ラジオを聞きながら、机に向かっていた。
勉強を始めてから2時間が過ぎていた。そろそろ集中力もとぎれてきたし、もう風呂にでも入って寝てしまおうか。そう思った矢先だった。
いきなりラジオにノイズが入ったかと思うと、それに混じっておかしな「うなり声」らしきものが聞こえてきたのだ。
放送の音声ではないようだ。とうとう壊れておかしくなってしまったらしい。もともと調子の良いラジオではなかったので、僕は、そろそろ買い替えなくてはならないのか、とがっかりした。
雑音がひどくうるさかった。スイッチを切ろうとして手をのばしかけて、そこでどうも何かがおかしいことに気がついた。
ノイズにまぎれてはいるが、この声はどこかで聞いたことがある。
誰だろう。
聞き耳を立ててみた。よく知った誰かの声だ。ようやく耳が慣れてきたらしく、なにをしゃべっているのかが聞こえ始めた。なんとなくアクセントに覚えがある。
よく聞いてみて驚いた。これは、他でもない、僕の声ではないか。いったいどうなっているのだろう。
声はずいぶん苦しそうだった。
「-----う、痛い----苦しい-----」
どういう事だろうか。僕はぼんやりとラジオの前で頬づえをついていた。
声はしばらくうめいていたが、やがて小声で一言ずつゆっくりと話し始めた。
「---いいか---今から言うことを---よく聞くんだ---十時ちょうどに---大地震が起こる---それで、僕はそのままそこにいると、屋根の下じきになって---ごほっ---じきに死ん でしまうんだ---今、最後の力を振り絞って、十分前の僕に警告を出している---もっと前に出せればいいが、この時間が限界だ---だから、早く逃げろ---今ならまだ間に合う---」
僕は飛び上がった。十時といえば、あと十分しかないではないか。何てことだ。急がなくては。
とりあえず、財布と保険証、あとは印鑑を持った。鍵を探しかけたが、よく考えれば持っていたところで部屋はつぶれてしまうから意味がない。そうして、靴をつっかけて玄関から飛び出そうとした。相変わらず、ラジオからは苦しそうな声が聞こえてくる。
そこで、おかしなことが起こった。
今まで聞こえてきたうめき声のほかに、何かもう一つの声がそこに加わったのだ。
何だ。
僕は思わずラジオの前に戻ってきた。
まさか、と思ったが、これも僕の声だ。
「---うう---苦しい----おい--ちょっと待つんだ--早まるな--いいか、僕はその忠告にしたがって、外に出たんだ。だが、地震のときに屋根から落ちてきた瓦が頭を直撃してしまった----痛い--血だらけだ--意識が遠くなってくる--だから、頼む、屋根からは離れるんだ---早く逃げろ、逃げるんだ、屋根のないところへ--うう、痛い」
ラジオからは、二人のうめきが重なって聞こえていた。
なるほど、これは危なかった。地震の時はうかつなところへ出るものではない。つまり屋根のないところへ行けばいいのだな。そう思って、僕は再び玄関に走った。
ところが、だった。
ラジオに再び異変が起きた。
第三の声が入ってきたのである。それもまた僕の声で、しかも前の二人と同じように苦しんでいる。
何なんだ。
僕は靴のまま引き返すと、ラジオのボリュームを上げた。「---待て---待つんだ---うっ---がはがは、ううう---いいか、これを聞くんだ---僕は二人分の警告を聞いて、屋根のないところへ走ったんだ---ところが、いきなり電柱が倒れてきて---う、内臓 が破裂しているみたいだ---もうたぶん助からない---だから、電柱の倒れてこないところに---早く、逃げるんだ---ごほっ」
そうか、わかったぞ。電柱の倒れてこないところだな。おまけに屋根のないところだな。よし、急がなくては。僕は今度こそ玄関に向かった。
そこで、待ったがかかった。
「待て、待つんだ、早まるな---う、苦しい---ごほっ」
僕は駆け出す姿勢のまま凍りついた。
「--うげっ---苦しい---痛い---いいか、よく聞け、僕は三人の警告を聞いて、屋根も なくて、電信柱もないところに行ったんだ---うう---ところが、その近くにあったガ スボンベが倒れたショックで破裂して、引火して爆発を起こしたんだ---僕は吹き飛ばされた。手足がおかしなほうを向いている---呼吸もできない---うう、苦しい」
わかった。屋根もなく、電柱もなく、ガスボンベもないところに逃げればいいんだな。うん、早くしよう。そう思って、全速力で玄関から走り出そうとした。
そこで化石になった。
「うう---待て、待ってくれ---まだだ---ごぼっ---早まるな---頼む---駐車場にいたら、車に突っ込まれた---もう動けない---頼む、車のいないところへ逃げてくれ---く、くるしい」
そうか、車か。わかった。では車のないところに---
「--- まてー --- だめだー --- 広場に逃げたら、火事の熱風に巻き込まれて死にかけている。熱い、うわー、もうだめだ。火の気のないところに逃げるんだー、うあああ」
「今度は河川敷に逃げたら、土手がくずれて埋まってしまった。もうだめだ --- 川 には逃げるな」
「学校に逃げたら地割れに落ちてしまった --- 深く落ちすぎてもう出られない」
「飛び上がったマンホールのふたをもろにくらってしまった --- 体がぐしゃぐしゃ だ」
僕は呆然と立ちつくした。これではどこへ逃げても同じではないか。
ラジオからは、何十、何百もの僕のうめき声が、不協和音と化して流れでている。
不意にあたりが静かになった。
ラジオが、十時の時報を伝えた。
すさまじい揺れが部屋を襲った。
<完>
初出 hotline41(1989)
再掲 Cygnet5(1990)
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