新世紀




 グラブの中はすでに感覚を失っていた。トレンチコートにはすでにいくつか穴があいている。そこから途方もない冷気が容赦なく内部に流れ込んでくる。インナースーツのヒーターは去年から故障したままだ。修理の余裕もないし、いずれにしてももうこんなところに回す余剰電力はない。
 途方もない敵だ。しかも絶望的な戦いだ。あんな化けものたちに勝てるはずがない。この敵は、いつ、どこから現われるのかまったく予測できない。しかも夜だ。恐怖感は倍増される。
 俺が歩哨に立っているのは、一応この戦場の第3次フロントラインの西の端、ということになっている。あくまで俺たちの視点での話だ。この敵にそもそもそうした概念が通用するとも思えない。本当に連中はどこから現われるのかわからないのだ。いきなり塹壕の中に出現するのはまだ気楽な方で、気がついたら後方の支援基地が跡形もなくなっていた、などというのは昔よく聞いた話だ。なぜそんなことが出来るのか、俺たちの陣営はまったく理解していない。最近ようやくそのテレポート(とでもいうのだろうか)の直前にある種の空間的な振動が探知できるらしい、ということがわかって何とか戦術的対策らしきものが立てられるようになった。もっともその探知機自体がまだ不安定で、きちんと突き止められるか否かは五分五分、というところらしいが、それでもないよりはかなりましだと思う。
 東から南、はるかかなたでは、友軍が激闘しているのがぼんやりとした光の輝きとなって天や地に映えている。あの光一つが何十人、何百人の仲間の死を意味している。やつらではない。確実に仲間の死だ。おそらく俺たちの軍は一人も生き残れないだろう。たった一人も。それほどまでに俺たちとやつらのレベルは違いすぎる。そして、その恐ろしさは俺たち全員が心のそこからよく知っている。そう、子供の頃からよく知りつくしているのだ。
 昔の人間たちが無責任に思いついた節度のない未来像。来世紀とはかくあるべきという思い入れ。俺自身も含めて、あの時代の多くの人間が、それがあたかも夢の世界であるように自然に受入れてきたその構図。極彩色に彩られた「夢の未来都市」に住む未来の自分たちと、魔法とまるで見分けのつかないさまざまな便利な道具、機械、システム、世界。全ての困難は科学技術と人間の英知の勝利によって解決し、人類は宇宙の果てまで好きなように行くことができる。未来になれば、時間の壁すら、いつかは取り払われる。そう、時間の壁すら。
 麻薬と似た響きの言葉、「未来」を、俺たちは自分たちが知らない間に日々摂取させられていた。俺はその言葉に自分の夢を重ねてすらいたのだ。
 そして、その夢が、どういうわけかどこからか具体物として現実化してあの少年のところに現われてきた時に、俺たちはもっと怪しいと思うべきだった。今思えば、あの絶妙な登場のタイミングに何が隠されているのか、もっと冷静に考えておく必要があったのだ。俺たちの持ったそうした未来像が、いったい実は何者によって俺たちの意識の底に植え付けられたのか。次の世紀からやって来た、と称するあの青い化けものが描き出して見せた、他愛ない日常生活の描写にもっと正確な眼を向けるべきだった。
 そうして、あの化けものがゆるゆるとその本当の意図を行動に移した時には、もうすでに俺たちはあいつのことを完全に理解したと誤解しており、策にはまっていた。やつが本領を発揮して世界の大半を手に入れるまで、それほどの時間はかからなかった。本当にそれまで、あの超越したテクノロジーを軍事的に用いたら、ということを誰一人として考えなかったのだろうか。
 いや、考えた人間はいたのかもしれない。しかし、やつのテクノロジーをもってすれば人間の心を読むなど朝飯前だろう。少しでも危険を感じる連中は、矛盾のないように消してしまえばいいだけの話だ。
 俺はやり場のない怒りに身を震わせ、目を閉じた。
 言語表現上の現象面の現実矛盾点をむりやり無矛盾化して実現する装置だと。万能翻訳システムを大脳皮質内部で実現するプログラム物質。摂取することでカリスマを発生させる薬品。人工大規模対流生命体。エピソードを経ないで直接意味記憶エリアに情報を叩き込むための経口情報有機体。この、一貫性などくそくらえ、と叫んでいるようなめちゃくちゃなテクノロジーは、いったいどこのどいつが、いつ発明したんだ!? おまけに、実はこれはどれもみんな、やつに取っては「がき相手のおもちゃ」に相当するものだったというじゃないか。
 いや、そんなものならまだいい。最悪なのはそもそものあれだ。
 そのとき、けたたましい警報が響いた。俺の持っていた空間振動探知器がイエローから急速にレッドのシグナルに変わり、やつらの出現ポイントを逆算しはじめた。まずい。連中は戦線の内部に侵入するつもりだ。俺は部隊長に緊急連絡をしようとしたところで、その出現ポイントが自分のいるこの目の前だ、ということを知るはめになった。
 空間が突然長方形の形に輝きはじめ、その4つの辺が奇妙な歪曲を示し始めた。あきらかに内側から異質な何者かが出現しようとしていた。無線連絡はまったく役に立たなくなり、俺はそれが出現するところを茫然と眺めていた。やがてノブを回すような音がした。この音だ。最後の音と呼ばれて恐れられるこの音。
 俺は無線を取り落とし、完全に死を覚悟した。
 一瞬の間の後、空間そのものがきしむ音を立ててドアのように開いた。俺は銃を打つことも忘れて見入っていた。
 そして、何と「やつ」自身が顔を出した。
 青いカラーリングの猫型ロボット。もっとも、あの醜悪な形態を「猫」だなどと思う輩は今はどこにもいないだろうが。続いて、その手足となって動いている眼鏡をかけたナンバー2の少年。その取り巻きの少年少女。
 何てことだ。本物の「やつ」を目の前にしている。何とかしなければ。
 俺はかろうじて対物手榴弾のピンを噛みちぎり、その化けものと得体の知れない空間歪曲システムごと自分を吹き飛ばそうと努力することができた。
 だが、そんなことをしても無駄なのだ。
 ヒューズが燃える擦れた音が、奇妙に大きく心に浮かぶのを意識しながら、俺はあらためて絶望感にとらわれていた。連中には最終兵器がある。たとえ俺がここでこの侵入を防ぎ、やつらを吹き飛ばすことに成功したとしても、いつのまにかそれは「なかったこと」になってしまう。
 全て無駄なんだ。そもそもの始めに連中が移動してきた手段であるあの『タイムマシン』さえあれば、いつでも、どこでもやり直しがきく。この戦争だって、しばらく前まではそれなりにうまく闘っていて俺たちの方が勝っていたはずなんだ。それなのに気がついたらこんな目にあっている。どうあがいても、俺たちには負けしか残されていない。この戦いには勝てないんだ。決して。
 俺は途方もなく悔しくなって叫んだ。
 もう22世紀も半ばの年代なんだぞ。それなのに、俺たちはこの連中のテクノロジーを上回ることはおろか、足下にも及んでいないじゃないか。
 猫型ロボットめ、お前の正体は何なんだ!
 お前はいったいどこからやってきたんだ!

<完>


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