シールド



 駅を出ると、もうすでに携帯シールドがオーバーヒートしかけている。人々の意識が自分に向けられているのがよくわかる。この程度の簡易シールドで、この都会の莫大な思考のエネルギーを防ぐことができないことは自分でもよくわかっている。許容遮蔽量を上回る衝撃が押し寄せ、アンチフィールドを形成していたシステムが警告を発しはじめている。それに加えて、分布の両端に位置するカバーできない帯域の思考パターンがわずかだが侵入しはじめている。
 私に向けられる思念のほとんどは単なる好奇心であり、また一片の憐れみとその裏返しである優越感。さらにかすかな憎悪の影、といったところだ。連中からすれば、私なぞ邪魔な物体、あるいはちょっとした下世話な見世物、といった類にしか感じられていないのがよくわかる。やつらは私の心の中に勝手に入りこみ、あたりを無作法に覗き回り、飽きたら出て行く。私はその間、自我をかろうじて確保している心の奥底に丁寧にしまいこみ、自動人形のように、ただひたすら歩いて行く。
 私の心を幾十もの思考が通り過ぎて行く。
 子供らしい思考が目ざとく私を見つけ、さっそく内側を覗きはじめた。
 好奇心に満ちた思考が私を隅々まで探る。興味本位にあたりを見回し、飛回り、大切なもの、私の力不足で保護しきれなかった私のささやかな思い出や追憶を、見事にずたずたに破壊して行く。次々と深く潜りこんでくる。ちょっとした探検気分なのだろう。私自身にはまるで手だしできないそれら過去の記憶を、やつらは価値のない物のように扱う。私の思い出の中に土足で踏み込んでくる。
 もうこれで幾十回こんなことがあったのだろう。私は私自身を成立させている思い出をこのようにして失ってきた。これまでの間ずっと。父のことも母のことも妹のことも、そうして私と同じような境遇にいた彼女のことも。もう全て痕跡程度にしか残っていない。
 子供は、ついには私の閉じこもっている核を見つけ出し、むりやり中身の私自身をひきずりだそうとしはじめた。
 「やめてくれ!」
 私はそれ以上耐え切れなくなり、口から声を出してさけんだ。そして走り出した。人々の関心が一瞬こちらに向いたような気がしたが、私はそれらを振切って走り続けた。子供の思念はしばらく行ったところで消えた。子供で助かった。まだそれほど空間的に遠くへは届かないらしい。だが私は速度をゆるめずに走り続けた。
 もうたくさんだ。こんな恐ろしいところにいたくはない。早くあの安全な施設にたどりつかないことには、本当に気が狂ってしまう ---- 私の脳裏に、この世界に耐え切れずに自殺していったあの彼女の面影が浮かんだ。だがそれすらもはや定かではない。記憶がかすれつつある。思い出が。
 どうして私がこんな思いをしなければならないのだ。
 障害をもって生まれてきたのは私の責任ではないはずだ。私はただ普通に生きていたいだけなのだ。どうして正常な人間たちは、自分たちの規範をあたりまえの物として、全ての世界に押しつけようとしているのだ。私はあくまで私という固有の存在であって、ほっておいてくれればよいのだ。
 そもそも本来なら、正常な人間とはほかでもない私のことのはずだ。異常なのはむしろやつらの方だ。
 連中が現われたのがいつのことなのか、私にはよくわからない。当初は向こうの方が障害者として扱われていたという記録も見たことがあるのだ。さまざまな薬品や放射線にさらされて生まれてきた先天的な奇形児たち。彼らの多くはちょうど今の俺のように世界に適応しようと苦しみ抜いて、かろうじて自分たちを「正常な」世界で活かすように努力をしていた。ほとんどのものは無為に死んだ。だがしかし、ほんのわずかな生き残りが、機能的に不完全なものを補正するべくして、精神の力を発現させはじめた。
 眼を失った替りにそれに対応する遠隔視感覚が、耳と口を失った替りにテレパシーが、手足を失った替りにテレキシネス、そんなとんでもない力がどこからともなく現われてきた。そうした力は次第に人類の間に広がってゆき、超能力保有者の割合が全人口の10パーセントを越えたところで闘いが始まった。その結果、それまでの「旧人類」はほぼ完全に駆逐されてしまったのだという。これも神話の中の話で,実際にそうしたことがあったのか,あったとしてどの程度どれくらい昔の話なのか、私にはわからない。
 私はその意味では、彼らが憎むべき旧人類の血を引いているのだろうと思う。私には先天的にそうした能力が欠けており、おそらくその代わりであろう、旧人類の特徴である完全な身体を保有していた。手、足、頭から指や髪の毛に至るまで、私は旧人類の完全なサンプルなのだそうだ。今では博物館でしかお目にかかれない奇妙な代物。生きる化石。そう、奇形は他ならないこの私なのだ。
 だが、心の遮蔽が不完全な私は、常に人工的なシールドをもち歩かない限り、莫大な思考エネルギーの流入により、精神が破壊されてしまう恐れがある。そしてその遮蔽の訓練をするべく、今日もこの障害者施設に通っている。
 精神の集中の訓練、意識の分化、精神触手による他人への接近、精神力の物理力への変換 ---- これらは、正常な人間ならば、すでに生まれながらにして本能的に保有している能力なのだそうだ。だが「正常」とはなんだ?大多数の人類の持っている能力が単に「正常」な能力とみなされるだけであるのなら,確かにわたしは正常の範疇から外れている.だが,もともと身体や精神の作りそのものには正常も異常もないはずだ.それは「そういう状態のもの」であり,善悪はもちろん価値の判断からも逸脱したところにあるのではないのか.無人島でたった一人で生きているのなら,私は障害者でもなんでもないだろう.私を「障害者」に仕立てているのは他ならないあの大多数の連中なのだ。
 だが,ここでいくら私がそう感じていたところで,それが誰に影響を与えるわけではない.私は心で他人に語りかける能力を持たない.私は自分の口で言葉を話すことができるが,それを耳で聞く能力のあるものは既にこの世の中にはほとんどいない.私は一人きりだ。最後に一緒に『語り合った』のは彼女が最後だった....
 ここまで考えて、愕然とした。
 誰だ、彼女とは。
 一体誰のことを考えているのだろう。
 必死に自分の心の中を探る。しかし、何も見当たらない。ただ、先程の子供の乱入で破壊された、瓦礫のような記憶構造の残骸が、遠く、どこまでも広がっているだけだ。
 自分は誰のことを想いだそうとしているのだ?
 彼女?彼女とは誰だ?
 父?母?それは誰のことだ?
 私は何者なのだ?
 自分は自問しながら走り続けた。どこまでも走り続けた。
 シールドジェネレータが過負荷にあえいでいる。じきにバッテリーが切れるだろう。それまでに間に合うだろうか。自信はなかった。何に間に合うのか、それすらもう既にわからなくなっている。ただ、何かに間に合わないのだと感じている。このままでは何かが起きてしまう。自分はそう思っている。
 赤い警告灯の点滅が、私を追い立てるように次第次第にせわしくなってゆく。



<完>


初出 Hotline30ぐらい?(1986)
改稿 本稿
go upstairs