冬はみかんだ。
 あなたはそう思う。
 こたつにもぐり込んで、なにするでもなく冬の午後を消費していたあなたは、目の前2メートル四方の世の中を眺めながら、机の上に何かが足りないという気がしはじめている。
 それが何なのか、まだ回らない頭でのんびりを考えていると、おそらくそれはみかんなのだろうという気がしてきた。こたつ板の上にある編みかごの中には何もない。ついさっきまではみかんが入っていたのだが、それはもう食べてしまって、皮もごみ箱の中に捨ててしまっている。みかんの面影はもはやどこにもない。
 みかんはどこにあるだろうか。
 部屋の中にはもうないだろう。買ってきたみかんはすぐにこたつの上のこのかごの中に入れてしまうので、どこかに保管してあるものがあると言うわけではない。実際にそういうものがあったのだとしても、あなたは覚えていないわけなので、それは存在しないに等しい。
 あなたはなんとなく声に出してみる。
「みかんがない」
 誰もいない狭い部屋の中にその声は吸い込まれて行き、そして消えた。あなた以外その声を聞いたものもいないだろう。
 もう一度この自体を客観的に記述してみよう、とあなたは試してみる。
「みかんが存在しない」
 しかし、状況に変化は認められない。
 依然として、みかんの不在はあなたの目の前に厳然たる事実として突きつけられており、そろそろその現実を直視せざるをえない時期にさしかかっているのかもしれない。
 だがしかし、とあなたはなおも考える。
 何かが存在するという事実を証明することは比較的たやすい。その何かを提示すればよいのだから。しかし、その一方で何かの不在を証明することは困難だ。何物かが存在しないことを客観的に証明するためには、果たして何を提示すれば良いのか。
 不在という現象は、ある対象が存在しない、すなわち提示することが不可能であることを意味している。提示することができないものを提示して証明することは、おそらく非常に困難を要するだろうということはあなたにも薄々わかる。
 ではどうすれば良いのか。
 こたつの上のみかんの不在を認めたくないあなたは、考察を続ける。
 少なくとも,こたつの上にみかんというものが存在していないということは,こうして視覚を用いて観察することによって確認されていると見ていいだろう.しかし,視覚で確認できるものはせいぜい可視光線を反射する物体にすぎないという見方もできる.つまり,このことは,可視光線を反射しないで素通りさせる物体であれば,そこに存在したとしても,目には見えないことを意味している.
 万一,目に見えないみかんがこたつの上に存在しているものだとしたら,それはありがたいことではないかという気がする.
 そこであなたは,視覚以外の感覚を用いて透明なみかんを探すべく,腕をこたつの下から出し,こたつ板の上を右に左に探ってみる.
 何も感じられない.
 少なくとも,皮膚感覚で感知できるようなものは何もないらしい.
 しかしながら,まだわからないではないか.
 聴覚を使ってみようと考える.あなたは声を大きく張り上げると,その反射波を利用してこたつの上の物体を探知しようとする.
 しかし,自分の声がやかましく,反射波は検知できない.
 言うまでもないが,あなたは普通の人間なのである.
 においを嗅いでまわってみると,かすかにみかんの香りがする.しかし,先ほどまでこのこたつの上でみかんを食べていたのだから,これは当然といえるようにも思える.
 瞬間的に,何とかの,みかんの香せり冬がまた来る,などという俳句を思い出しもするのだが,しかしながら事態はいっこうに進展しない.
 目で持ても,耳で聞いても,あるいは触って見ても検知できないみかんが,しかし実はそこに“ある”のだ,という主張をするためには,どのような方法を取れば良いのだろうか.
 いかんせん,無理があるということはあなたにもよくわかってはいるのだが,しかしこたつの外に出て行くのはそれほどまでに面倒なことであり,またみかんの必要も急務なのである.
 そういえば,なんとかも百回いえば真,という諺もあった,とあなたは思い出す.
 とりあえず,思い立ったが吉日,という諺もある.
 そこで,あなたは以下の文面を繰り返すこととした.
「みかんがこたつの上にある」
 几帳面なあなたは,その命題を言語化する度に鉛筆で“正”の字を一画ずつ書いていく.そうした正しさが二十個ほど世の中に現れたところで呪文の詠唱は完了である.心配症のあなたは,さらに念を入れてもう2,3その主張を行う.
 さて,どうだろう.
 あらためてこたつ板の上を眺めまわしてみるが,みかんの存在確率は必ずしも上昇していないようだ.
 そもそも,自分一人だけでそうした主張をしたところで始らないだろう.こうしたことは,複数の人間の観察によってはじめて客観的な事象となりうるのだ.
 そこで,あなたは,こたつの周囲に向かって漠然と話し掛けはじめる.あくまでさり気なく,が基本である.視点はなるべく曖昧に,遠くに置くことも大切だ.
 はじめのうちはなんの反応もない.
 それでもあなたは,語りかけ続ける.
 そのうちにどこからか会話にかすかな雑音が入りはじめる.はじめは漠然としたハム音のようなものが聞こえているだけだ.それはそれで奇妙なことではあるが,あなたは気にしない.
 それが次第にあいまいな音声の体裁をなしてゆく.どうもあなたが座っているこたつの対面,そこからその音がしているようだ.
 “音”は次第に“声”に変わる.あなたも次第にその気になってくる.
 単なるノイズが,少しずつ内容のある“相槌”に変わる.
 時折ちらちらと向かいかすめて見ると,まだその姿は曖昧なようだ.
 もうしばらく時間が必要だろう.
 適当に独り言をつぶやき,ときおり「そうだよなあ」などと誰に対する確認でもないようなことを述べていると,次第にそれに対してぼんやりとしたリアクションが帰ってくるようになる.
 さらに根気よく続けよう.
 やがて,相手が単に相槌を打つだけでなく,独自の見解を打ち出してくるようになると,そろそろ大丈夫だ.
 こたつの対面に,視野の焦点を合わせてもよい.
 いつのまにか二人目の存在がそこに現れている.
 特に具体的な誰,というわけでもない.ただ漠然と人であり,さらに言えばあなたの友人である.
 あなたにしてみると,それほど珍しいことではない.
 世界とはそういうものなのだ.
 さて,それでとりあえず,複数の観察者が存在することとなった.
 あなたはその相手に自分の意図を伝達する.
 相手は納得したようなしないような,というところだが,とりあえずこちらの行為に協力はしてくれる運びになったようだ.
 さて,それでは先の命題をより明確にしてゆこう,ということになった.
 あなた方は考える.
 もしもみかんがこの場にあったとしたら,それに付随していかなる現象が観測されるだろうか.
 これまでにおいて,光学観測,接触探査,音響探査はすでに行われている.嗅覚によるデテクションも一応なされた.それらをもう一度繰り返してみる.いずれのセンシングテクニックにおいても,やはりそれらしい反応が得られないことが明らかになる.この結果には頑健性がありそうだ.
 しかし,世界の普遍法則を覆すためには,たった一つの例外があればいいのだ.
 その一つの例外によって,世界の根本法則が崩れ去る.
 例外がある以上,それはもはや普遍とはなり得ない.
 それが明らかになった瞬間から,世界が変わるのだ.
 さて,その例外を見つけようとあなたがたは努力する.
 まず基本的な方法を採用する.
 こたつの上を細かいマス目に区分し,二人でその半分をずつ担当し,そのマス目の中にミカンがないのかどうかを逐一確認してゆくのだ.
 マス目を非常に細かく区分したため,探索の時間は大変長くなることが予測されたが,一方でマス目の大きさがミカンの大きさをはるかに下まわっているため,ミカンを見逃す可能性は低くなっただろう,とあなたがたは納得する.
 各々対角線から始め,各自のペースで横に向かって進んでゆく.見終ったマス目にはチェックの印をしておく.
 地味な作業が続く.
 こたつの上にミカンを見つけようとするその懸命な努力は,しかし報われない.どれほど細かく確認しようとしても,どうしても見つからない.
 考えてみると,この方法はもともと存在するはずの対象を確実に見つけ出すための手法であり,今回のような「あるようなないような」ものを見いだすのにはいささか不向きな手法のようなのではないか,と相方は述べる.
 そうかもしれない,とあなたは考える.
 次に,あなたがたは背理法を採用する.
 “ミカンがあるのであれば,そこにミカンが存在する”
 という命題に対して,この対偶を取る.
 “そこにミカンが存在しなければ,ミカンがあることはない”
 これを否定することから始めようとしたが,いきなりこういう事を行うのは非常に困難である,という見解が一致する.
 そこで,“もしもミカンが存在したら”という仮定の下で生じうるいくつかの状況をシミュレートし,その状況を誘導することで因果関係を遡及してミカンの出現をもたらそう,という比較的容易な技に挑戦する.
 まず,あなたがたはさもおいしそうにミカンを食べるふりをする.
「おいしいみかんだなあ」
「ああ,愛媛のおいしいミカンだよ」
などという会話まで交わしていたりする.
「それに比べて静岡のミカンは少し酸っぱいね」
「だから缶詰などの加工産業が発達したのだよ」
などと,会話は小学校社会科のような展開を示している.
「ミカンの皮はどうすればいいんだ」
「こっちのゴミ箱に入れてくれ.まだまだあるからたくさん食べよう」
「ああ,おいしいみかんだなあ」
「すばらしいミカンだ.本当にないのが残念だ」
 もっともらしい身振りをともなった間抜けな会話は延々と続く.
 その間,さりげなくちらりちらりとこたつの上を見回してみるが,まるい橙色は見えてこないようだ.
 互いに架空のミカンも食べ飽きる頃に,相方がつぶやく.
「せめて四人いれば...」
 その言葉の意味を,四人いればさらに確実性が上がる,ということだと解釈したあなたは,さらにもう二人の観察者を想像する.
 相方もそれに加わったため,今度は比較的スムースに二名の出現を得る.
 さて,四人そろった.
 こたつのまわりに四人がそろったのである.
 誰が言うともなく「始めるか」ということになる.
 こたつ板をひっくり返す.
 牌の創造に取り掛かる.
 ピンズ.
 ソウズ.
 マンズ.
 字牌とさいころと起家札.
 これらを各自が担当し,さらに点棒はとなりの人のものを創造することとする 掟を定める。
「背は竹でいいんだろう」
「どうしてお前だけ象牙なんだよ.練り牌にしろ,練り牌に」
「だから北ばっかり45枚も作ってるんじゃない」
「もうちょっと小さくしろよ,中国の土産じゃないんだから」
「みんな作るものが全然違うじゃないか,誰かに合わせるってことを考えないのか」
「さいころは普通の6面体でいいんだ.20面体作っても数えるのが面倒になるだけだろう」
 等々の擦り合わせが行われ,しばらくのちにめでたく麻雀セット一式が出現する運びとなる.
 さいころが振られ,親が決まり,もう一度さいころを振って開始である.
 しばらくは均衡した戦いが続く.ピンフタンヤオの黙テン,リーチをがけるがイーペーコーのみ,などの小物手が続く.あなたは今一つ大物手を狙いすぎ,聴牌以前に安手で流される,というパターンが続いてしまう.
 今一つ流れに乗れない.
 そのせいか,そんな中で,あなたはやはりなんとなくミカンのことを考えてしまう.
 ミカン.
 その存在がそんなに遠いものだと思ったことはこれまではなかった.
 しかし,人間を出現させることはできても,そして麻雀セット一式を作り出すことができても,ついにミカンを作り出すことはあなたにはできなかった.
 どうしてなのだろうか.
 そうして,気がついたら麻雀などを打っている.
 むなしい.
 こんなはずではなかった.
 作者も予想だにしていなかった.
 どうしたわけであろうか.
 南場に入ってもそんな感じが続く.
 ぼんやりと,なんとなく悲しく思いつつあったあなたに,右の隣に座っている人物から目の覚めるような声がかかってしまう.
「ロン」
 油断していたあなたは,その相手の手を眺めて仰天する.
 国士無双.
 役満ではないか.
 これは参った.
 あなたは,思わず後ろにのけぞり,脚を伸ばす.
 すると,そこに何かが当たる.
 柔らかいものだ.
 何だろうか.
 ごろごろしている.
 こたつの下に手を伸ばし,探り寄せてみる.
 すると,それはミカンである.
 こたつの上にはなかったが,何のはずみか,こたつの下に一つ転がっていたのに違いない.
 そう気がついたとたん,麻雀牌が消え,こたつ板の模様が次第に表の木目に戻る.メンツの三人も、うっすらと揺らいで輪郭を崩してゆく.“ずるいぞ”という声も聞こえたような気がしたが、あなたはあえて気にしない.
 不意に,あなたは,一人でこたつに座っている.
 そして,手にミカンを持っている.
 目標は達成された.
 多分,これでいいのだ.
 いろいろあったが,最後に自分はミカンを手にすることができたではないか.
 一時は,ここまで努力するのなら,素直に外に出てミカンを買いにゆけばいいのでは,とまで思ったが,何とかなるものではないか.
 結果的に,青い鳥,というのか,“橙のミカン”は近くにいたのだ.
 喜ばしいことだ.
 そう思ったあなたは,さっそくミカンの皮をむき,みずみずしい中身を口に入れ,長らく待ち望んだその物体に対する感想を述べる.
「うわあ,やっぱり生暖かいなあ」




<完>

終了 98/10/21