寒い。
 雪が降っている。
 仕方がない、とあなたは思う。
 ここはそういう場所なのだろう。
 トンネルを抜けたらそこに雪が降っていた。それは誰の責任でもない。
 目の前が不意にぼやける。コートの袖でこするとまた遠くが見えるようになる。いつのまにか、窓はとても冷たい。
 列車は雪の中をゆっくりと進む。体を包む低い音と共に動いて行く。意外なくらい明るい空から、同じような明るさを持った雪が次から次へと落下してくる。景色が隠されてゆく。山なのか、街なのか、それとも海なのか。すでにちらちらしたゴーストのようなものに遮られて、外の世界は定かではない。
 この車両にはあなたしか乗っていない。この列車に他に乗客がいるのかどうか、それすら疑わしい。それほど静かに、列車は進んでゆく。
 窓の外は相変わらずはっきりしない。だが、ぼんやりとうかがえる風景から、列車があなたが見覚えのある場所にさしかかっている事がわかった。
 ここは、どこだったろうか。
 ふと、あなたは自分がどこを走っているのか、よくわかっていない事に気がつく。
 そもそも、何のために自分は列車に乗っているのだったか。
 あなたは窓を開ける。急激に冷たい風が吹き込み、顔はこわばる。
 窓を開けても、雪に隠されて景色は輪郭を失っている。それでも、あなたは今自分がどこにいるのか、なんとなく把握した。
 列車は故郷に向かっている。
 それは確かだ。
 理由はわからないが、あなたは故郷に帰るところらしい。
 見覚えのある山の形が、遠く、灰色の空に霞んでいるのがわかる。
 この景色が見えれば、もうすぐのはずだ、とあなたは思う。
 駅について、バスを待ち、さらに何十分か揺られて、あなたの生まれた家にたどり着く。
 父は元気だろうか。母は元気だろうか。
 そこまで考えて、あなたは不意に思い出してしまう。
 そうだ。
 故郷は、あの戦争で消えてしまったのだった。
 大きな爆弾の直撃を受けて、跡形もなくなったのだ。
 本当に地形が変わってしまい、山も谷も河も、何もかも消えてしまったのだった。
 そして、あなたのお父さんもお母さんも、そこにいたのだ。
 わかっていたはずだった。
 そうなのだ。
 わかっていたのだ。
 そして、あなたは自分がどうなったのか、ようやくわかりはじめる。
 まだ故郷が存在する世界に、戻っていくのだ。
 列車が静かに進むにつれて、少しづつ、少しづつ、あなたは若返って行く。
 家を出たばかりの、あの頃の姿形に戻って行く。
 あの日も雪が降っていた。
 景色は白いもので覆い尽くされていた。
 そして、あなたは、それ以来、故郷に帰る事がなかった。
 窓ガラスは、あなたの息で曇っている。窓ガラス自体も、どことなくぼんやりしている。冷たくなめらかな手触りだけが、不思議にはっきりと伝わってくる。
 もういちど窓を開ける。
 冷たい風が吹き込む。
 その風が、なぜそれほどまでに冷たいのか、なぜ辺りの景色がはっきりと見えないのか、理由も今のあなたにはよくわかる。
 列車の進行方向には、まだ風景は存在しない。列車が進むに連れて、雑音のような背景から次第に淡彩の景色が浮かび上がってゆく。あなたの思ったとおりの風景が、音もなく霧の中から現われてくる。
 そうだ。そういう景色が見えたはずだ。
 この景色が見えれば、もうすぐのはずだ。
 体を乗り出して、故郷を思い浮かべる。両親の事を思う。
 ふと、すでにあなたが行き過ぎた方向を振り返ると、白いものが全てを覆い尽くして、もう何も見えない。



<完>