まとめ


 雑誌連載第4期の「妹からの手紙」の連載が12人一回りした、連載開始4年半後の2003年8月号において、この原作は次号9月号で終了することが予告された。

 最後に、9月号において、特別編として、妹の誰からとはいえない、手紙の体裁の短いエピローグが掲載され、妹12名の姿が描かれ、そしてその次の号で原作者2名の“お別れの言葉”が掲載され、この連載「シスタープリンセス」は完全に終了した。

 なぜ終了したのか、については諸説がある。
 曰く、原作者がもはや飽きた。あるいはネタが尽きた。
 曰く、一つの連載に雑誌が影響されすぎることを編集部が嫌った。
 曰く、ゲームもアニメも期待したほど売れなくなっていた割には金が かかりすぎていた。
 しかし、これも真相はわからない。

 連載終了が判明したときの世間の「兄」たちの嘆きはある意味、見物であった。
 ネットワーク上の掲示板では、鬱な兄たちのぼやきが数週間にわたって延々と続いた。あまりに落ち込んで精神の不安定化や自殺をほのめかした書き込みまで複数見受けられたほどである。

 これは、ある一群の人々にとって「作品」というよりも、自らが依拠する 一つの「世界」だったのだ。

 実のところ、この段階ですら、連載雑誌におけるこの作品の影響は強く、 雑誌登場キャラクターの人気投票ではこの『シスタープリンセス』の キャラクターたちが上位を独占し、人気ゲームにおいてもそれまでに発売 された3種のゲームが上位を占めていた。

 しかしながら、メディアワークスの撤退ぶりはある意味徹底していた。
「シスタープリンセス企画」の復活はありえないと引導を渡し、あっさりと 次なる企画群に移動したのである。

 2003年冬現在、まだいくつかの終末処理を残しているが、少なくとも、 もう未来への展開はない。
 この作品は終わったのだ。


 この作品の「物語的な性質」については、いくつかのサイトや掲示板 などで既に長い間語られて続けているため、ここでは詳しくは述べない。

 たとえば「兄と妹」という関係上、他人にくらべて限り無く近い位置から スタートしつつ、それでいて決してゴールにたどり着けない関係にある、と いう指摘がある。
 この場合、物語として、互いを愛する兄と妹はその無限小の空間に いつまでもいつまでも留まらざるを得ない。あえて言ってしまえば「未来の ない閉息した世界」のなかで、永遠に時間の進行を停止させているのだ。

 しかし、ある意味ではこの関係は「究極の幼馴染み」であり、また古の昔から 延々と物語的にも存続し続けているタイプのお話でもある。時間の停止現象は 他でもないあの「国民的アニメーション」において顕著でもあるわけで、この 「シスタープリンセス」だけの特徴ではない。
 したがって、こうした側面は物語的に語られることはあっても「この作品の 際立った特徴」ではないと考えられる。

 それでは、この作品群の最大の特徴は何だったのか。

 私は「悪意の不在」であると考えている。

 兄と妹の間が強い愛情で結ばれているのは大前提であるとして、それ以外の人 間達、例えば妹たち同士の間においても、悪意や嫉妬、蔑視といったネガティブ な感情がまったく存在していない。

 妹が12人ということは、妹の視点からみれば「姉」「妹」が計12名いることに なるが、彼女らにおける上下関係すら存在しない。12名はあくまで兄の前で平等 な立場であり「姉だから」「妹だから」といった差別は存在しない。

 互いは「ちゃん」つきの名前で呼び合い、その点に年齢による相違はない。 ときおり保護が必要となるもっとも小さな妹を、姉達が迎えに行くという描写も あるがその程度のである。「姉」的ふるまいを示す以上に「兄に対する妹」的な 振る舞いの描写がはるかに多いため、「姉」としての特質は決して目立つこと がない。
 描写としては、妹として兄を独占したいという欲求は存在する。だが、それが 他の妹たちに対する嫉妬に変わることはない。病弱な妹は、自分が普段兄と一緒 にいられないことに悲しい想いをし、「元気なほかの妹はいつも兄に会っているのではないか」と思うが、そうしたネガティブな思考をすぐに否定する。

 稀に、周辺のサブキャラクターによってなんらかの悪意的「ふり」が見られる ことはあっても、それは極めてわずかなものであり、最終的には解決されてしまう。

 第1テレビシリーズにおいては、兄の親友である男が、実は主人公を島から追 い出すために様々な工作を施した。しかし、その理由はあくまで主人公に対する友情で あり、悪意ではない。その親友の妹も、最初は主人公を蔑視していたが、次第にむしろ 「兄を信頼する妹」として主人公に接するようになる。

 そもそも、番組開始当初、主人公に対して向けられたひどい仕打ちにしても実 は「じいや」とその周辺の使用人達が主人公の成長を願って仕掛けた「トゥルーマン ショー」であった。

 さまざまなメディアバリエーションを持つこの「シスタープリンセス」で あるがしかし、どの作品においても、この「悪意の不在」は共通している。

 こうした「悪意の不在」世界において、我々はどうなるのか。

 人間は入力に対して出力を行うことで世界に働きかける。その入力がいかなる ものであれ、その入力情報を処理する過程において、なんらかの影響がある。

 ひたすらの善意にさらされ続けた人間は、最初のうちはそれに違和感を憶える であろう。それは、我々のふだんの生活にはありえないないものだからである。 善意と悪意と無関心とがせめぎあう我々の現実世界において、表向きの善意だけを 注いでくる相手は、むしろ警戒すべき相手ですらある。

 しかし、それに慣れはじめた瞬間、当たり前のように貼られていた 各種の心的防衛システムが取り払われる。周囲の環境が安全であることが 経験的に確認され、もはやそうした防衛システムを働かせる必要がない ためである。

 この世界では誰もあなたを傷付けない。
 もう心に刺を生やしたり、固い殻で被ったりする必要はない。
 恐れることはない。
 悪人など、どこにもいないのだから。
 そして、安心してよい。
 この世界では「妹」があなたを愛してくれる。
「妹だから」という、ただそれだけの理由で。
 あなたも妹を愛しても良いのだ。
「兄だから」という、ただそれだけの理由で。
 そして、妹は全身全霊でその愛情に応えてくれる。

この構造が、非常に怪しい(あるいは表向きそれほど怪しくない) 「別ななにか」に似ている、と感じたあなたは正しい。それが何にせよ、 本質的構造は同じだからだ。

 悪意は、その極限において、相手を完全に否定して殺して亡き者にしてしまう ことができる。その意味で、悪意という概念は底が見える。一方、善意には上限 がない。 いかなる行為、愛情、思いやりを示しても、そこには「これで終り」ということ はない。

 さらに言ってしまえば、食欲は食べれば満たされる。睡眠欲はよく眠ればそれ で解決する。性欲すら、行為に及べば欲求は解消されるものだ。しかし“萌え” には解消される行為や対象がない。ポジティブな心的状態は、ただそれだけの ために存在する。
 脳内麻薬はひたすら分泌を続ける。きりがない。
 それだけに危険である。

 これは「依存」を誘発する条件を満たしている。
「シスプリは麻薬だ」とはよくネット上で聞く台詞であるが、この台詞は この作品の性質を端的にあらわしている。

 そう。
「読む麻薬」
 これが「シスタープリンセス」という作品の性質を示す言葉なのである。
 外見性質ともにまったく異なっている十二人の妹キャラクターも、激しく 奇妙に思える兄に対するてんでばらばらな呼称も、よくよく眺めると実は 不条理極まりない歪んだ世界設定も、すべてはこの効果を出すためのシステム の一部分に過ぎない。

 大袈裟なことを言っていると思われるかもしれない。しかし、あらゆる エンターテイメントの根底には、この「麻薬成分」が少なからず含まれている とみてよい。実際に薬物を体内に摂取するのではなく、情報を用いて体内に 幸福物質を生成せしめる「情報的構造」。それが、文学からマンガやゲーム、 音楽や演劇からスポーツ、ギャンブル、果ては恋愛やセックスや宗教的法悦に 至るまで、古今東西のあらゆるエンターテイメントに通じる共通部分を 構成している。
 そして、この「シスタープリンセス」という作品群においては、その 「情報構造体」による脳内物質の精製純度は類を見ないほど高いように思える。

 これが「天広と公野」という天才二人が偶然に集合して出来上がったもの なのか、それとも、メディアワークスという会社の恐ろしいシステムによって 隅々まで計算され尽くして世に放たれたものなのか、私にはよくわからない。
 万一、それが後者であったとしたら、社会的にみて非常に危険な技術である とすら言える。
 私は、それが偶然であることを祈っている。


 もしもあなたの最近の人生に刺激が少なく、なにか新鮮な驚きを探して 彷徨っているのなら、中古ゲーム屋に出向いてみるといい。そこに 「シスタープリンセス」という名前のついたゲームがあったら、試しに 購入してみるのもいいかもしれない。たいした値段ではないはずだ。 プラットホームはどこの御家庭にもありそうなPlayStationだし、問題はない。
 なに、ちょっとした遊びなのだ。彼女にも親にも「しゃれだよ、しゃれ」と 笑って話せばいい。妹が12人なんて、どんなバカなゲームなんだろうって、 気になってね、と。
 さあ、あとは箱を開けて、メディアを取り出して、電源を入れた PlayStationの蓋の中にしまって、リセットスイッチを押す。それだけだ。
 極楽は、意外に身近なところにその顎を開いているものだとわかるだろう。

 その一週間後、部屋の中で君がどうなっているのか、私には想像できる。
 なぜなら、私も同じことを体験したからだ。

 その時には、君も「こちら側」の住人だ。

『どこにも存在しない十二人の妹達』と一緒に暮らす「夢の世界」に、 ようこそ。


<完>

初出 本稿(2003/12/19)

おまけ
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