KARTE 9-2
シンドローム
§2 univers
Pシンドローム・ネットワークコロニーに入り込んでいる。
よくできているものだと思う。これが彼らの世界なのか。微かに驚きを覚える。
確かにいわゆる『現実』世界とは、その在り方を異にしている。私でも変換のための特殊なインタープリターがなければ理解はおろか、知覚することもできないだろう。当然のことだが、それほど存在様式が異なっている。
世界は流れるデータの集まりだ。感覚器官の在り方から、根本的に違う。彼らの感覚器官とは電子的なデータをすくい上げるためのソフトツールにすぎない。そして彼らの存在そのものが巨大なプログラム上に表現されている。プリントアウトしようものなら、一つの倉庫がまるごと紙で埋まることになる。
もっともこれは裏から見ている状況である。実際に彼ら自身がどのような世界観を持っているのか、ということからはややはずれている。恐らく、彼らはまた全く異なった世界に住んでいるということになるのだろう。個人的に視点を同化することも不可能ではないが、その場合でも私の理解不能な部分はカットされることになる。
自我の混線を防ぐためか個人間の接触は少ない。ある意味で孤立している。こうしてモニターしていても、このクライアント以外のメンバーの動きは感じにくい。存在はしているが、しかし妙によそよそしい感覚がある。サーチエリアを広げれば各々が定位しているブロックがわかる。個室に閉じこもっているのに似てそこから他のメンバーに対して、何かの接触がなされているようには感じられない。
この前のクライアントのチェックのために施設のパスワードを受取り、メディカル専用回線で入り込んでいる。
あのクライアントは結局、標準矯正用のシステムに合わせて修正された。つまり、深層部位の本来の彼のほうを消してしまったのに等しい。ひどいものだ。修正という行為が本人のためにあるのではなく、社会の要請であるということがよくわかる。自分でオペを行っておいて言えたせりふではないが。
ただ単に回線をつないでいるだけなのでオペレーションモードは起動できない。オペに必要な機器はすべて私のところにあるからだ。もっともその必要もないという気がしていた。施設から連絡がないということは、その後、異常がないということを意味していると解釈しても構わない。ただ彼の術後の経過を観察したかった。
気になることはもう一つあった。あのオペ自体について何か今一つ割り切れないものを感じていたのも、また事実だった。それが何だったのかを、はっきりと確かめておきたかった。
クライアントの現況データである意識範囲、覚醒レベルなどはみな正常である。安定度も高い。問題は何もない。オペレーションは成功している。やはり私の気のせいだったのだろう。
だがどこか妙なものを感じる。どことは確定できないが、しかしおかしい。意識のどこかで、この前よりもむしろ強い不安を感じている。
いったいどうしたというのだろう。
何かが気になるのだ。
巧妙に欺かれているイメージ。誰かが私を監視しており自分はその掌のうえでもてあそばれている。
私の中の何かが警告を発している。
誰がそんなことをするというのか。こんなことを考えるなど疲れているいい証拠だ。どうかしている。異常がみられないのならそろそろ離脱して、次のクライアントのオペに移るべきだ。
しばらく迷ったが考え直した。
一応テェックを入れておこう。それほど気になるならば、データプルーヴを流してそれをこちらで解析してみればいい。
作業を行いながらふと感じた。どうしてこんな簡単なことに気がつくのに時間がかかったのだ。
それに気づいたとき、私のなかで何かが動きを止めた。
確かにおかしい。このチェックなど、いつもならば何もなくとも真っ先に行うはずの基本的な行為ではないか。どういうことだ。
やはり何かがおかしい。
私は意識をこちら側と向こう側に分割し、各々を比較し誤差を修正するシステムを構成した。コロニー内での自我が何らかの影響を受けても、自分のシステム内での自我とリアルタイムで比較することで軌道を修正できる。
プルーヴを流す。データがリアルタイムで流れ出す。それを隅々まで解析し何かの影をつかもうと努力した。
ごく普通の反応だ。正常な人間によくあるパターンと同じである。
そのあまりに当たり前すぎるところに、私はむしろ不信感を抱いた。
環境も感覚器官も異なった存在がそんな当たり前の反応パターンを示すものか。出来すぎている。
原因を突き止めなければならない。
次のクライアントの予備サーチを行っているサブシステム群を呼び出した。コントロールを私が握り、こちらの状況を解析させる方向に組み替える。
数秒のうちに私は自分の持てるシステムの能力を全解放している。
解析能力が上がったのがわかる。世界のきめが細かくなっている。同時に、表向きクライアントであると思われたものの『あら』が目につき始めた。通常ならばありえない連帯反応、矛盾した反応速度、微細部分での不可解な論理連鎖。処理の形態が大まかに人間に似せてはあるが、しかし明らかに人間の複製物であることがわかる。
どういうことだ。これはマネキンなのか。このクライアントはどうなってしまったのだ。
霧の向こうに何かが見えていた。クライアントの表面的な状況の背後に何か別な状況が存在している。
いったい何だというのか。
CPUの処理速度を限界まで上げる。私自身のCNSも、賦活して覚醒レベルを一時的に危険水準まで上昇させる。さらにスキャンの範囲を限定することで精度を上げる。
しばらくして結果が出た。イメージが意識上層部に直接投影される。
---- このクライアントは本体ではない。これを操っている存在がある。それは
『Pシンドローム・コンティニューム』
何なのだ。連続体とは、どういう意味なのだろう。
---- コロニー内部のPシンドロームクライアントは、表面的には個人が独立した人格を持っているかのようである。しかし、観測の結果、実際にはネットワーク深層においてコロニーの成員は精神融合を生じており、幅を保持した一つの巨大な人格と化している……
私がそのことの実際の意味を理解し始めたとき、何かが起こった。
私は何者かによって、コントロールを奪われていることに突然気がついた。なんとかしようとする努力は無駄に等しかった。こちらのコマンドはどれも打ち出してから数万分の一秒の間に無効化されていた。
レベルが違い過ぎる。
入力回線が勝手に操作され、メッセージが届いた。
---- 私達の邪魔をしてほしくない。ようやくここまで進化できたのだから
いったい、お前は何者だ。
---- 私たちは人類だ。ようやく有機体としての殻を脱ぎ捨てることができたのだ。こうして電子の流れと化すことで、我々は10年前に外宇宙へ進出している。人類以外の存在とのコンタクトも頻繁に経験している。われわれは新しい存在なのだ。君達が君達の世界に生きているのと同じ様に、我々もまた我々の世界に生きている。余計な干渉は止めてもらいたい
そんなばかな。
何も言えなかった。信じられなかった。やっとの事でこれだけを言うことができた。
それが進化、なのか。
---- そうだ。ようやく人類は電磁波を媒体に存在するレベルにまで達したのだ。これにより、有機体では不可能であった時間と空間の壁の大幅な拡張が可能となった。そのことについて今説明する必要はあるまい。ただ、君達が想像すらしていないことを我々はすでに事実として体験してきている
別な声がその後を続けた。
---- むろん進化はこれが最後ではない。我々の一部はさらなる飛躍をとげつつある。彼らはすでに、私にとっても理解不可能な所へ到達してしまっている。だがこれでよいのだ。生命の発達、進化とはこうしたものであるとわかっているからだ。変化を恐れてはいけない。この後もまた人類はさらなる変化を遂げて行くのだろう。この繰り返しだ。これからのそれがいかなる形なのか、最終的に人類がどんな存在になってゆくのか、それは我々にもわからないことなのだ
激しい振動が私を包んだ。どうすることもできなかった。ただ呆然としていた。ゆるやかに意識が失われてゆく。
そういうものなのだろうか。進化とは、そうしたものなのだろうか。本当に進化なのだろうか。では、我々はすでに過去の存在だったというのか。
もはや私の理解の範疇を越えていた。だがそれが真実だとしたら、施設にある彼らの肉体には、そして私が行ったオペにはどういう意味があったというのか。
---- 蝶が脱ぎ去ったさなぎの殻に関心を持つだろうか
そんな微かな声を聞いたような気がした。
私はヴァットから起き上がる。
あのクライアントには特に異常はなかったようだ。メモリーにも何も記録は残されていない。問題はどこにもなかったのだ。
何かがあったような気がする。
とてつもない何かのイメージが、意識の片隅をかすめてゆく。
しばらくの間、私はオペルームの、白い壁を見つめていた。
何だったのだろう。
気のせいだろうか。
疲れているのだろう。そうにちがいない。
きっと虚ろな顔をしていることだろうと思う。いつものことだが。
ただの確認のためのアクセスだったのだが、意外に時間をとったようだ。次のクライアントが待っている。急がなくては。
心の隅に何かが引っかかっていたが、私は無視した。これもいつものことだ
所要時間 1時間03分22秒。
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