家庭


 ある朝目ざめると、そこに奥さんがいた。
 そうか、と思った。
 そういうものなのか、とも思った。
 顔を洗い歯を磨くと、奥さんがなにか料理をしている音が聞えて来た。
 服を着て台所に行くと、テーブルに料理が並んでいる。
 私はお腹がすいていた。
 すると、奥さんは、私にそれらを食べてよいと言ってくれた。
 それはありがたいと私は思った。
 私は奥さんが作った料理を食べた。
 時間になったので、私は仕事に出かけることにした。
 奥さんはどうするのか聞いてみると、奥さんは私の家にいるのだという。
 そうか、と思った。
 私の家にいて何をするのか私にはよくわからなかったが、家にいると言うのなら家に いるものであるのだろう、と私は思った。
 家を出るときに奥さんが「いってらっしゃい」といった。そこで私も「いって きます」といった。
 私は仕事の場所に行き、仕事をした。
 夕方になり帰ってくると、奥さんは未だ私の家にいた。
 そうか、と私は思った。
 奥さんが「お帰りなさい」といった。そこで私は「ただいま」といった。
 服を着替え、ご飯を作ろうとすると、もうご飯がテーブルに並んでいた。
 また奥さんが作ったらしい。
 しかし、食べてよいものかどうか逡巡していると、奥さんが食べてよいと言っ てくれた。
 それは実にありがたいと私は思った。
 ご飯を食べ終わると、私は食器を片づけ、そして洗った。しかし、奥さんがやって来て手伝ってくれた。
 ありがたいことだと私は思った。
 風呂を沸かそうと思ったが、すでに風呂は沸いていた。やはり奥さんが沸かし てくれたらしい。
 私はこの風呂に入ってもよいのだ。
 実にありがたいことだ、と私は思った。
 なぜこの人はこんなに親切なのだろうかと、私は不思議に思った。
 それを尋ねると、奥さんは笑ってこたえなかった。
 私は奥さんに仕事の話などをし、奥さんは私の話を聞いてくれた。
 そして奥さんも私に本日の事柄の話などをし、私は奥さんの話を聞いた。
 今日は仕事では誰とも話をしなかったので、人と話をするのは良いことだと私は思った。
 私が寝るとき、奥さんも同じ部屋の私の横の布団に眠った。
 明日目ざめるとき、この親切な人はまだいるのだろうか。
 それとも、やはりいなくなってしまうだろうか。
 私は何となく不安になり、いろいろなことを考え、そしていつのまにか眠った。
 もしかしたら、私はこの奇妙な状態にいつかは慣れてしまうのかもしれない、 とぼんやりと思いながら。

<完>


初出 本稿 2002/08

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