<要素6 テレビアニメーション>


 ここまでくれば、もうおわかりだろう。
 裏側では、すでにアニメーションの製作がはじまっていたのだ。

メディアミックス戦略としては、これ以前から中の人がパーソナリティとして 出演する“ラジオ番組”が存在した。が、これについては筆者が一度も聞いたこ とがないため、割愛する。

 内容的にゴールデンタイムに流せるかといえば、不可能ではないが、しかし難しいものであるのも事実である。そもそも、作品自体が極めて一部の限られたニッチを想定して成立しているため、全国放送が可能なのかどうかすら怪しいものだ。

 こういうときに頼りになるのが『おたくの守護神』テレビ東京である。
 この作品は、テレビ東京系列の受信できる全国の地域において放映された。
 逆に言えば、それ以外の地域のオタクたちは触れたくとも触れられなかった わけだが、そこはそれ、メディアミックス戦略の目的が何かを考えれば、その 後の「懇切丁寧なフォロー」は予想できようというものである。


アニメーション第1作

 このアニメーションは、従来の雑誌連載とは独立して、まったく新しい設定(とはいえ、当然12人の妹がいる、という設定は受け継ぐわけだが)のもとで企画されている。

『主人公“海神 航”は、絶対確実といわれていた東京の一流高校の入試になぜか落ち、その代わりに、身に覚えのない推薦合格を手に入れる。見た事も聞いたこともない場所、“プロミストアイランド島”になかば強制的に連れて行かれ、そしてそこで次々と4人の少女に出会う。
 いろいろなことがあった一日の最後に、新しい住処にたどり着くと、そこにはその4人の少女達が待ち構えていた。
「おかえり、お兄ちゃん!」
 その4人の少女は、実は航の妹だったのだ!
 さらにその翌週、残りの8人の妹が集合し、さらに余計な一人まで妹と誤認し、合計13人の妹たちと暮らすようになった主人公の行く末やこれ如何に?!』

 って、いったいなんだよ? と叫んだあなたは多分正しい。
「妹だったのだ」ってのはどういうことなのか、なぜそんなことを兄が覚えていないのか、そもそも彼は疑わなかったのか?それまでその妹たちはどこでどうしていたのか?彼女たちは互いにどうして出会えたのか?
 疑問を抱けばきりがない。

 だが、これも“受け入れる”ことからはじめるという姿勢ですべて解決するのであった。
 悟りは己で開くものである。

 しかし、この第1期のアニメーションについては、悟りを開いた兄たちにとっても、やや受け入れ難い側面があったのも事実である。

 まず第一に、アニメーションの画があまりにひどかった。
 もともとこの手の『萌えアニメ』では、話の中身はさておいて、可愛いキャラクターが動いてなんぼ、という世界である。それが、顔や身体の崩れた絵がのたのた動きまわるようでは、いくら声優があわせて演技をしても悲しくなる。

 もともと企画に無理があったのかもしれない。なんといっても、その性質上、主役級の声優を12人、プラス兄を入れると13名を常にキープしておく必要があるのだ。その人件費だけでもばかになるまい。そちらに金が取られれば、作画に回す金はなくなる。

 ストーリー自体にも賛否両論があった。いや、実際には放映時には圧倒的に『否』が 多かったといってもよいようだ。

 原作とはかけ離れた設定が、従来の原作ファンを戸惑わせた。もともと原作で は兄に名前などついてはいなかったし、かつ、これという個性も与えられてはい なかった。この抽象的な兄はただ妹の愛情の対象であり、自分では何もせずとも 棚からぼた餅的に受動的愛情を力一杯受け取ることのできるおいしい役回りであっ た。雑誌連載においては兄はそのまま「読者」だったのだから、設定上それは 当然である。しかし、アニメーションにおいては、兄に具体的な何かの形を 与えなければならなかった。

そこで、この『兄』は、この番組においては、当初とにかくひたすら“だめな兄”として描かれた。試験には落ちるしスポーツもだめ、泳ぐこともできない、勉強だけはできるようだが、しかしそれは描写されない。くよくよと一人で悶え、環境の変化に耐えきれず、妹たちに黙って一人で逃げ出そうとする。緊張すると固まって動けなくなってしまうし、何かあれば『そんなばかな』を連呼しては一人でうろたえる。この「へたれっぷり」は強烈なもので、見ている側がまことにいらいらして来るほどであった。

 制作者側の狙いは、この『へたれ兄』が妹たちと交流することによって次第に自覚を持ち、妹たちの信頼を受け止めるだけの『立派な兄』に成長してゆく過程を描写することであったようだ。さらに言えば、その一連の交流描写の中で、妹たちの魅力をきちんと描き出す、というのが作品の真の目的でもある。
 しかし、そこにいたるまでの助走があまりに長く、またへたれているのが兄だけでなく、オリジナルキャラの「友人」も非常にうっとおしい存在として描かれたためか『素直に妹だけを見せてくれれば』という全国の兄たちの願いがヒートアップした。

 アニメーション制作サイドと原作者サイドの関係も微妙なものだったらしく、アニメーションの監督は途中交代している。アニメーションサイドの独自設定が、原作者側から反発を受けたという噂、あるいは原作者側の注文があまりに細かいところにまで至ったために監督側が嫌気が差した、という話もあるが、実際のところがどうだったのかは外野にはよくわからない。

 ただし、特筆すべき部分もある。
 アニメーション制作者の当初の試みは相応に意欲的で手の込んだもので、2クール全26話の全体の話の流れや各キャラクターに対する注目バランスもうまく計算されていた。終わってみれば『実は結構いい話だった』『続きがみたい』といった感想がネットワーク上でよく出ているのも事実である。
 原作とは異なるが、これもまた魅力を持った作品であったという証拠である。

 メディアミックス戦略の常として、この作品の放映に伴い、この作品に出演する声優たちのユニットも結成?され、歌を歌ったりアルバムを出したりしている。ファンを集めたイベントを行ったりもしているのだが、まあこれらの内容については深く触れることはすまい。


アニメーション第2作

 アニメーション第1段の終了1年半後に、第1段の半分のスパン(1クール13話)でアニメーション第2段が放映されている。

 これについてはやや特殊な制作形態が採られた。

 テレビアニメーションの第2期の構成において、番組30分のうち前半(A part、 別名ストーリーパート)は第1作と似た、妹たちが相互交流しながら兄と仲良く するという作品である(第1作とは独立している世界として描かれている、 ようだ)。

 一方、後半(B part、別名キャラクターズパート)は、毎回妹のうち一人だけ に焦点を当てた構成とし、この当時の若手のアニメーション作家・演出家たちを 募り、脚本だけを与えて、プライベートフィルム的に自分の好きなように作品を 作らせる、というやや冒険的手法に出た。

 この後半が当たった。

 すべてが傑作とは言わないが、しかし現在のアニメーションとして相応の水準のものが出来上がってきた。ニッチな作品だけにあまり一般に広がることはなかったようだが、金をきちんとかけて(あるいは時間も?)意欲のある若い衆に好きなものを作らせるとどういうものが出来上がるのか、をとてもよく示した。

このキャラクターズパートについては、出演声優はその焦点となる妹役たった一人であるため、人件費が浮き、その分の金を作画など他の部分に回せたためである、という説もある。例の如く、これも事実かどうかは定かではない。

この第2段のアニメーションは、従来のファンからは、前半はやや不評、後半はマニアックな好評を得た。そして、それとともに、第1段の評価がむしろ上昇していったのは不思議な現象であった。


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