老猫


 縁側で猫を撫でている.
 猫はおとなしく撫でられている.
 庭には初夏の陽射しがふりそそぎ,やや暑さを感じる.
 そろそろ猫には辛い季節かもしれない.
 猫はこの毛皮を脱げないので,夏はたいてい日陰でじっとしている.
 庭の石の上などでじっとしていると,風景に溶けこんでしまったように見える.
 この猫もずいぶん歳を取った.
 最近は気が弱くなったのか,塀の外に出かけていっても周りのものに追われて大急ぎで家の中に逃げ込んでくる.その時ばかりは灰色の弾丸のように威勢良く動いているが,それ以外のときは概してゆっくりとしている.こうして撫でていても,時折かすかに体が蠢く以外にはこれという反応もない.気分がよいとのどを鳴らすような声を出すが,出さないときもある.
 餌は普通に食べている.台所の隅にある餌入れの上に,おおい被さるように食べている.餌を食べている様子は昔とそれほど変わらない.別段病気というわけではなさそうなので,これが猫が歳を取るということなのだろうと解釈している.
 考えてみると,この猫も随分昔からいる.
 私が物心ついたときからすでに家の中にいた.父が子供の頃にもこんな感じだったらしい.父が言うには祖父もこの猫と遊んで育ったらしい.おそらくもっと昔からこの猫はこの家にいたのではないかという気がする.もともとこの家はこの猫のためのものなのかもしれないとも思う.
 確かに,いわゆるふつうの猫とは少し違う.
 四肢があるわけでもなし,ただ単に毛皮の塊のような形の定まらない物体である.普段は全身でのたのたと移動しているが,必要のあるらしいときにはそれなりに素早く動いている.のたのたも素早くも,いずれもどういう原理によるものなのか自分には未だに合点がいかない.顔というものも明白ではないので,目や口がどこにあるのかもわからない.食べるときには,餌入れの箱の上に体を広げて覆うようにしている.実際どのようにして食べているのか,一度自分は詳しく観察してやろうとしたが,餌がどのようにして猫の胃袋に入っていくのかどうにもはっきりと見えない.食べ終えた頃合にあらためて猫の腹を触ったところで,どうにもよくわからなかった.
 しかし,外見はさておき,あとはたいていの猫と変わらない.昼間はたいていごろりと寝ており,夜にはあたりをうろうろとしている.鰹節をかけた残飯や魚などを喜んで食べる.時折どのようにして捕まえたものか,虫や小鳥などをいたずらしている.ノミ取りの粉をいやがる.そしてしばしばどこからかにゃーという声を出す.総じて役に立たないが,猫は猫であり,こちらも特に何かの役に立たせようという気も一向に起きない.
 その昔,父が「これが猫というものだ」と子供の私に教えた.私にとっての猫の概念はこの猫であり,以来これは猫であり続けている.息子にもそう伝えてある.外の世界の同じ名前で呼ばれている生き物とはどこかが少し違うようだが、それほどの大きな差はないような気もする。だから,この猫はこれからもずっと猫であり続けることであろう.この高い塀の内側に生きている限り,別段問題はないに違いない.
 世界がどのようになろうとも,相変わらずこの塀の中の世界はこのままであり,何のために存在しているものかわからないこの猫も,相変わらず日長一日のんきに暮らし続ける.
 それはそれで結構なことだと思う.
 膝の上で猫を撫で続けながら,私はひなたの中でまどろみはじめている.
 庭を静かな風が渡ってゆく.
 猫は相変わらず膝の上でおとなしく撫でられたまま,ときおり身体のどこからか,ごろごろという低い声のようなものを出している.


<完>



初出 Cygnet9(1998)
go upstairs