リアクションタイム



 僕が君の最終レポートに78点をつけたのは、別に結果が間違っていたとか、方法がおかしかった、というわけではないんだ。君の実験は先生方の間でも評判はよかったよ。比較的やっかいな「ねた」をわかりやすく実験に乗せた、というその実験の発想だけでも評価は高い。結果もまずまずはっきりしているし、そのあたりは問題はないんだ。
 一応言っておくと、78点という評価は決して低い方じゃないんだよ。上位十人の中に余裕で入る。最終試験だからね。採点自体が厳しかったんだ。
 で、他の先生方から回ってきた評点80点から、僕はあえて指導教官として2点引かせてもらった。その理由が知りたい、というわけだろう。
 僕が君に言いたかったのは、ローデータをきちんと観察してみたか、ということなんだ。いや、確かに君の言いたいことはわかる。実際その通りなんだ。
 心理学が、いや、自然科学全体と言ってもいいかもしれないけれど、ともかく、結論としてある程度普遍的なものの言いかたを目指していることは確かだ。探索の対象が人間ならば、人間全てに共通している特徴をすくい上げて論ずることを目標としている。もちろんこれが空論であることは実際に研究をしている連中はみんなうすうすわかっているんだが、それでも一応の題目として唱えてはいる。そうなると、被験者個々人の特徴は捨象せざるを得ないわけで、我々は被験者を多量に集めて、同一条件で多人数の実験を行ない、個人差を誤差として相殺して、データの平均値と標準偏差でものをいうわけだ。その代表値の演算の過程で失われた情報がどこに消えたのか、ということは気にしない。
 今となっては、それも古い意味での自然科学なわけだから、いろいろとそのあたりについての考えはあるんだがね。それは置いておいて、君の主張するような意味で、個々人のローデータにはそれほどの普遍的真実性は存在しない、ということも確かに言えることは言える。実際上、Nの数が多くなれば、データが一つ消えたくらいでは結果に大差はないのが普通だし、逆にもしそのデータ一つで結果がかわるようなら、むしろそのデータが極端値である、と解釈して省くのが作法だ。そのくらい個人個人のデータそのものは重要視されない。
 でもね、本当はそれは言い過ぎなんだ。データは実にいろいろなことを語ってくれるものなんだよ。
 それが何かと言うことは、だ。
 そうだ、僕自身の話をした方がわかりやすいな。まあかけたまえ。君はもう時間はだいじょうぶなんだろう。講義も残っていないよな。ああ、無事に卒業できそうかい。それはよかった。
 まあ、お茶でも入れよう。そこの湯沸かし器のスイッチを入れてくれないか。豆は冷蔵庫から出して、そう、それだ。挽くのは僕がやろう。
 ええと、なんの話かというと。そうそう、僕自身の卒論の話だった。
 ともかく、その昔、僕も今の君と同じ立場にいて、同じように課題をもらって実験をしていた。もうずいぶん昔の話だがね。僕のときは、確か、信号検出理論的分析の種々の条件における妥当性、みたいなものだったかなあ。そう、その当時でも「今どき信号検出理論か」と驚いたくらいだよ。もちろんそれなりに意味があったことは今になるとわかるんだけど、当時はなんともいえなかった。しかたがない、という側面もあった。試験となると、ある程度古典的な手続きを踏むものでなければ評価ができないし、第一、最新のテーマを最新の方法で行なっても、世の中誰も評価なんかできないからね。おまけに教授連中は偉くなると会議やら事務手続きやらで忙しくなってしまって最先端の現場には触れていないのが普通だ。ここもそんな感じだな。あ、ここはオフレコにしておいてくれ。
 ともかく、僕も君と同じで、将来この道で食べていこうと思っていたから、この最終試験をおろそかにするわけにはいかなかった。当時の僕なりに、一所懸命課題を分析して、先行研究を調べて --- これがまた莫大にあったんだよなあ。この領域ならあたりまえだけど。レビューだけでも十本以上、実験論文になると全部拾うと何百本になるのか、見当もつかなかった --- それなりの仮説を立てて、実習を思い出しながら実験計画を立てて先輩の院生に見てもらって、徹夜でプログラムを組んで、予備実験をやって、それでようやく本実験に入ったわけだ。今と違って心理学部でプログラミングを教えてくれるわけではないから、にわか仕込みのプログラムが動くかどうかも問題だった。やっていくうちに結局そこはなんとかなったけどね。
 さて、そこで被験者さんを集めはじめた。実際にやってみて君もわかったと思うけど、実はこの最後のところがいちばん大変なんだ。知合いに片端から声をかけて、頭を下げてそのまた知合いにまでお願いして、そんなものでは到底足りないから、知合いの先生のところへ顔を出して授業中に被験者の勧誘をさせてもらったり、場合によっては先生の代理講義までして顔を売っておいて、それから勧誘に行ったり、とか、まあいろいろあったよ。君もその辺は似たようなものだろう。被験者さえ集まれば、実験はもう八割以上終わったようなものだからね。実験自体の実行やその後の分析なんか、被験者集めの苦労に比べれば問題外だ。本当に。
 そうして被験者さんを確保して実験を始めた。実験は、単純にいってしまうと、ディスプレイ上に単語をいくつか提示して、単語間に関連がありそうだったらボタンを押す、どのくらい関連がありそうか、も判断する、というようなものだったと思ってほしい。コンピュータ上で百分の一秒単位で反応潜時を測定して、音声の教示を僕自身が行なう以外には ---- こればかりは自分自身で声を出してやっておかないと大変だよ。被験者さんが本当に実験内容をわかっているのかどうか、あるいはそもそも実験を行なえるような健康状態なのか、というあたりを確認しないといけないから。被験者さんばかりじゃない。ときとして実験状況そのものがこちらの想像を絶する状態に陥ってしまうこともある。本当だよ。信じられないかもしれないけど。真夏に空調室の中で発汗データを取ってた時にいきなり建物が停電したらいったいどうなるのか。緊張で静まり返った実験室の中にいきなり廃品回収のおじさんが大声で乱入してきたらどうなるか。小冊子をやってくれていたはずだった被験者さんが、実はその時間中ずっと居眠りをしていたら。自動教示に任せっぱなしだと、こういうことに気がつくのが遅れてしまうわけだ。まあ、これは別の話にしよう ---- 何の話だったか、そうそう、実験の進行自体はほとんどオートマチックだった。データも自動的に処理されて、グラフを描いたり検定するところまで自動的にできるように組んでいた。
 始めにある程度暫定的な条件でためしてみて、どうも教示部分が不適当だと思ったからそこを変更したりして、最終本番の条件を決定するまでに僕の場合には十人ほどの被験者さんを使ってしまった。そこで、実験の最後の方で被験者さんが足りなくなってしまった。
 普通は均質な被験者さんが欲しいから、同じような学部、中でも文系から募集するのが普通だ。理科系の方に比べて実験事態に対して「ナイーブ」だと考えられているからね。もちろん「無作為」である、っていうサンプリングの基準を満たしていないから、本当はまるでほめられたものじゃない。でも、そのときには、実際には学部内での使えるつてはほとんど使いつくしてしまっていたし、実験していたのが僕だけではないわけで、同じ目的の予約がもう心理学部のどの先生のところにも入ってしまっていた。僕はいささか途方にくれた。
 僕は仕方なく、サークルの顧問である工学系の教授のところに出かけて行った。普通は心理以外の他の学部の先生は被験者募集なんてことに協力してくれることがまずない。だから期待はしていなかった。通りすがりの1人くらいは集められれば運がいいと思っていたんだ。
 その教授のところに行って話を伝えたら、不思議なことに妙に乗り気なんだ。僕の渡したその説明の用紙をまじまじと眺めて、いろいろと理論やプロセスの詳しいところまで質問してくる。この段階で妙だと気がつくべきだったのかもしれない。でも、こちらもともかく自分のやることに興味をもってくれたことでうれしかったし、協力してもらえそうな風向きだったのでよく口が回った。そうして最後に、被験者を授業で集めさせてほしい、とお願いしたら、どう言うわけか、それはやめておこう、と言われてしまった。でも、その代わり被験者は君の欲しい数だけこちらが用意しよう、と言う。よくわからなかったのだけれど、それならそれでかえって手間が省ける、と考えてお願いしてしまった。
 さて、それからしばらくしてその被験者さんたちがやってきた。僕は工学系の学生さんのことをよく知らなかったから、なんだか今までの文系の被験者さんたちに比べて少し変わっているような気がする、と思った。でも、こちらの教示をきちんときいてまじめに実行してくれていれば、他の部分のことはあまり問題がないから、それほど深刻に考えなかった。そうして日々被験者さんたちがやって来て、実験をやって、やがて実験が終わった。
 ボタン一発で結果を出す。グラフはそれらしい曲線を描いている。検定の結果も1パーセントで有意だ。1パーセントだからといって何だというわけでもないんだけど、これって何となくうれしいだろう。ともかくとてもいい結果だ。うまくいった。そうして僕はそのレポートを提出して、めでたく卒業資格をもらったわけだ。
 だが、問題はその後だった。
 しばらくして例の教授から連絡があった。君の例の最終レポートはどうだったかね、という問い合せだ。そういえばお世話になっておいてその後何も報告にいかないとは失礼だった。僕はあわててレポートを持って報告兼お礼に行った。そうして自分の得た結果について熱弁をふるったわけだ。
 ところがおかしい。教授が僕の話を聞きながらなんとなく笑っている。始めはよくわからなかったんだが、やはりどうも妙だ。だんだん気になりはじめて、とうとう何がそんなにおかしいのか尋ねてみた。すると教授がこう言う。君、ローデータをきちんと見てみたのかい、と。僕は正直に、実験は自動的に行なわれているので、生のデータはまったく見ていない、と答えた。でも、最終的に極端値は排除するようにできているし、分布だって正規とみなせるかどうかくらいは自動的に検定するようにしてある。検定プログラムにも問題はないはずだ。そう付け加えた。
 それでも、教授は笑いながら、きちんとローデータを確認したまえ、と繰り返す。僕は最後には少し頭にきて、そうします、とぶっきらぼうに答えて部屋を後にした。ドアのところで被験者をやってもらった人の一人とぶつかって少しよろけたけれど、そのときの感触など、まるで気にならなかったくらいだ。
 実験室に戻って、もうまとめ終わってしまった実験のデータをあらためて取り出してみた。いまさらこんなものを眺めたところで何がどうなるものでもない。もう考察は終わっている。表やグラフならともかく、反応潜時の数字など眺めていてもおもしろくはない。ここから言えることはもう言い尽くされているはずだ。そう思ってしばらく眺めていたのだが、あるところで妙なことに気がついた。
 反応潜時の下一桁、つまり百分の一秒単位の数字が、みんな同じ被験者がいる。つまり、0.64秒、0.94秒、1.74秒、0.74秒、という具合に、その被験者の全ての条件の全ての試行のリアクションタイムデータの百分の一秒の数字が『4』なんだ。こんなことは普通はない。
 もう少し見てゆくと、そういう被験者が他にも見つかった。ある被験者さんは7、別の人は9、という具合だけど、ともかく共通していることは、下一桁の数値がどの試行でも同じ。とても偶然にそんなことがおきたとは思えない。もしかするとタイマープログラムのバグか、とも思ったんだが、そうでない被験者さんもいる。もちろん意図的にやってできる反応ではないのは確かだ。僕はしばらく悩んだ。そうして、やがてその被験者さんたちに共通な要素をピックアップしてみて、ようやく気がついた。
 全て、あの教授に紹介してもらった被験者さんだった。
 僕はあわてて教授のところに走ったよ。いったいあの被験者さんたちは何者なんですか、と尋ねた。
 すると、先生は近くにいた学生さん ---- 被験者をやってくれた人だった ---- を呼ぶと、首の後ろに手を回して無造作に頭をはずしてしまった。それを見た僕がどうリアクションしたか、想像できるだろう。しばらくはショックで息をしていなかったかもしれない。それほどの驚きだった。
 最近一応は外見上人間に見えるようなロボットを試作してみたので、それを心理学者相手に試してみたかったのだ、と教授は事もなげに言ってくれた。僕は僕で、あまりにも自分が別な学問分野で行なわれていることについて不勉強だったことに唖然としていた。だってそうじゃないか。人間が持っている反応プロセスをそのまま内部にモデルとして持っているロボットができていたなんて。衝撃だよ。心理学になんの意味があるのか、そのときはわからなくなってしまった。まあ、この実験の場合には、僕が教授に逐一仮説やモデル、実験プロセスなどを説明してしまったからこういうことができたのだろう、とは後で気がついたのだけれど、それにしてもそのときにはびっくりした。
 このことは心理の先生には報告しないことにした。ロボット被験者の数は被験者全体の中では少数だったのだが、実験結果がそのロボットが内包していた反応モデルにそった反応のためだとしたら、僕の実験は結果が出てあたりまえだ、と言われるだろう。後から文句をつけられると少々やっかいだ。だから黙っていた。その工学の教授も黙っていたんだと思う。
 さて、それからずいぶん時間が過ぎて、僕がここに教える立場になって戻ってきた時に、ちょっと考えついたことがあった。僕がかつて誤ったのは、ローデータの正確な観察を怠ったためだ。あれはいい教訓だった。あの後で、自分できちんとデータを見るくせがついたし、そのおかげで被験者毎のばらつきの意味なんかもわかったときがあるし、致命的な分析ミスを避けられたこともあった。本当だよ。平均値というものはあくまで真実の姿の『写像』であって、全てを表わすわけではないのだから。やはり生のデータを見ることは大切なんだ。あれは今思うといい勉強だった。この教訓を心理学を学ぶ学生諸君に伝えなければならない。
 そこで、僕はやや歳を取った件の工学部の教授のところに出かけていって、一つのお願いをした。それから心理の教授会も時間をかけて説得して、同意をとりつけた。意外におもしろがる先生も多かったので助かった。そして、それ以来、十年以上もずっと、僕等は君たち学部学生に対してあるいたずらを仕掛け続けている。
 わかってきたかな。僕の言いたいことが。
 僕の見るレポートには必ずローデータの羅列を貼付するようにお願いしてある。さて、これが君のレポートだ。見てみよう。
 僕が赤い丸をつけた被験者さんの反応潜時、どうだろう。下一桁だけ見てみよう。3の繰り返しだ。こちらの被験者さんは1、2、3、4、5、6、7、8、9を順番に繰り返している。この被験者さんは下一桁が0と1ばかり。それでその0と1をモールス符号に置き換えると『ワタクシガロボットデス』の繰り返しとなる。どうだろう。
 君も被験者はうちの学部から取ったんだろう。つまり、君たちのたくさんの仲間のうち、何人かは実はうちの工学部が開発したロボットなんだ。それが誰かは教えられない。心理学実験にとても協力的な人なのは確かだね。君はこのデータを調べればそれが誰かわかるだろう。でも、心理学者の被験者に対する守秘義務として、このことは口外してはいけない。決してね。
 僕たち教官がこの最終レポートを採点する時の基準の一つとして、その人がどれだけこうしたローデータを観察しているか、というところも含まれている。もしこういったデータが出ていることに気がついたら、何か変だと思って、まあたいていはタイマーの故障だと判断して、あるいは被験者に何らかの疑念を抱いて、いずれにしてもそのデータを省くべきだ。ほとんどの人が残念ながら気がつかないのだが。
 現在のその被験者ロボットたちは、僕の実験の頃に比べて格段に進歩しているから、当時僕が感じた妙な印象、というのもなくなっている。もちろん心理学教官一同が密かに協力していたためでもある。心理テストをやってみても、たいていのテストに対する平均的な反応をすでにプロットしてあるから、普通の心理テストでは選別できない。適度にライスケールにもひっかかるようにできているくらいだから、学部の学生レベルではまず見抜けないだろうね。
 こんな意地悪をするのにも一応理由があるのだよ。君が将来これで食べてゆくのだとしたら、これは絶対に必要な教訓だ。ちょっとしたデータの分析時の不注意でどれほど誤った結論を出してしまうことか。僕たち専門屋も本当に必要だと自分たちの身に染みてよくわかっているから、わざわざここまで手間をかけていたずらを仕掛けているわけだ。教育的指導だと思ってほしい。
 わかってもらえただろうか。これはこの学部の卒業生だけの秘密、ということで、後輩や他の人に言ってはいけないよ。
 さて、お湯も沸いたし、さっそく淹れるとしよう。
 おや、なんだかなかなかいい香りがでたな。そっちのカップを取ってくれないか。そう、2つ。
 まだ何か気になる点でもあるのかい。
 ああ、そのロボット自身に自覚があるかどうか、というのも微妙でね、今はあえて設定していないんだ。それだけ反応プロセスを精密に設計すると、どうしてもセルフモニタリングや価値観の問題が無視できなくなってくる。その昔、自分がロボットだという意識を持ちながら生活してゆくことに耐えられなくなってしまったロボットがあってねえ。自殺してしまったんだよ。全く笑い事じゃない。そういうことがないように、彼ら自身の自分の立場はごくあたりまえの学生として認識させてあるんだ。過去のエピソード記憶もある程度精密なものを入れて周囲と整合性が取れるようにしてある。個性も作ってある。まったく「機械的」なんかではないんだよ。
 さて、と。これだけあればちょうど二人前くらいだろう。
 どうぞ。少し濃かったかな。きつかったら冷蔵庫の中にミルクがあるから使っていいよ。僕はいいから.
 まあともかく、だから今回問題になった特徴的な反応にしても、彼らが意図してそうした反応をしているわけではない。自然にそうなるようにできているんだ。自覚なんかしていないはずだよ。そう。そういうことだ。だから彼ら自身は普通の学生として生活していて……
 何か気になるな。なんだろう。
 君の名前は確か……
 そうだったのか。すっかり忘れていた。気がつかなかったよ。
 君はもうすぐ3学期の終わりにメインのメモリーを消去されて、ドック入りと顔と体つきの再調整が済んだら、新学期からは新入生として学生生活のやり直しになる。君の場合、もうスケジュールは終わりに近いのだから、はっきり言ってしまってもかまわないだろう。いつまでもいつまでも大学生、っていうのは少しうらやましい気もするんだが。当人はそうでもないのかな。
 ああ、そのことについては大丈夫、君が4年間貯えた思いでは、学部が責任をもってきちんと保管しておくから、君はいつだって昔の仲間や経験を思い出すことができる。同窓会のために、君が卒業してからの経歴やその「思い出」だって作ってあげられる。でも、なんだかこれは余計な気もするのだけど。
 こういうこともあるわけか.
 こんなちょっとした間違いまで人間と同じなんて、本当にどうしたものか。正直言うと、心理屋としてはなんとも複雑な気持ちだよ。結局僕たちはこの学問で何をしようとしているのだろう、と考えてしまう。人間は人間のことなんか結局何一つわかってはいないんじゃないか、いや、人間どころか、自分たちで行動を設定したロボットのこともまるでわかっていないのだ、という気にもなる。こんな形で君たちを見た後では、本当にそう思える。
 コーヒーはどうだい。
 そりゃよかった。挽きたてで淹れたて、っていうのはやっぱりいいものだな。香りが違うよ。そうだろう。そういうところまできちんとわかるようにつくらせてもらったんだから。このあたりは僕の趣味ではあるのだけれど。
 まあ、いろいろあるだろうけど、いずれにせよ、心理学者というのはそれなりにデリケートな存在なんだよ。ある意味で、人間それ自身と同じくらい、ね。
 君にはピンとこないかなあ?


<完>


初出 OBhotline2 1993
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