花が咲いている。
 きっときれいな色をしているのだろう、とあなたは思う。
 だがあなたの目にはそれが映らない。
 ただ、モノトーンの静かな桜並木が枠の中に収まっている。
 写真を見ている。
 どの写真をみても、あなたの目には灰色に見える。
 なぜだろう、とあなたは不思議に思いながら、昔のアルバムをめくっている。
 どの写真も、その昔あなた自身が撮っておいたものばかりだ。もちろんカラーで撮影している。にもかかわらず、掃除ついでに久々にアルバムをめくって眺めて見ると、どういうわけかどの写真にも色彩が見出せない。
 セピア色の思い出、と称するには早すぎるだろう、とあなたは苦笑する。どれもこれも、ついこの前のことのように思える。いや,そう思えるだけなのかもしれない.
 しかし,それほど悪いプリントをしてしまったのだろうか、とあなたはぼんやりと思うのだが、そのフィルムの入れ物には1世紀も持つようなことが書かれている。そういうものだろうか。
 こんな写真に気を取られていると,いつまでも掃除は終わるまい.家族がこんなところを見たら,文句の一つも言ってくるだろう.ただでさえ時間はない.
 わかってはいるのだが,あなたはつい写真に目を惹かれてしまう.
 色彩のない写真達は,アルバムの中で静かに佇んでいる.写っている風景,友人達,あなたにはどれも懐かしいものばかりだ.
 この友人達は,今頃どうしているだろう.
 写真の中の人々は,シャッターが降りたその瞬間のまま静止している.
 かつてあなたと一緒の時間を過ごした人々は,今現在はあなたと一緒にいない.ただ写真という平面の中に,共に過ごしたその時間と空間の射影が固定されている.
 そして,あなたの目の前でその一瞬が永遠に持続する.写真の中の人々は,それぞれに微笑み,おどけ,緊張し,そうしてそれなりに幸せそうに見える.
 これは,何年前のことだったのだろう.
 写真の中のあなたは,今に比べて随分と若いような気がする.そんなに長い時間が過ぎていたのだろうかとあなたは思う.若かった頃,という概念が漠然とあなたの中に浮かび上がる。そして連なった想いがゆっくりと現在のあなたに収束する.
 自分は歳をとったのだ,とあなたは納得する.
 自分も,そしてこの写真の中の人物達も,この世界のどこかで,同じように歳を取っているに違いない.
 そうした人々の中には,しかし,もう既にこの世の中にいない人物も混ざっていることをあなたは思い出す.不意に,いくつかの葬式の風景が漠然とあなたの脳裏に浮かぶ.それは,不思議に静かな光景だ.
 しかし,この写真の中には,そうした人も静かに微笑んでいる.既にこの世にはいない人も,写真の中に生き続ける.写真が残る限り,その人はその写真の中で生き続ける.そして,それを見る者がいる限り,その人は生き続けることになるのだろう.
 その人のその瞬間の生、それに加えてそこまでの生きた証しや道筋、そういったものを写し取ってしまう.それが写真というものなのかもしれない.
 写されている人々の想いも含めて.
 そして,あなたもまた,誰か他の人のアルバムの中に同じようにおさまっているはずだということに気が付く.
 皆と同じように,様々な顔をしたあなた自身が,写真の中に佇んでいるであろうことに気が付く.
 あなたの,様々な想いを封じ込んで.
 あなた自身を写しこんだままで.
 そうだ.
 あのときあなたを写したのは,家族の誰だったのだろう.
 忙しい大掃除の最中,アルバムに目を落としていたあなたを,その誰かは写真の中に取り込んだ.それからどのくらいの時間が過ぎたのか,写真の中のあなたにはよくわからない.ただ,その写真の鮮やかな色彩が淡く失われてしまうくらいの,長い時間が過ぎたのに違いないということだけがうかがえる.きっと、その写真を写した人間も,おそらくもうどこかの写真の中に佇んでいることだろうとあなたは思う.
 あなたはこうしてアルバムを眺めた姿のまま,静かに写真の中に佇んでいる.
 色彩のない風景の中で.
 いつまでも,いつまでも,灰色の懐かしい過去を眺めながら.

<完>

1997/04/01