KARTE10
空中楼閣
---- タイムナンバー 08時間16分03秒72
---- スキャニング、深層モード4から5へ移行。
オペレーションの最中である。
クライアントの人格を一つ一つ剥いで行くところ。
だがどういうわけだろう。
きりがない。どこまで行っても彼の真の姿にたどりつくことができない。
このクライアントは、最初は外部への反応が突然無くなった状態で担ぎこまれた。調べると、何かが脳の中に仕込まれているのがわかる。
すぐに判明する。エコーパターンだ。
心理技術者が表面的なカウンセリングで用いるガジェット。簡易AIのようなもの。意識表面に現れたクライアントの思考内容を、ちょっとしたフィルターを通して意識内へフィードバックしてやるだけのものだ。
そんなものが何に効くのか、という気もするかもしれない。それ自身は何もしない。ただ思考をこだまのように返すだけ。ところが不思議なもので、私のところにくるクライアントの大半は、これさえ使えば問題は解決してしまう。自分が何を考えているのか、何をしようとしているのか、それを自覚することで自己治療が可能となる。己の正確な認知がいかに重要かよくわかる。
このクライアントは誰か他の同業者の治療を受けている真っ最中だったことがわかった。しかし、これだけでは当面の問題は解決できない。
どうするべきか考えた。エコーパターンの解析をすれば、どこの誰のものか調べがつくだろう。その上でそちらに回すほうがよい。治療の方向が私とは違うかもしれないからだ。そうするべきだ。ただでさえ忙しいのだから、構わないだろう。
だがやはり気にはなった。同じ型のエコーパターンは、私も頻繁に用いている。それになんらかの欠陥があったとしたら、私も無関係ではないからだ。
そう考えてこの症状の解明にかかった。
クライアントの意識状況を探る。意外にもはっきりした覚醒状態にある。だが反応が外面に現れないのはなぜだ。 しばらく探り結論を得た。
このクライアントは、いわば他の現実の中に生きている状態にある。意識は彼の内部に向かって落ち込んでおり、外界からの感覚刺激は彼のもとへは届いていない。何かがそうさせている。
エコーパターン自体はそれ程芸の細かいものではない。ただタイムラグを持たせただけの単純な応答プログラムでしかない。恐らく別な要因が存在し、それとの相乗効果によるのだろう。では一体何かということになる。
そこでスキャナーにかかったのが記憶修正の痕跡だった。ここに因子が求められるのかもしれない。この男にも生活や家族があったはずだ。それを再構成してみようと考えた。そこで微かな修正痕跡からその修正前の特徴を解析してみた。
41才。職業は高速で運動する何かのドライバー。感覚野に記憶された強度の加速度記憶からアストロノーツ、もしくはそれに類似したものと推測できる。4人家族、娘が二人いるイメージ、家族の住む家、落ち着いた雰囲気、安心感。職業上も家庭にも問題は何もない。
ところが問題はここからだった。解析器はその中に微細な、しかし多数の矛盾点を指摘した。その原因として修正の痕跡を突き止めていた。
これは偽の記憶だというのか。
どういうことだ。
この人格もまた修正の結果の産物だというのか。
可能性としてはありえることだ。理論的には修正を何度繰り返すこともできる。もっともその必要のないように修正して行くのが普通だが。
さらに奥まで探ってみる必要があるかもしれない。
スキャニングモードのまま、より詳しい状況を把握できる方向に走査法のパラメーターを変える。ある一定以上のレベルのデータは消去し微弱なもののみを解析の対象とする。かなり時間がかかるだろう。
矛盾点を一つ一つ探って行く。その背後に潜む、微かな、何百と言う修正の痕跡を追う。変化してゆくクライアントの人格が、私の意識の内面を、ゆるやかに流れて行く。
変化率が小さくなったところで一度スキャンを停止する。
これは何だろうか。色彩に対しての感受性が高い。だが通常の色彩、形態認知からずれている部分が見て取れる。人工的な感覚矯正を行った痕跡をとらえる。高次デザイン用の認知システムを使用していた痕跡もある。インナースペースのシステムインテグレーションを手がける人間がよくこの種の感覚補正を行う。コネクターは設けられていないことから、完全な離脱のないトロード方式を用いていたのだろう。細かいことまでははっきりしない。家庭は同じく4人家族だが、息子が一人に娘が一人。さっきの結果とは異なっている。住居のイメージも違う。痕跡が微かでありそれ以上は何も言えなくなっている。
だが、またここでコメントが入る。
『修正の痕跡 あり』
これもまた偽の記憶だというのか。
この男、本当は何者なのだ。
もう一段階深いスキャンを行う。
さらにぼんやりした痕跡が関知された。だが、その結果が表示された瞬間に修正の痕跡が発見される。
こうして次々と人格探査を行ってきている。
奥深くなるほど痕跡は少なくなってゆく。解析時間も長くかかる。かれこれ、この事だけに2時間以上を費やしている。12時ジャストから始めたオペだったが、総オペレーションタイムでも延べ8時間30分を経過した。剥いだ人格の数は数十にも及んだ。一体この様子ではこの男の本性は何なのか、誰にもわかるまいと思う。もちろん本人にも。
この男の生きてきた道は霧の中だ。心理技術者がよってたかって彼の人生を変えてしまった。過去の彼についてのすべては虚構に近い。もはや彼にとって確実なのは未来のみだ。むろんそれも堅固なものではあるまい。
意識を取り戻したとしても彼は現実を見失っているのだから、すぐに新たなる世界を構成してやらなければならない。実質的には治療の意味はないのかもしれないと思う。 だが、彼が幻の中に住むことに手を貸したのは、他ならぬ私達、心理技術者だ。だとすれば私達には、彼の世界を補強する義務があるのだろう。彼が気がつかないように幻の世界を精巧に築いてゆく。それとも知らずに彼はその内部で一生を過ごす。誰も彼に、それが虚構だ、などと教えなければよいのだから。私はさらにこの上に新たなる幻影を植えつけることになる。恐らくこれまでの彼の多くのカウンセラーと同じように。これが果たして治療といえるのかどうか、私にはわからない。
そこでモニターに別の表示が現れる。人格の解析結果ではない。この男に対するエコーパターンの影響が推測できたようだ。彼の意識の存在位置をつきとめ進行形でトレース中という表示も出ている。
切り替える。
直接意識内にイメージが浮かぶ。
なるほど。
あのエコーパターンは確かに単なる反射鏡にすぎない。しかし、それがこのクライアントの自らの探求心に働きかけたとしたら、どうなるか。自らの過去を探ろうと、彼は必死になって自己を掘り下げてみるに違いない。
その結果、彼はいま失われた過去に向かって自分の意識を下に向かって進んでいる最中だ、ということのようだった。
この男は自分の本当の姿を探すために心理技術者の面倒になっていたのか。
再び解析結果のモードに戻る。
今度はおかしな結果が流れでている。
今まであれほどはっきりしなかった人格データが、解析方向を縦断的な組み立てに切り替えた途端、一つの職業名を端的に示すようになった。
これ程多くの性格特性をその内部にサンプルとして保持できるのはこの職業以外には考えられない。
それは
---- 心理技術者。
何だって。
思わず無いはずの口が動く。
どういうことだ。
この男は心理技術者なのか。
心理技術者が、自分の過去を探るために自分をテストしているのか。それらの様々な人格データは、何者かによっておかれた、それを隠蔽するための障害にすぎないというのか。
それでは、まるで……
私のようだ。
私。
心理技術者は、その職業上、完璧なまでの公正さ、冷静さを必要とする。個性、偏った観念などは、極力取り除かれねばならない、とされている。そのため、この職に就くときにそれ以前の生活記憶を封印してしまう。それはプロフェッショナルである我々自身にも手出しができないほど、意識の奥深く、はるかな深淵に隠蔽されている。その代わり、様々な疑似人格をROMに封入し、クライアントに応じた対応を取れるように人格移行を行うことができる。今回スキャンにかかったのは、この規格上のサンプル人格だった。
自分が何者であるのか、知りたくとも知ることができない。一体私は何者なのだ。誰か答えてくれ。私はどこで生まれ、どのようにして育ち、どのような経歴を経て今に至っているのだ。どうしてこんなつらい、記憶をなくすような職業を選んでいるのだ。
---- そうだ。これはお前自身なのだ。自分を自分がカウンセリングしているのだ。意識が無くなっているのは自分の内部に向かって落下しているからであり、そしてこのことがわかった今、お前はこの壁の向こうに自分の真の姿を見ることができるはずだ。たとえそれがなんであっても、私には確かめる権利がある。そうでなければ、そうでなければ ---- この仕事に、私はもうこれ以上、耐えられそうにない……
私はクライアントと一体化しながら、情報構造体の深部に向かって突き進む。自分の精神の深淵に向かって。
壁が見えてくる。私の記憶をブロックしている壁だ。壁の向こうには本当の私がいるのだ。あのプロテクトさえ抜ければ、もうそこには
目が覚める。
いやな夢を見るものだ。
疲れているのだとわかる。
眠りまでもが休息の時間ではなくなってゆく。
時間を確認する。
もう起きるべき時刻を過ぎている。システムの業務前点検を行わなくてはいけない。眠い目をこすりながら賦活剤を飲みこむ。最近はこれも量が増えている。よくないことだとわかっている。
いまだ薬が効きだす前のぼんやりした心地の中で、思うことがある。
もしかすれば、治療されているのは私なのではないだろうか。
この凝ったシミュレーションの中で、いっぱしの心理技術者の役を演じ、気がつくと私は一人ヴァットに寝ていて、治療の終了を告げられるのかもしれない。ここが虚構だと教えてくれるものは誰もいないのだから。私はさっき、夢から覚めたと感じたが、本当のところ果たして何から覚めたというのだろう。
しばらくして意識がはっきりしてくると、こんな考えも消えてゆく。よくあることだと思う。
チェックを行わなくては。
メインシステム全体の電源を入れ、自動的な立ち上げに任せる。いつもより起動が速い。よく見ると、サブシステムのいくつかのパイロットがついたままだ。昨日消し忘れたのだろうか。
早々と冷却器が作動し始める音が聞こえてくる。
平面モニターに様々な数値がスクロールされてゆく。私はそれを横目で確認しながら、きょうのクライアントの予定を考える。全体で8時間の計画。一人当たり約2時間の予定で3人。残りの2時間分は急患に当てている。だが2時間で済むオペなどめったに無い。結局フルに働くことになるだろう。急患も一人とは限らない。
疲れがたまっている。あんな夢のせいだろうか。まるで一晩中オペをやっていたような、異様な疲れだ。
システムの立ち上げが終了する。異常はない。サンプルを用いたオペのシミュレーションに移ることになる。
ふと、上からのぞき込まれているような錯覚に陥る。周囲の空間に何百もの眼が光り、私を監視しているように思える。
そんなばかな。
---- そんなばかなことはない。
私の中の何かがそう答える。こだまのように。
灰色の壁と、音のない室内。
得体の知れない不安が押し寄せる。
一瞬、見慣れたはずの部屋が、まるでどこかの見知らぬ場所のように感じられる。
静かな場所。孤独の檻。
意識の隅に、何かが薄暗く澱んだまま沈黙しているのがわかる。
私はため息をつく。
そろそろ長期の休暇をとったほうが良い。半ば、私自身が参っているようだ。
---- そう思い始めてどのくらいになるだろう。いったい、私はいつからこんな仕事をしているのだろう。私はいつからここに住んでいるのだろう。このロジックシステムのある部屋に、いつから……。
考えてはいけない。
考えてはいけない。
---- 私はなぜこんな所にいるのだろう。ここはどこなのだろう。私は誰なのだろう。
考えてはいけない。
もし考えたら。
思い出してしまったら。
不意に、何が手の中に現われる。
見ると、常備の安定剤の瓶が握られている。何も考えずに蓋を開け、数粒をそのまま飲み込む。
ゆっくりと立ち上がりヴァットに向かう。
今日もまた、一日が始まる。
<完>
初出 Kaarte1からKarte4まで“Cygnet4” (1988), intermissionからKarte10まで“Cygnet5” (1989)
Karte8のみ、Hotline46(1990)
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