静岡県民の逆襲  〜日本増殖〜


 それは異様な一団であった。
 白装束をまとった老婆を先頭に、海岸で一団の人々が海に向かって祈るような声で何事かを謡っていたのである。人数は数百人から、千人を超えていたかも知れない。彼らは地を揺るがすような声で、何事かを謡っていた。
「♪地震さん、地震さん、私の代にもう一度〜 孫子の代に二度三度〜♪」
 その一団の横を一瞬で通り過ぎた後、小野寺はひねりきっていた首をもどしてぼやいた。
「何なんだ、今のは…」
「よくわからんが、静岡近辺ではどうも最近はやってるらしいぞ。ああいうのが」
 ランドクルーザーをのんびりと運転していた結城が言った。
「何でも、地震様を丁寧にお迎えするんだそうだ。新興宗教みたいなものじゃないか」
「そんな馬鹿な」
 小野寺は信じられない、という目つきでなおまだ振り返ろうとしたが、車は唐突にトンネルに入っていった。
「どうして地震なんか歓迎できるんだ。まさか、この土地じゃ地震が起きるとなにか体に良いことでもあるっていうのか。それともナマズ信仰でもあったのか」
「俺に聞くなよ。俺はただネットで聞いたことを伝えただけだ。ま、今はこの状況で単に気が変になりかかっているだけだろう。最近小さな地震も増えてるし、東海地震の確率もますます上がっている、ってことになってるし。ま、それも俺たちの仕事で終わりだがな。どっかーん、めりめり、でおしまい、さ」
 だが、相変わらず小野寺は、腑に落ちない顔をしていた。
 沈黙が続いた。
 しばらくして抜けたトンネルの向こうには、夕日に照らされた駿河湾が茫洋と広がっていた…

 微妙に進行中の日本の沈没に対して、その早期に巨大な爆薬で地殻の太平洋側を吹き飛ばして切断し、引っ張る力をなくしてしまおう、という“それはどうよ”的な解決策が採用されるという情報は、政府のプロジェクトD1内部でも極めて一部の人間しか知らなかった。日本列島が沈んでしまうというそのかなり前の段階で、とりあえず列島を引っ張る地殻を爆破し、剪断とまではいかないものの、きわめて脆弱にすることで、この島国が海溝に引きずり込まれることを防げそうだ、ということが最新鋭のシミュレータによって明らかになったのである。
 シミュレーションの結果、地殻がマントルに引きずり込まれる前の領域に地殻を貫く程度の穴を一列に掘り、相当な量の爆薬をつっこんで同時に爆発させることで、地殻の連結が弱くなり、破壊された地殻の下部だけが引かれてマントル中に沈み込んでいく、という計算が正しいだろうということになった。残された部分については、おそらく地質学的な年代での変化はさておいて、当面の大変動は避けられるだろう、という結果が出ていた。少なくとも国家レベルで対策を立てるほどすぐに沈む危険はほとんどない、と。
 もっとも、その副作用は相当なものになりそうではあった。まず、それだけの爆薬が海中で作用することによる衝撃はあたりの生態系に大きな影響を及ぼすことは間違いなかった。また、地殻破壊のシミュレーション結果として、もしかしたら、相当な津波が起きる可能性があるのではないか、とされていた。もっとも、その後、そうした大津波を防ぐために、爆破のエネルギーを相殺する形での爆薬配置が計算され、そのパラメータの下でのシミュレーションでは、衝撃波はピンポイントに地殻に集中することになっていた。
 この段階では、日本沈没の兆候はまだ世界的には検知されておらず、またこの作業をまともに発表すれば当然太平洋沿岸地域から大反対を喰らうことが明白であったため、この計画は「自然現象によるもの」を偽装するべく、極めて少数によって遂行されていた。国家の保全をかけた一大機密プロジェクトであった。
 小野寺と結城はその数少ないメンバー中に含まれていたが、それは彼らが他で もない、その超高性能爆薬を、南海トラフやら日本海溝くんだりの海底まではるばる仕掛けに行くその当人だったからである。
 不幸といえば不幸ではあったが、余裕のある現段階では特攻隊である必然性はないわけで、爆弾を設置してから彼らが待避するまでの時間は十分に用意されていた。
 実のところ、この話では特にドラマチックな展開を期待している読者はいないため、東海大学海洋学部を擁する清水港の隅から静かに出港していった彼らの作業は、日本南岸の大陸棚の斜面において、十分な時間をかけて実に順調に行われたのである。

「やあ、準備できたかね」
 田所博士は、実にのんきに構えていた。不幸なことに愛する日本の沈没を早々に予知してしまったものの、“この田所博士”は幸いなことにその対応策もあっさり考えついてしまったので、それほど悩むこともなかった。博士お得意のはったりと敏腕さによって必要なプロジェクトを立てて政府予算もさっさと押さえてしまい、目立たないように海洋調査艇をチャーターし、優秀な潜水艇乗りを確保して、さらにこっそりと深海潜水艇を借り出して、とどめに「こんなこともあろうかと」開発しておいた超高性能爆薬を設置する作業を終えたら、あとは高みの見物の場所を探すという程度の仕事が残されているだけであった。
「なんとか、すべての爆薬を設置しました。あとは適当な名目で太平洋岸からの退避命令を出して、タイミングを計ってボタンを押すだけです。もっとも、地殻内部の歪み検知計ではそろそろプレートの動きが出てきましたから、あまりのんびりしていると爆破孔ごとずれますがね。まあ、それでも時間はあります」
 小野寺もまたのんびりとコーヒーをすすりながら答えた。
 緊迫したドラマが起きてしまうのは、事態が予測できなかったり、あるいは予測できていても適切な対応がとれなくなり、時間が迫ってくる場合なのである。「この日本沈没」のように、予知が早く、予測したとおりに事態が進行し、余裕を持って対処できていれば、いかなる事態においてもドラマなどは生じないのであった。よーするに、ドラマというのは「先が見えない頭の悪い人物達が思いもよらない出来事に対してうろうろとあわてふためく」ことを前提としているわけだが、そうした事態は頭の良い人々にとっては無駄などたばたを意味している。つまり、この「対策の立てられる日本沈没」はそうしたドラマの発生する余地もなく、その結果として、はなはだ緊迫感に欠けているのであった。
 しかし、小野寺にはどうしても気になっていることがあった。
「ところで博士、地震が恐れられるのではなくて、歓迎される、っていうのはどういう状況なんでしょうね」
 博士は、ほう、とつぶやき、その目を光らせた。
「君、あれを見たのかね」
「あれ、といいますと」
「あの白装束と妙な踊りと歌の一団だよ。妙だっただろう。地震さん、地震さん、だとさ」
 小野寺は、あらためてあの人々の姿を思いだした。それは、待ち続けても決してこない東海地震に対する渇望かも知れず、もしかすれば、自然の摂理のままであれば沈み行く日本列島に対する、本能的な祈りのようなものであるのかも知れないと思った。
「静岡県民は、ずいぶん昔から地震を待っていますからね。東海地震を待ち続けて、三十年以上経っているのにまだ来ていない。毎日毎日『明日大地震が来る』と言われ続ければ、気が変になるのも無理はないかも知れません」
「そういう話もあるがな。だがな、あの歌は実は東海地震などの話より、もっともっと前からあるのだそうだぞ」
「なんですって」
 小野寺は博士を疑わしそうに見た。
「まあ信じられないかもしれないがな。たとえば、わしの聞いた話では、富士のあたりでは昔から地震が起きたら富士川の河川敷近辺が隆起して、本来はとても使えないはずの土地が畑になってくれた、という伝説があるのだそうだ。だから、静岡の連中にとっては、地震というのは必ずしも恐ろしいものではないらしいぞ。むしろ、自分たちの土地を増やしてくれる、そういった畏れ多い神様からの贈り物をうけとる際の、神様の顕現の一つであって、むしろありがたいものらしい」
「…つまり、彼ら静岡県民は、別に集団ヒステリーやらなにやらで地震を歓迎しているふりをしているのではなく、本当に心の底から地震を歓迎している、ということなんでしょうか…」
「まあ、今では街に住む人間の方が多いわけじゃから、全員がそういうわけではないだろうが、とはいえ、そういった言い伝えや、歌まであるのは事実だ。もっとも、この県はあまりに季候が良すぎて、住人がどこかおかしくなっているのかもしれんが」
 そのとき小野寺は、ほとんど完璧に仕上がっているはずのこの計画に、どこか、ほんの 少しだけ、違和感を感じた。だが、それがどこなのか、小野寺にはわからなかった。

 ついにそのときが来た。
 念のために飛行船をチャーターしたプロジェクトD1ご一行様は、リモートで操作可能な 起爆装置を利用して現場の上空から状況を確認することとした。太平洋沿岸一帯にはマス コミを通じて「北部太平洋における地震」のための偽の地震警報と津波警報を事 前に出してあり、見渡しても人っ子一人見えなかった。もっとも、その警報が偽 に終わるのか、それとも実際に大津波がやってきて本当にたいへんなことになる のか、そのあたりはやってみないとわからない、というところだった。 しかし、もし津波がきたとしても、日本という島、いや国家全体が沈んでしまう という最悪の事態と比較してみれば、相対的にささいな犠牲で済むということで もある。おまけに、今回はその「備え」ができているのだ。問題はなかった。あ との問題は上空の各国の偵察衛星だったが、それも各国の公開・非公開合わせた 複数衛星でのカバーリングが途絶えたタイミングを狙うこととして、なおかつ 残った衛星のデータリンクに巧妙に介入することでなんとかごまかすこととした。 こういったこざかしいテクニックは日本という国の昨今のお家芸であった。
 意外にあっさりとその瞬間はやってきた。
 田所博士がおもむろにスイッチを入れたその瞬間、上空からは海が時間差をおいて一列に沸騰したように見えた。
 地殻深くに線状に高密度で埋め込まれた特殊爆薬は、長さ数百キロメートルにわたって海を割り、その下深くの地殻を激しく裂いた。その爆音と巻き上げられた水は、上空千メートルに待機していた飛行船をも土砂降りの雨のように叩いたのだった。
「海溝側の歪みが大きくなっている一方で、大陸側の歪みが逆方向に戻っています。予定通り地殻がちぎれていくようです。」
 観測していた小野寺と結城は地殻深部の歪み計測モニターをにらみながら報告した。
 だが、田所博士は変化グラフをにらんで叫んだ。
「シミュレーションよりも速度が百倍以上速いぞ!」
 そうなのだった。
 予想では、これから数ヶ月をかけてじわじわと地殻が分離していき、下部は海溝に引き込まれ、上位構造はそのまま残存するはずであった。それが、モニター上で肉眼でもわかる程度の速度でじわじわと動いていた。何を間違えたのか。潤滑剤の働きをする地殻深部のバクテリアの増殖が、博士の予想を張るかに上回る大規模なものだったのか、それともこの衝撃で列島地下の地殻の下部の剥離が予想以上に起きてしまったのか。
 誰もが恐ろしい思いをしながら黙って画面を眺めていた。
 一時間あたり、数十メートルという速度。それは、衛星軌道上からの海面モニターでは大津波に近い海面隆起を北部太平洋広域にわたってじわじわと引き起こしていた。
「このまま行くと、何が起きるんだ…」
 日本海溝の深淵に引きずり込まれようとしていた日本列島。その巨大な引く力が一斉に消えてなくなったら…
 そのとき、小野寺の脳裏にあの光景が映し出された。
「ま、まさか…」
 白装束をまとった踊り狂っていた人々の群れ。
 彼らはなんと言っていただろうか。そして、その背後には何があっただろうか。
 そのとき、日本列島側をモニターしていた幸長助教授が叫んだ。
「田所博士、日本が! 日本列島が!」
「どうした!まさか、沈んでいくのか!?」
「いえ、その、むしろ……増えています!!」

 深海下部に引き込まれかけていた日本列島の乗ったプレートは、その下方向に向かう力を一瞬にして失った。その結果、強い曲げられていたはずのプレートは、本来の姿であるまっすぐな形をとろうと、じわじわと海底から上昇し、その姿を海面上にまで現そうとしていたのであった。
「そうか、彼らはこのことがわかっていたんだ…」
 小野寺は視線を列島側に移した。そこには、かつて駿河湾沖だったはずの海域に、肉眼でわかる程度の小島が出現し始めていた。そして、富士火山帯を中心にして、それよりもはるかに広域に広がった海面下に巨大な何かが浮上してきていた。
 それは、日本列島を載せた、巨大な“ユーラシアプレートそれ自体”であった。
「計算結果がでました!」
 シミュレーション結果では、数ヶ月、いや、早ければ数日の間に、日本列島の南部に、 その面積を数倍にまで増殖せしめるほどの巨大な陸塊が出現することがはっきりと見えていた。
「地震さん、地震さん、か……今回の実験の結果として、これだけの新しい土地が自分たちのすぐ近所にできる、ということが、どういうわけか彼らには直感的に見えていたんだ。だから彼らは、それを喜んで…」
 そして、彼らは見た。
 未だ荒れ狂う海の中、小さな船に乗った白装束の一団が、浮上してきたばかりの小さな島の上に上陸し、小さな旗を立てるのを。それは日の丸ではなかった。
 富士山を上に、駿河湾を下に置き、それをつなげた、その意匠。

 激しい嵐と轟々たる地響きの中、静岡県旗は静岡県民の新天地に燦然と翻っていた。


<完>


初出:SFR the summer ver.3(2006/08)

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