参加日時:2007/09/01(Sat)-09/02(Sun)
場所:パシフィコ横浜
前日まで迷っていた。
前の週の土日は休みのようで休みではなく、内実は報告義務のある
公務にいそしんでいた。休暇はなかった。
なので疲れがたまっている。そんな状態で遊びに出ることは自分の
体力ではかなりつらい。
が、しかし、ワールドコンが日本で行われることなど、もしかしたら
自分が生きている間二度とないことかもしれない。この機会を逃したら
一生後悔することになるかもしれないと思った。
一応半端ではあるがSF者である。行かないで後悔するよりも、行って後悔
すべし、と覚悟を決めた。ついでに新幹線代と参加費用などなど、合計
六万円也の出費も相応に覚悟を決めた。
実は興奮していたのか、なぜかほとんど眠れずに6時過ぎに起き出し、
ともかくPCを起動させて新幹線の時間と簡易宿の状況を確認する。よく
わからないけど、ここは日本だし何とかなるのだろ、といういつもの
ノリで着替えと財布とSFマガジンだけ持って出発する。
バスと新幹線で新横浜へ。車中ではSFマガジンで企画の確認をする
が、いろいろあってよくわからない。
新横浜について、みなとみらい線の乗り継ぎ表示がわからず10分のロス。
実はこれが後でわりと痛かった。
なんとか駅から会場に向かう。エスカレータを乗り継いで乗り継いで、目的地
らしきところに進んでいく。駅からの道のりが、まるで未来都市の内部のようだ
と思った。途上で首から何かをぶら下げた外人の群れとすれ違う。もしかしたら
あれか、と内心個人的に盛り上がる。
会場入り口で登録していない人はA会場のほうへ、という誘導があった。
アレがなければわからなかっただろうからありがたかった。
A会場に出向いて降りていくとすでに列が長々と続いている。仕方なく、
杖代わりのトランクに座って、やはりSFマガジンを読む。
座りながらじわじわと進んで小一時間ほどで登録に成功。もう10分早くついて
いたらもう少しすばやくいけたのかもしれない。
その点、事前登録の人や横浜市民は実にあっさり流れていてお徳であった。
そのままA会場の一般展示場に出向いて絵や小松さんの展示などを眺める。
実にいろいろあって、それなりに楽しむ。ものすごく久しぶりに「さよなら
ジュピター」の予告編を眺める。「ビューティフルドリーマー」を見に行って
予告を見たとき以来ではないかと思う。それともあれは「幻魔大戦」だったか。
年はとるものだと実感しつつ、一通り回ってから本会場へ。
最初はそれと知らずに英語の部屋へ。物語を作るうえで、キャラクターと
環境の間の関係性はどのようなものなのか、というようなことを細かく
話していたようだ。
しかしとても疲れてしまい、以降は英語専門の企画は敬遠することとなる。
英語がもっと素直に扱えれば話は違うのだろうが、まあここは日本なので
手を抜かせていただく。
次に瀬名秀明さん司会の会場へ。
「サイエンスとサイエンスフィクションの最前線、そして未来へ!」
5時間にわたっての企画である。フュージョンファンとしては難波弘之さんの
コンサートも捨てがたいが、ここは自分の好奇心を優先する。
私でも名前を知っているような研究者たちやSF作家たちが壇上に並び
はてさて、何が始まるのだろうか。
何はさておいて、まずは小松左京さんの挨拶である。
もう車椅子で大変なご様子だが、しかし喋りはしっかりしている。少し
安心した。
ふと後ろのほうに黒い髪を後ろでとめた長い髪のメガネのやせた青年がいた。
「テッドチャンさんがいらしてます。前のほうにどうぞ」という瀬名さん
の声で、それが「あのテッドチャン」であることに気がついた(名前を書いた
紙を持っていたのはご愛嬌。いったい誰に持たされたんだろう?)。
なんだか外見は神林長平さんのようだと思った。
そして、この企画が実に面白い。
「ロボットとSF」
「脳と機械と人間」
といったテーマについて、ロボットや脳についての錚々たる研究者たちが、
最近の研究動向をプレゼンしてくれるのだ。なんとありがたい。
ロボットと脳と心理学とそしてSFと、という具合で、なんというか
まるで自分のために設けられた企画のようにすら感じられて大変楽しめた。
中でも、脳科学の倫理について、もっと考える必要があるという
点については共感できた。自分も20年ほど前の学生時代に電子的な
精神病治療の可能性を考えていたが、結局問題になるのは「その治療
行為は本当に正しいのか」という問題であり、そうなると「障害とは」
「治療とは」という定義の問題にもつながってくる。さらにことは
人間と社会との関わり方となり、このテーマは果てしなく広がっていく。
そうしたことをSFという観点から語ることができれば、また新しい
世界が広がるだろうと思った。
両耳の後ろに簡易電極をつけて人間をリモコン操作するデモも
なかなかリアルで面白かった。あれは自分でもできるんだろうか。
などと思いつつも、フレミング左手の法則でメイド姿のお姉さんに
コーヒーなどをもらいつつ、ずずずずとすすったりしていた。キリコの
飲むワールドコンのコーヒーは苦い。
かなりの長丁場ではあったが、ついぞ退屈することなく終えた。
瀬名さんの司会もうまいものだと感心する。
その後「ヒューゴー賞」の授与式へ。
これは、ファン投票によるその年一番の作品などを決定する儀式である。
多少遅くなって会場に入れなかったため、別の部屋で映像を観覧する
ことになった。見られるのであれば問題は何もない。
まずはウルトラマンと怪獣の着ぐるみによるショーで幕を開ける。
式はそれなりに整ったもので、司会は「宇宙大作戦のミスター加藤」こと
ジョージ・タケイさんと大森望さん。
マイクが事前打ち合わせと反対になっていたとはいえ、いろいろと
楽しく進んだ。
タケイさんご自身が英語も日本語もわかるので、この人選はうまい。
しかし、ヒューゴー賞ってのはとてもたくさんあるんだなあと感心した。
いささか疲れた気もしたが、しかしセレモニーというのはそういうものなのだ。
授与式を一通り終えた後で、最後になぜかタケイさんが壇上から一同に
バルカン式の挨拶(「長寿と繁栄を」)をして式を終えた。
まことにおめでたいことであると思った。
その後、金曜日から参加していた静大SF研のOBであるH君と夕食(大阪の名物
カレーが出張ってきている)をとり、その後一人でコーヒーを飲みながら
港の風にあたり、その後ふと目に留まったサウナ「万葉倶楽部」へ向かう。
会場から歩いていける近場で内容的にも悪くなかった。少し空いていてそれも
良かった。
サウナとしては値段的には実はそれほど安くないのだが(入ると2400円、午前
3時を過ぎるともう1600円デ、合計4000円となる)しかし移動がなくて楽が
できるのは大変よろしい。
適当に風呂に入り(足の裏が過敏になって痛い。石の床の滑り止めは足には
とてもつらい)少し早めに休憩室に向かいさっさと眠る。
翌朝、一風呂浴びつつ、屋上の露天風呂から朝の横浜の港の様子を眺める。
遠くに三枚羽の大きな発電風車が回っていたのが印象に残っている。遊園地も
この時間はまだ眠っている。
朝食バイキングをいそいそと摂取し、いささか時間をつぶした後におもむろに
会場に向かう。
ところが、どうも右足の腿の付け根が痛くてうまく動かない。どうやら昨日
歩いただけで身体にガタがきたらしい。困ったものだと思いながら
旅行ケースを杖代わりにゴロゴロと会場に向かう。
二日目の最初に、やはり静大SF研のOGのUさんと出会ったので
帰りに皆さんで飯でも食いましょう、ということで別れる。
昨日の反省から、できるだけ日本語の通じる部屋に行こうとする
弱い自分だが、仕方ないのだ。
ということで朝から「ハードSF」の部屋である。
小林泰三さんが実はハードSFを書きたかったが、マーケットの事情に
よってホラーを看板に掲げていたが、実はその後の市場の状況(パラサイト
イブなどが受けた)を考えると、それほど恐れる必要はなかった、と
いうことらしい。
「宇宙が出てくると編集者によってSFとみなされる」というのは面白かった。
とはいえ、横のほうからは「あれはイヤSF」だと突っ込まれていた。
堀さんや野尻さんなども面白いプレゼンをされ、とても楽しい2時間となった。
少し気になったのが、企画が始まる前に部屋の後ろ側で堀さんなどが
立ち話をしていたのを聞くともなしに聞いていたのだが、そのなかで
どこかの島が海面上昇のために島民全員の移住を計画しているとのこと。
「本当のD2ですね」というせりふが聞こえてきた。
あれはどこの島のことなんだろうか、と少し気になった。キリバスか
ナウルだろうか(と思って調べてみたらどうもキリバスらしい。10万人の
移住はとても大変なことだ。本当にどうすればいいのだろうか)。
午後一はお昼を食べてからSF教育の部屋。行ってみたら中国の北京師範大
でのSFの講義について解説していた。中国にもいろいろな作家が出現しつつ
あるとわかったが、しかし人口全体からはまだまだ少ない。今後が楽しみである。
川又千秋さんを生で見たのは昔からのファンとしてはうれしかった。
しかし、大変申し訳なかったのだが、今回の最大の目的である
「テッドチャンインタビュー」が次に始まるので、とりあえず
開始の10分前には部屋を出てしまう。
これが大変だった。
インタビューの会場に出向いてみたら、10分前だというのにすでに
ものすごい長蛇の列ができていた(こういう企画は全体の中では大変少ない)。
みんなテッドチャン好きなんだなあ。
いやはや、もう入れないだろうなあ、と思っていたら、機転を利かせた
企画の方が部屋の変更をしてくださったらしく、とりあえずなんとか
大きな部屋に移動し、無事に椅子に座ることができた。大変ありがたいことであった。
昨日偶然に目撃したとおりの、ロンゲを後ろで束ねたメガネのお兄ちゃん
である。
あらためてあれが昨今のSF界最強の作家か、とどことなく感心する。
冒頭に、
「私はアメリカでは人気がないので、これだけたくさんの人が来ているのに
驚いて緊張しています」
みたいな事を言っていたけど、いやいやさすがにそれはご謙遜というものでしょう。
そこから文字通りの意味での「あなたの人生の物語」を語ってもらう
こととなった。
十代初頭のころからSFを読み始めて、アシモフやクラークを読んでいた
という。どこの国でもある意味でよくあるパターンなのだろうと思う。
大学では物理とコンピュータサイエンスを両天秤にかけ、結局は
コンピュータのほうを取ったという。
意外なことに、彼は大学卒業までファンダムにはほとんど参加したことがなく、
卒業してから有名な創作教室で訓練を受けたらしい。とはいえ、その段階で
プロに作品が気に入られていたのだから、すでに相当の実力があったのだろう。
印象に残ったのは、いくつかの質問に対して、非常に慎重に言葉を選んで
沈黙の後に語りだしていたことだ。
彼は現在まだ少数の作品しか表に出してはいないわけだが、その理由の一端が
垣間見えた気がした。
気に入った納得できるアイディアが出てくるのも年に一回程度、それを
苦しんで苦しんで一つの作品に纏め上げるわけだ。それは時間もかかろうという
ものだ。しかし、その結果生まれてくる作品はどの一つをとっても宝石の
輝きを放つのだから、恐れ入るとしか言いようがない。
自分のように、同人誌の締め切りが来たので適当にうなって一本何とか
ひねり出すという体たらくとはずいぶん違う。
同じ生まれ年の人間として、いささかなんとも恥ずかしい気もするが、まあ
しかしそれは「相手は現在世界最強」なわけで、比べることそれ自体がおかしい。
1時間はあっという間に過ぎて行き、インタビューは終わった。
終わったあとも、部屋の横のロビーはサインやら写真やらを求める
人たちでいっぱいだった。すごいものだなあ、と感心する。
終了時間がなんとなく中途半端だったため、その後はとりあえず
アニメソングで有名な「串田アキラさん・渡辺宙明さんのトークショー&
ミニライブ」に途中参加で出向いてみた。
後ろのほうに陣取って、例のごとくかばんに座ってみたものの、どうも
映像もなく曲が流れているだけで、その後解説をする、という感じで
なんだか微妙だった。どうしたものか、と思いつつも、他に行くところもなく、
なんとなくそこにいた。
と、最後のほうになって串田さんが歌いだす。
これがすごかった。
あっという間に会場がうなり出し、盛り上がることはなはだしい。
自分はあまり昨今のアニメソングを聴かないが、しかしノリの良い曲が燃える
歌詞で歌われるとそれなりに楽しい。
串田さんも会場に降りてきて客席を回ってサービスしてくれるなど、楽しい
ライブとなった。
思えば最近コンサートなどはぜんぜん行っていないなあ、と思いつつ、自分も
適当に腕など振り上げて運動する。
それが終わると、今後は星雲賞の授与式。
昨夜のヒューゴー賞と似たような感じで進んでいく。
やや残念だったのは、日本のファン賞だったとはいえ、海外からのお客さんも
多かったわけで、通訳を入れることを意識して話をしてほしかった気がした。
どの演者も通訳を入れるタイミングをまったくはからずに延々と日本語
で話し続けていたため、通訳の方が最後の最後にすべてまとめて訳さざるを
得なくなっていたのが大変そうだった。
ああいうのは難しいものだと思った。失礼ではあるが、以後もって他山の石
とさせていただくこととしたい。
また、スライド資料がきちんと準備されていなかったりして(おそらく
発表のその場でほぼリアルタイムに作っていたようにみえた)なかなか運営も
大変な様子であった。
こちらもヒューゴー賞に負けず劣らずいろいろな賞があり、途中で柴野拓美
賞の授与などもあり、思っていたよりも長大なセレモニーとなった。
長編部門は「日本沈没 第二部」だったわけだが、しかし、小松さんが演壇で
おっしゃっていた「日本沈没 第三部」は本気なのかなあ。谷さん第二部の最後
でかなり先の未来まで描いちゃってますけど。さすがに冗談なのか。
終了し、ロビーで休み、その後に静大SF研究会関係者4名で夕飯を食べ、解散。
総じて「来てよかった」というご意見であった。
大きい大会だったので、企画が重なっていて思うようには回れなかったのは
多少残念だったが、しかしいい思い出になったことは確かだ。
新幹線で新横浜から浜松まで。疲れていたので先頭車両でほとんど眠ってすごす。
帰ってから数日は、なんだかまだ夢の国にいるような心持ちであった。
あれだけ多くの人たちが自分と同じSFファンなのだ。
世の中にはまだまだ「見知らぬ仲間」がいるのだなあ、と思った。
そうして、とりあえず忘れないうちにとこの文章を書いている。
自分が次にSF大会に行くのはいつのことになるだろうか。
<完>