまで、このくに中でいちばんりっぱで、ゆうがで、げんかくで、そしてかんようなのですから、別にそんなささいなことはきにならないのでした。
 でも、やっぱりおうさまは一人ぼっちでした。もう少し親しみやすいおうさまになったほうがいいのかもしれない、というきもしましたが、これまでいばっていたのが、きゅうににこにこ笑いだす、というのもなにかおかしいではないか、とおうさまは思いました。そんなことをしたらおうさまがばかにされてしまうかもしれません。やはり、そんなことをするのはやめよう、とおうさまはぼんやりと思いました。そうしてあいかわらず、いばってむねをはって、のっしのっしとあるいていました。
 そういうある日のことでした。 ある時おうさまがさんぽをしているときに、ボールが一つころがってきました。おうさまはけらいをつれずに、おしのびでさんぽをしていたのです。こうえんで一人であそんでいた小さいおんなのこは、おうさまを見てはじめは少しおどろいたようでしたが、すぐにおうさまがおうさまだとわかったので、いっしょにあそんでくれるようにおねがいしました。おうさまは、小さいこどもにはやさしくしなければならない、といつもけらいに言っていましたし、おうさまもこどもが好きだったので、いっしょにあそんでやることにしました。
 そうしてふたりして、ボールをなげっこしたり、けりっこしたり、ぶらぶらしていた犬がくわえてもっていきそうになったのをあわてておいかけたりして、むちゅうであそびました。女のこも楽しそうでした。おうさまもなんだかひさしぶりにたのしくなりました。
 とてもたのしくなったのですが、おうさまは何かむねのところにつかえるものがあることにきがつきました。たのしくなるほど、そのなにかが大きくなってくるようなきがして、おうさまはふしぎになりました。
 女のこののったブランコをおしてあげながら — ほんとはこんなことはおうさまはしないのですが、きょうはとくべつです — おうさまはそのなにかが何なのか、どうしても思い出さなければならないようなきがしました。そうして、また、それを思い出してはいけないようなきもしました。
 ああ、こんな気持ちは変わっている、とおうさまは思いました。昔こんなことがあったようなきがしたのです。こうして女のこのブランコをおしてあげていたことがあったようなきがする。それがいつのことなのか、よくわかりません。そう、あれは自分が『おうさま』になる、そのまえ……おうさまになるまえ……
「美樹ちゃん、どこ」
 遠くから誰かの声がきこえた。
「美樹」
 彼は漠然とつぶやいた。
 自分の運転する車の事故で、妻と3才になる娘を失った。事故の瞬間の映像の断片が赤く色づけられて彼の視野を埋める。娘の上半身が後部座席からフロントガラスを破って飛び出してゆく叫ぶそうだ俺は認めたくなかったしんじたくなかッタ認めたくなかった認められるはずがない家族を失ったことをもう二度とはできないということをだからおれはおうさまになって妻が意識を失って俺も頭を打ちつけて意識が遠くなってしかし俺は俺はひとりで生き残って他のふたりは即死ソクシ誰もいない家誰もイナイ部屋テレビの音もう誰も帰ってこない帰ッテこないいやだそんなのはいやだおうさまならばおうさまならばひとりでもあたりまえだなぜならそれはおうさまだからだもう誰も帰ってこない決して帰ッテコナイ暗い部屋美樹のおもちゃ小さな墓のうえの人形だれがおいたんだ
 女の悲鳴に近い絶叫が、彼を我に返らせる。
 女の悲鳴に近い絶叫が、彼の我を失わせる。
「美樹ちゃん、そのおじちゃんから離れなさい」
 蒼白になっている女は母親だったろう。
 彼は走り始める。逃げ始める。
 おうさまは走り始める。白い建物に向かって。
 おうさまはお城に向かって走り始める。
 そして
 おうさまはお城に向かって走りはじめました。
 おうさまはいっしょうけんめい走りました。後ろから女のこのなき声がきこえてきたようなきがしましたが、おうさまはふりかえらずに走りました。
 そうして、走って走って、また走って、ようやくおしろにつきました。
 おしろはどうどうとした、白くて大きなたてものでした。おうさまはここにもう長いことすんでいるのでした。
 もんばんのけらいがおうさまを見つけると、大きなこえでさけびました。すると、あたりからたくさんのけらいたちがやってきて、おうさまをでむかえました。けらいたちはおうさまの手をひいて、おしろの高いところにあんないしてさしあげました。
 おうさまは新しいおへやをみせられて、ここをおつかいください、といわれました。まどが小さくてなんとなくくらいおへやで、おうさまは少しかなしくなりましたが、しかしおうさまはこんなことで不平をいってはいけませんから、いげんをもってうなずきました。そうしておうさまのおへやにだれかあやしいものが入らないように、きちんとかぎをしめてさしあげて、けらいたちは下がってゆきました。
「打っといたか」
「はい」
「しばらく調子良かったからな、こっちも油断した」
「拘束衣、いらないですかね」
「一応いいだろう。もし環境が変わって暴れ出すようなら」
 おうさまは、けらいたちが遠ざかってゆくあしおとをききながら、なにかたいせつなことを思い出さなければならないようなきがしていました。 でも、おうさまにはそれが何だかわかりませんでした。
 そうして、いつものようにおうさまは、せまいまどから自分のくにをみおろしました。きょうはいつもより高いところからみおろしたので、いつもより少しとおくがみえました。おてんきはよく、おうさまのくにはあいかわらずへいわでした。
 やがて、おうさまはいつもだれもいないときにするように、しろいかべにむかってゆっくりとむきなおると、きょうあったことを話しはじめました。小さなこどもにはなしかけるように。
 ゆっくりと、やさしく、そしておだやかに。



<完>


初出 Hotline?? (1993くらい?)
go upstairs