あるとき,私が運営する大学のサークル関連の掲示板に「ちょうど300を踏み
ました.“すけぶ”をやってください」という書き込みがあった.私はその耳慣
れない言葉に対して,違和感を覚えた.
「すけぶ」
一体何だろう.何なのだろう.
しかし,私以外のメンバーから,この言葉に対する疑義は挟まれなかった.
「300を踏む」という表現については私にも理解できる.掲示板に設けてある
カウンターの数で,ちょうどぴったりの番号を取った,という意味だろう.何と
なくめでたい事態であることは私も共感できる.
しかし,“すけぶ”である.
ほかでもない,“すけぶ”なのである.
理解できない.
かれらはあたり前のようにこの言葉を使うのだ.
彼らの世代には常識なのだ.
そうか.そうだったのか.
我,老いたり.
突然自分の前にぽっかりと空いた穴のようなものを自覚する.
しかし,このままで終るわけにもいかぬ.
意地でもこの言葉の意味を推論し,多少の無理は承知のうえで若い世代についていかねばならぬ.
「すけぶとはなんだ」
私は考えた.
必死に考えた.知力の限りをつくし,あらゆることを考えた.
私の思惟はどこまでも果てしなく漂流していった.
「すけぶ...きっと何かの省略語に違いない...問題はどこで切るかだ
が...ここはオーソドックスに“すけ”と“ぶ”に分けられると考えるべきだ
ろう.“すけ”は...うーむ,“スケボー”とかそういうものなのか...し
かし一般的に考えてみるとどうして掲示板にスケボーが出て来るのか理解しにく
い...だいたいスケボーという言葉自体が既に“スケートボード”の省略形な
のだから,それをさらに略すというのも何か妙な感じだ...“スケベ”っての
も突然過ぎて何かおかしい.わからないので“ぶ”に行こう...う,もっとわ
からん...“高木ブー”というのもありそうだが,いや,やっぱりいきなり高
木ブーはないよな,高木は...
まて,文脈から考えてみろ.「カウンターが300を踏んで,それで“すけぶ”を
やってもらう」とあるな.つまり,“すけぶ”とは何らかの身体的行為な
のか...しかもちょうど300を踏んだときにやる行為なわけなので,きっと祝
い事のような行為に違いない.しかし,Webのページ上でやる「行為」とはなん
だ? しかも「誰かにやってもらう」とあるぞ.祝われる人が自分自身で行うべき
行為ではないのだ...あくまで祝われる人間は受け身であって積極的にその行
為の関与してはいけない,という暗黙の了解があるのだと考えてよいのだろ
う...しかしその“誰か”は単数なのだろうか,それとも複数も許されるもの
なのだろうか...複数が許されるのだとしたら,Webの掲示板上で複数が一斉
に“すけぶ”を行う,という構図になるのだろうか...しかも祝われる相手一
人に向けて...サッカーの観客がよくやるウェーブのようなものではないだろ
うか...しかし掲示板上でウェーブというのも想像しにくい...ウェーブっ
て別に祝い事じゃないしな...喜びの踊りを踊るとか,そういうものなのだろ
うか...しかし私がここで踊ってもたぶん誰にもみえないだろう...そもそ
も,喜びの踊りであればその当人が踊るのが妥当と考えるべきだ...
まて,省略形が“す”と“けぶ”だったらどうだろう...す...「巣」な
のだろうか...いや,「酢」かもしれないな...さすがに一文字だけではなんと
も判断しがたい...仕方ない,“けぶ”に行こう...な,なんなんだ,“け
ぶ”って...ケブール人...いや,あれはケムール人だった.間違えちゃ
いかん,間違えちゃ...まさか“ケブラー繊維”の略...いや,いくらなん
でも無茶苦茶な略だろう...ケブラー総統...いや,なんか違うな.強うそ
うだけど,たぶんこの件とは無関係だ.だいたいデスラー総統だよな.そういえ
ば.ぜんぜん関係ないじゃん.ラーしかあってないし.
しかし,まて,“ケブラー繊維で作ってある巣”
だったら,一応意味は通るな...そうだ,“ケブラー繊維の酢の物”よりずい
ぶんましだ...だいたいケブラー繊維って食えないだろう...食ったことな
いからよくわからないけど,ああいう類のものはたぶん食えないと考えて問題は
ないんじゃないのか...
そうか,“ケブラー繊維でできている鳥の巣”なのか.そうなのか.だが待て,
それならむしろ“ケブス”になるのではないだろうか.それとも“ジャズ”を
“ズージャ”と呼ぶような,あの業界独特の対置の隠語表現が適用されていると
いう可能性も考慮したほうがいいだろう.なんとなく業界に近いっぽいしな...
いや,正直なんの業界なのかよくわからないが...
しかし,ケブラー繊維でできている鳥の巣って,どんななんだろうなあ...
いや,もしかしたらクモの巣かもしれないなあ...どっちにしても頑丈そうだ
よなあ...クモなんて,毎朝毎朝巣を張り直す必要もなくなって,便利かもし
れないなあ...鳥だって,壊れない巣があったら毎年そこを使うかもしれない
よな.きっと楽でいい...でもクモの巣だったら,頭に引っ掛かるとやぶれな
くて大変だよなあ...引っ張っても引っ張っても取れないし,いっそのこと,
それを利用して,その頑丈なクモの巣を採集して霞網にしたり海で魚取ったりで
きるよな...なんか便利そうな巣だな...そういうクモを繁殖させて,クモ
の巣を採集するっていう産業も成り立つかもしれないな...だって蚕を養うの
だって似たようなものだろうし...結構需要はあるんじゃないかなあ...
...
ちょっと待て.いいか,冷静になるんだ.そもそも文脈から考えるんじゃ
なかったのか.文脈から導いた結論であるところの祝いのウェーブ踊り
と,文字で導いた頑丈なクモの巣の間には,ずいぶんなギャップがあるような気
がするぞ.どっちがいいとかいう問題じゃないんじゃないかな...いや,ただ
の危惧なら良いのだが...念のため,いろいろ今まで出て来たものを
まとめて,大まかな方向ベクトルだけでも示しておく必要があるようだな...
まとめて見よう.まず,信憑性の高いものから.えーと,とりあえずケブラー
繊維だよな.これは手堅いだろう.まず間違いない.で,これが巣を作っている,と.
なんの巣かよくわからないけど,まあ鳥で行こうか.で,その鳥の巣がどうなる
かだが...ここでやはり“祝いのウェーブ踊り”を持って来るべきだろう.ケ
ブラー繊維の巣を手に持って,ウェーブみたいにみんなで踊るんだろうな...
でもみんなでって,誰が...もしかして...高木ブー.........そ
うかな,さすがに自信ないなあ...まあいいか,一応ここには仮に高木を入れ
ておこう.でも高木一人じゃウェーブにならないよな...たくさんの高木...ってわけにはいかないよな.高木ブーって個人だし.じゃ,ついでだか
らドリフターズ全員でやってもらおう.ああ,なんだか少し楽しそうな光景になっ
てきたな.
そこで注意しなくてはいけないのは,もちろん「祝われる当人は自分で行って
はいけない」という点だろう.つまり,きっと誰が対象であっても,高木ブーを
始めとするドリフターズがそれを世の中で常に担当する,ということを意味する
のだろう.そうでないと今ひとつ文脈が成立しない.そして,その踊りはWebの
掲示板上で表現されることになるのだろう.でも,あくまでテキスト主体の情報
交換メディアである掲示板なのだから,おそらく各自がコンピュータ端末の前で
巣を持って踊るのを,対象者は直接見ることはできない.あくまで想像するだけ
でしかないのだろう.かなり困難なイベントではあるが,しかし遂行不可能では
なさそうだ.
ちょっと待て.もし高木ブー当人が“すけぶ”の対象だったらどうなるんだ.これ
じゃ困るじゃないか.すけぶを踊るのは高木だが,祝われるのも高木,という事
態は「祝われる当人は自分で行ってはいけない」というテーゼに反するはずだ.
ああ,こういうときはどうすれば...いや,だから高木なのか.そうか,だから高木
ブーでいいんだ.そうか,そうだったのか.世間的に見て,高木を祝うというイ
ベント事象は極めて希にしか出現しないので,ほとんど出現確率として無視して
いいんだ.そうか.他のメンバーではなく,高木である理由がそこにあったのか.
それゆえの高木だったんだ.そうか,やっとわかってきた.
まとまってきたぞ.
よし,つまりこういうことだ.“すけぶ”とは,なにか記念すべき事柄が生じ
たときに,高木ブーをメインとする他のドリフターズのメンバー達が,彼らの端
末の前で,ケブラー繊維で出来た何らかの生物の巣を持ちながら,あるいは被り
ながらかもしれないが,ウェーブのような踊りをして祝う,ということなのだ.
しかし祝われる当人はそれを見ることはできず,あくまでその光景を想像するこ
とで栄誉となす,というイベントに違いない.
解明した.
多少の誤差はあるだろうが,方向的には正しいだろう.
まだ多少気になることはあるが...
そもそも高木は,あらゆる掲示板で行われるこうしたすけぶイベントをどうし
て知ることができるのだろうか...あと,ケブラー繊維の巣って,簡単に手に
入るのかな...まあ一つ手に入れれば減るものではなさそうだが...鳥とか
クモに作ってもらうのは大変そうだし...踊りの振りつけとかも,公式なもの
があるんだろうか.それともあくまで高木独自のものであるべきなのか...し
かし,なんで振りつけの人って,ラッキー池田とか,パパイヤ鈴木とか,そうい
う楽しそうな名前をつけるんだろう...暗黒舞踏の人とかもそうなのか...
ものすごく暗くて恐そうな振りつけをする人が“プリン山田”とかだったらちょっ
とうれしいかも...いや,本当に自分はうれしいのだろうか...いや,しか
し今はそういうことを考えている場合ではないのかもしれないな.世界的なグロー
バルな視点が必要とされる昨今なのだから,パパイヤとかそういうことに振り回
されるようでは修行が足りないのだろう.
あれ,ちょっと待てよ.
なにか気になるな.
たしか掲示板では,それを書いた人は,“俺に向かって”すけぶをやってく
れ,って言ってたよな.そういえば.俺に...
...
ま,まさか.
そうか.
そうだったのか.
気がつかなかったよ.今の今まで.
まさか,信じられないが,そうとしか解釈でないではないか.
だって,そうだろう.
他でもない,俺にやれって言ってるんだから.
そうなんだ.
やっとわかったよ.みんな...
...
つまり,
俺が高木ブーだったのか!!!」
このようにして“すけぶ”の意味は解明され,論理的な帰結から,私が知らな
かった私自身の意外な正体もまた明らかになった.
あるうららかな春の日の午後のことでした.
<完>
初出 静岡大学SF研究会 浜松支部掲示板 2001/02/28
改稿 本稿 2001/04/19