ふつうは,前略,なんとか様,なんてこと書くのかね。あたしは手紙なんて書いたことないし,だいたいあんたにあらためて手紙なんて書くのも妙に照れるんだよ。
いやあ,この前は悪かった。呼び出しておいてすっぽかすなんて,ひどいもんだと思っただろ。それとも,ものわすれのひどいあたしなんで,またいつもの「ぽか」がでただろうなんて考えて,笑ってくれたかもしれないね。もしそうだったらあたしはうれしいな。あんただったらきっとそうだ,って思いたいよ。あんたは優しいから。あたしは変人で通ってたし,人の名前も場所も物も約束もおぼえられないし。そうさ,本当に物覚えが悪いんだ。あたしは。
とりあえず悪かったとは思ってるけど,いちおう言い訳させてもらうよ。なんというのか,めんどうなことがいくつかあってね。説明が難しいんだ。なんたって手紙なんてろくに書いたことないから,事情がただでさえこみいっているのが,よけいわからなくなるかもしれない。いつもあんたに話しているように書いていけばなんとかなるかもしれないと思って書いているけど,これってどうなんだろう。読みやすいんだろうか。まあ,あたしもがんばって書いてみるから,あんたもつきあってよ。
つまり,こんなことなんだ。あんたも眠ると夢を見るだろう。いや,いきなりなんの話かなんて思うかもしれないけど,ともかく夢の話なんだ。こういう順序で始めるのが,一番自然かな,って思ったんでね。
あたしたちが見る夢にはいろんな夢がある。でね,あたしはがきのころからちょっと変った夢を見ることがあった。それもなんていったらいいのか,そう,リアルな夢。たとえば,きのうの生活をそのまま繰り返す夢とか,3年くらい昔の状態に自分がもどっている夢とか,そんなもの。まあ,たわいもないといえばたわいもないものなんだけど。
ガキの頃さ,ちょうど10才くらいかな,そんな夢をやっぱり見たんだ。やっぱりその時から3年くらい昔の,そんな自分にもどった,タイムマシンみたいな夢。で,ここがかんじんなんだけど,その時,どっかから声が聞こえてきたんだ。「お前はこれまでの人生でやり直したいことがあるか」ってね。誰の声だった,なんて聞かないでほしいな。あたしにもわからないんだから。
それで,あたしは夢の中でなんとなく考えた。確かに後悔していることはいろいろあった。子供は子供なりにいろいろとどろどろしていたからね。それでぼんやりと考えてみて,なにをどうしようか,と思ったんだ。でもその時に気がついたことがあった。今のあたしは,そういった失敗の上にできあがっているんであって,失敗も別にむだじゃないんじゃない,ってね。だからやり直したいことがあっても,やり直しちゃだめなんで,そうなると,今のところこのままでいい,って気になったわけ。子供にしちゃ上出来だと思わない。ともかくそのときはそう思ったもんだから,あたしは「別に何もない」って答えた。そこで目がさめた。
そのときはまあいいかなあ,と思った。で,その話をなんの気なしに,あたしのそのときのお友達にしたのよ。変な夢でしょう,ってね。そうしたら,彼女は泣きそうな顔をするじゃない。彼女がいうのは,自分だったら,死んじまった父ちゃんを生き返らせてもらうのに,っていうの。その子は3年くらい前に父親を事故で亡くしていて,けっこうつらい思いをしてきてた。だから本気でそう思ったんだろうね。
そこで気がついたのは,あたしは自分のことだけ考えていたんだけど,それじゃだめ,ってこと。やり直しができるのは自分だけじゃないかもしれない。他の人を助けることができたのかもしれない。たかが夢の話なんだけど,そのときは子供なり真剣に考えたもんよ。
ところが,まだ続きがあるんだ。
しばらくして,また同じような夢を見たんだ。3年くらい前の自分にもどって生活している夢。そうしてまたあの同じ声が聞こえてきた。
「やりなおしたいことはないか。」
あの子の父親のことがあったから,今度はあたしは『ある』と答えた。すると,あたしは不思議なことに,その夢の中で自由に行動できたんだ。ほんと,現実とぜんぜん変らないみたいに,歩いて話をしてごはんを食べられた。そこであたしは,その子のお父さんが亡くなった事故の現場の近所に前もってついていて,その人が歩いてくる前でころんでみせた。その人はあわてたね。あたしは足をひきずっていたし泣きまねをしていた。あたしを病院につれていこうとしてタクシーをよんでくれた。タクシーにのってしばらくすると,交差点の歩道に車がつっこんでひしゃげているのが見えてきた。幸いにけが人はいなかったみたいだった。本当ならその人をはねとばしている車だよ。タクシーはその交差点を通りすぎて,なにごともおこらなかった。そんなところで目がさめた。
まあ,そんなもん。たかが夢なんだけど,変な現実感みたいなのがあって,不思議だったね。でも,本当の問題はそこからはじまった。
しばらくして,前にその夢の話をした子に会ったんだ。それで,またみた夢の話をすると,今度は妙な顔をするんだよ。自分はお父さんが死んだなんてことはない,きちんと生きてるんだ,っていうのさ。そんなばかな。あたしは言い張った。あんたは確かに死んだって言ったことがある。みんなだってそう知っているはずだ。でも,不思議だった。その子のお父さんが死んだのはみんな知っていたはずのことなのに,誰も知らないんだ。あたしが聞いても変な顔をするだけ。あたしは驚いて,その子のうちに出かけたよ。むかし遊びに行ったことがあって,あの黒い大きな仏壇を覚えているからね。まさかあれがまちがいだったなんてことはないだろう,と思ったんだ。
ところが,驚いた。そんなものはどこにもなかった。あたしはそれでも確かめたくて,その子のお父さんが帰ってくる時まで待っていた。そうして帰ってきた人をみて,確かにその子のお父さんだったとわかったときのあたしの驚きったらなかったね。本当に生きてる。うそじゃなかった。おまけにそのお父さんはこう言った。3年くらい前に君を病院につれて行ったことがあるけれど,覚えているか,って。あたしは足をくじいて歩けなかったのでタクシーを呼んだんだそうだ。
あれは夢だったはず。でも,みんな夢の通りのことを本当のことだと思ってる。というのか,夢が現実とすり替わってた。
でも,悪いことじゃなかった。とりあえずあの子のお父ちゃんは生きているわけだし,要はあたしのかんちがい,ですめばそれでいい。問題はなかった。ほんのささいな点を除いては。
ささいな点なんだ。たいしたことない。つまり,その子の父親を助けたことが原因だろうと思うんだけど,あたしから見た世の中がその時点からほんのすこし,変ってきていたんだ。なに,ほんのすこしのことだから,たいしたことじゃない。でも,あたしが今まで覚えてたことと,ちょっとづつ違うことがあらわれはじめた。ほとんど同じようなものなんだけど,建物のこまかい部分の形がすこし変っていたり,友達の電話番号がちょっとづつちがっていたり,毎日の生活の中の,ごく一部分だけが変っていった。でも矛盾しているのはあたしの頭の中だけだし,おまけにそういう状態じゃ,その昔のことのほうが夢みたいだ。当然学校の勉強もすこしづつあたしの習ったこととずれていったし,もともとできのいい方でもなかったから,あっというまにわからなくなった。もっとも,もともとろくに勉強なんかしていなかったんだし,これは言い訳かな。
まあ,それはともかく,あたしはそんな夢を何回も見た。そうしていろいろなことを『なかったこと』にしていった。大きくなったあたしは,いろいろなことを知るにつれて,あたしが直さなきゃならないことがずいぶんたくさんあることに気がついてしまった。まいったよ。ほんとに。そのむかし起こった「起こらなければよかったこと」のリストを作ってみたら,何とまあ,あたしの手にはおえないことがよくわかったから。だいたいそういうことが起きるってわかってたって,いったいどうやってそれを防げばいいっていうのよ。あの子の父親を助けられたのはたまたま運が良すぎただけ。他のことがそんなにうまくいくはずないじゃない。ほかのことも何回かためしてみたけど,無理なものは無理なのよ。おまけになにかをなかったことにするたびに,あたしの周りの世界がちょっとづつおかしくなっていく。
わかってくれたかい。あたしが物覚えが悪いのがなぜなのか。あたしが忘れるんじゃない。世界のほうが変ってしまっているんだ。あたしにとっては昔はごくあたりまえだったことすらも,どんどん新しく変化していってしまう。あたしじゃなくたって,ちょっとついていけないよ。
どうもあたしみたいな夢を見る人は他にもいるらしくて,その人はなんとまあ,あの昔の戦争で,この国に落ちた大型爆弾をたったの2発にまで減らすことができたんだって。本当なら何十発と落ちていたのが本来の世界だったんだってさ。あたしもあんまり良くわかんないんだけどね。そんな人もいることはいたらしいけど,ともかくあたしの手におえるのはほんとに限られたことだけで,それもたいていどうしようもないことだった。
そんなわけで,あたしは一時期はそんな夢をまるで気にしなくなって,のんびりとくらしていたわけ。でもね,なかなかそうはいかなくなってきた。やっぱり,身近な人のことになると,なんとかしてあげたいと思う時が多くなる。それで,しばらくしていると例の夢を見る。それで,そこでなんとかかなしいことや不幸なことを防いで,またあたしはものわすれをする,ということになってきた。
夢の中では,だいたい3年くらい前にもどる,ということが多かった。どんなに前のできごとでも,それ以上は逆もどりできなかったみたい。でも,ことによってはそれより前のできごとに手を加えなくちゃならないこともあった。そういうときはどうすればよかったと思う。ちょっと考えてみてほしいな。あたしは夢の中でもほとんど同じように生活していた。そう。ってことは,そこでもあたしは夜になると眠るのよ。そうしてまた夢を見る。夢の中でまた3年間分だけむかしにもどる。その夢の中でまた問題がでてきて,もっとむかしにもどらなきゃならない時は,またその夢の中で眠る。そんなことを繰り返す。あたしは一度,自分の生まれたあたりのところまでもどったこともある。たいへんよ。むかしになるほど子供なんだから,何かしようたってできたもんじゃない。おまけに,どんどん深くなっていくとなにが何だかわからなくなってきて,そもそもあたしがなにをするためにこんなふうになっているのかもわからなくなってきた。
そのうち,あたしはいったい自分がどの夢のどの段階にもどってきたのか,本当にわからなくなってきた。自分の周りの世界はどんどん変っていくし,あたしが覚えていることがまるで役に立たなくなっていく。そもそもの目的もその意味をもっているのかどうかがわからなくなってしまった。かんべんしてほしかった。なるべくこんなめんどうなことはしたくないんだけど,その夢の中は夢の中なりに,また困ったことがいろいろ起きる。夢っていってもあたしにとっては現実と同じだし,そこが夢なのかそうでないのかの判断もよくわからなくなったあたしには,どうしようもなくなってしまった。そもそも一番はじめに自分がいたあの「現実」っていうところが,本当に『それ』だったのかもわからないような気がしてきた。でも,そんなことはもうどうでもいい。ともかく一度はじめてしまったからには,最後までやり通さなくちゃいけない。それだけを考え続けて,いろいろとやってきた。あたしなりにね。
それであるとき,あたしはその夢の中で,ちょっと気になる男がでてきた。夢の中で,だよ。笑ってくれてもいい。でも,それなりにあたしは本気だったし,できればこの夢はこのままでいたいなあ,などと思った。本当だよ。照れちゃうけどね。
ところがある時,その彼が,その夢の世界で事故で死んでしまったわけよ。これは困った。そこで,あたしはまたその夢の中で,昔にもどってそいつを助けてみた。で,目がさめてみると,どうもあたしが助けたことが原因になっているらしいんだけど,そいつはどうも別の女ができちまうんだ。まいったね。あたしのことなんか,知りもしない。
そうなんだよ。
あたしのこと,おぼえてるかい?
そうだろう,あたしの名前なんか,あんたおぼえてないだろう?
くやしいね。ほんとに。なんのために助けたのかわからないよ。
そりゃ、もういちど夢に潜ってあんたとあの女が会うのを邪魔すればそれでいいんだろうけど、それじゃなんだかねえ、ってあたしもやっぱり思うわけ。悔しいけど、あたしと違ってあんた達お似合いだし、とっても幸せそうだし、いろいろ考えてみてこれが一番いいような気がしてね。
それでもいろいろと手を回してなんとかあんたを呼びだしてはみたものの,あたしのこと知らないんじゃ話にもならないし,いまさら会ってみたところでどうにもできないことでしょ。だから,あたしは遠くからあんたを眺めていた。そう,あのときあたしは別に忘れてたわけじゃなかった。その場所にもいたことはいた。でも,あんたに声がかけられなかった。あんたが元気なら,あたしはそれでよかった。それで,あんたがいつもの通り30分きっかり待って帰ったのをみて,あたしも帰ったんだ。あんたはぜんぜん変ってなかった。
悪かったかな,と思ってこんな手紙を書いたんだけど,それもなんだかばかみたいさね。あんたにしてみれば,ぜんぜん見も知らない女からこんな一方的に呼びだしを受けて,すっぽかされて,おまけにおかしな手紙までうけとった。これじゃ,気味が悪くてこまるだろうね。だから,この手紙は出さないほうがいいんだろう。
どうしようかと思ったけど,とりあえずポストのところまでいって,左足でたどりついたら出してみる,右足でたどりついたら横のごみ箱になげこむ,ということにしておくよ。あんたに手紙がついてももう会うこともないだろうし,ごみ箱に捨てた場合にはこの手紙はあたしのひとりごとになる。どっちにしてもあたしにとっては大差ないのかもしれない。
実をいうと、あんたのことを気にしている余裕がないほど大変なことに巻込まれていて、って言うのか、あんたを巻き込んじゃいけないようなことに巻込まれていて、そのおかげで近々また別の夢に潜ることになりそうだよ。今度はずいぶん深く潜らなくちゃならないみたいなんで,もしかしていつかここに戻ってこれたとしても,きっと世界もぜんぜん変ってしまうだろうね。
こういうときには草々,とか書くのかね。まあいいや,もう会わないだろうし。元気で。
じゃ,さよなら。
<完>
初出 OBHotline2 1993?
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